<div class="img-container"><img src="https://cdn.qurate.cloud/2022/01/26/12/10/36/9841798f-6e3e-49f5-bff5-c13286b364cb/pixta_83402916_s.jpg" link_href="" link_target=""></div><p>早いもので今年もあっという間に一か月が経過しました。</p><p>2021年もGo!Go!ワンクでたくさんの情報を発信しましたが、皆さん気になる記事はチェックいただけましたでしょうか。</p><p>なかには見逃してしまった記事もあるのではないでしょうか。</p><p>今回は、過去に投稿した記事のなかから、ぜひご覧いただきたい記事を5つピックアップしてご紹介します。</p><h5>1.いつから学資保険に入るべき?確認しておきたいベストな加入時期とは</h5><p>そろそろお子さまの入学・卒業シーズンがやってきますね。子どもの成長は嬉しい一方で、学費がかさむのも事実です。</p><p>子どもの教育資金の準備としてよく知られている学資保険。</p><p>皆さんはいつ頃からお金の準備を始めているのでしょうか。</p><p>ベストな加入時期についてこの記事をぜひ参考にしてください。</p><p><a href="https://blog.ncbank.co.jp/posts/508">https://blog.ncbank.co.jp/posts/508</a></p><h5>2.持ち家vs賃貸ではどっちが得なのか論争に決着を!メリットとデメリットを徹底分析</h5><p>持ち家と賃貸、どちらが良いか迷ったことはありませんか?</p><p>転勤や転職、結婚や出産など様々なシーンをきっかけに、将来における住まいの選択を考えることがあると思います。</p><p>持ち家と賃貸、それぞれに違った良さがありますよね。</p><p>判断に迷ったときはぜひこちらの記事をご覧ください。</p><p><a href="https://blog.ncbank.co.jp/posts/600">https://blog.ncbank.co.jp/posts/600</a></p><h5>3.初めてのクレジットカード利用も安心!支払い方法から賢い使い方までわかりやすく解説</h5><p>初めてクレジットカードを持つ方必見!</p><p>「公共料金もクレジットで支払うことができるの?」<br>「もし残高不足で引落しができなかったらどうなるの?」<br>「暗証番号がわからなくなったらどうしたらいいの?」</p><p>今更聞けない数々の疑問にお答えするとともに、クレジットカードの賢い使い方まで伝授いたします。</p><p>この記事を読めば、ワンランク上のお得な買い物ができるかも!?</p><p><a href="https://blog.ncbank.co.jp/posts/431">https://blog.ncbank.co.jp/posts/431</a></p><h5>4.【マイカーローン】銀行ローンとディーラーローンの違いを徹底比較!低金利の自動車ローンの選び方とは?</h5><p>車を購入する際に、車の販売会社で直接お申し込みができるディーラーローンをオススメされることが多いのではないでしょうか。</p><p>「銀行のローンとの違いは?」<br>「金利はどんな種類があるの?」<br>「繰上返済に手数料はかかる?」</p><p>そんな数々の疑問にお答えします。自動車ローン選びのご参考になると幸いです。</p><p><a href="https://blog.ncbank.co.jp/posts/434">https://blog.ncbank.co.jp/posts/434</a></p><h5>5.天神・博多エリアのカフェ5選|おしゃれ&おいしい話題のスイーツが楽しめる</h5><p>2022年もあっという間に2月に突入。</p><p>年明けから頑張ってきた皆さん、心身ともに疲れが溜まっていませんか?</p><p>疲れてくると、頑張った自分へちょっとしたご褒美スイーツが食べたくなるときがありますよね。</p><p>この記事では福岡の中心エリアにある人気のカフェをご紹介しています。</p><p>素敵なカフェばかりなので、お店にも足を運んでみてください♪テイクアウトをやっているお店も多いですよ!</p><p><a href="https://blog.ncbank.co.jp/posts/621">https://blog.ncbank.co.jp/posts/621</a></p>
<div class="img-container"><img src="https://cdn.qurate.cloud/2022/02/03/09/37/02/26b51db4-4e4c-4fcb-a1a4-342122d9922a/------2-.png" link_href="" link_target=""></div><p>ネクスペイとは、2021年7月30日にスタートしたプレミアム付電子商品券「FUKUOKA NEXT Pay」の略称です。福岡市内の消費喚起や地域経済の活性化を目的に、福岡商工会議所・早良商工会・志賀商工会が発行し大好評となり利用した人も多いのではないでしょうか?</p><p>このネクスペイ、好評の声を受けて第2弾の実施が決定しました!</p><p>第2弾の抽選申し込みは2022年2月4日からスタートし、2022年3月1日から2022年7月31日まで利用可能です。</p><p>本記事では「ネクスペイ」の概要について解説するとともに、購入方法や使用期間、使えるお店について解説します。</p><div class="q-surround-border additionalClassesSet " style=""><p> <a href="https://f-nexpay2.dx-ticket.jp/" target="_blank"><u>ネクスペイの詳細はこちら</u></a></p></div><div class="q-surround-border additionalClassesSet " style=""><p>人気記事<br><a href="https://blog.ncbank.co.jp/posts/195" target="_blank">&gt;&gt;お金の勉強におススメの本10冊初心者でもお金の基本~応用まで知識が身につく</a></p></div><h2>「ネクスペイ(FUKUOKA NEXT Pay)」とは?</h2><p>ネクスペイは、市内約6,000の登録店舗に設置されたコードをスマートフォンで読み取り、決済する電子商品券です。1口5,000円購入した電子商品券で、6,000円分の買い物ができます。つまり、20%のプレミアム(割増金)が付いてくる、とてもお得な電子商品券です。</p><p>西日本シティ銀行は、福岡銀行・みずほ銀行とともに本事業に参画しており、商品券の発行・換金業務や利用可能店舗の開拓、事業者や市民への周知・問い合わせ対応等事務局業務を行います。</p><p></p><h2>「ネクスペイ」の特徴</h2><div class="img-container"><img src="https://cdn.qurate.cloud/2022/02/03/10/12/08/051fd515-9658-4cf3-8512-91fee9abc5e5/pixta_83268588_s.jpg" link_href="" link_target=""></div><h3>特徴1.│プレミアム率が20%と高還元率</h3><p>「ネクスペイ」最大の特徴はプレミアム率の高さです。プレミアム率が20%なので、例えば12,000円分の電子商品券を10,000円で購入できます。</p><p>一人あたりの購入可能金額は購入単位5,000円、購入上限50,000円まで(プレミアム分を除く)です。</p><p>したがって、最大で10,000円分お得に利用できます(60,000円分の電子商品券を50,000円で購入可能)。</p><h3>特徴2.│スマホでかんたん、QRコードで使用できる</h3><p>紙の商品券の場合、自宅に置き忘れてしまったり、いざ使おうと思ったときに見つけられなかったり、紛失・破損してしまったりと、さまざまなリスクがあります。</p><p>「ネクスペイ」の場合、そういった心配がありません。</p><p>なぜなら、「ネクスペイ」はスマホを用いたQRコード決済だからです。各種電子決済サービスと同じように、登録店舗に設置しているQRコードを読み込んでお支払いできます。</p><h3>特徴3.│1円単位で使用できる</h3><p>紙の商品券の場合はおつりが出ないケースが多いでしょう。</p><p>おつりを無駄にしたくない思いから、紙面記載の金額を超えるために予定していなかった買い物をした、という経験がある人もいるのではないでしょうか?</p><p>「ネクスペイ」の場合、電子商品券ですので1円単位でお支払いに使用できます。</p><h2>「ネクスペイ」の購入方法は?いつから購入可能?</h2><div class="img-container"><img src="https://cdn.qurate.cloud/2022/02/03/10/11/50/7e42f98c-4774-4dc9-a052-243582bcb79b/pixta_35685148_s.jpg" link_href="" link_target=""></div><p>「ネクスペイ」の購入機会は3回あります。</p><p></p><table><tbody><tr><td rowspan="2" data-colwidth="167"><p>第1回販売<br>(抽選販売)</p></td><td data-colwidth="412"><p>応募資格:福岡市在住の方</p></td></tr><tr><td data-colwidth="412"><p>抽選申込期間:2022年2月4日(金)午前9時~2月17日(木)正午まで</p></td></tr><tr><td rowspan="2" data-colwidth="167"><p>第2回販売<br>(抽選販売)</p></td><td data-colwidth="412"><p>応募資格:居住制限なし</p></td></tr><tr><td data-colwidth="412"><p>抽選申込期間:2022年3月7日(月)午前9時~3月18日(金)まで</p></td></tr><tr><td data-colwidth="167"><p>第3回販売<br>(先着順)</p></td><td data-colwidth="412"><p> 応募資格:第1回、第2回販売落選者(住居地制限なし)<br>※不正申込者は除外</p><p>販売期間:2022年4月18日(月)午前9時~完売まで<br><br>※第1回及び第2回販売において当選者が購入上限額まで購入しなかった分、及び、購入手続き後も指定期間内に入金しなかった分を完売まで販売するものです <br>※第3回販売の決済手段は、即時決済となるクレジットカード限定となりますのでご注意ください</p></td></tr><tr><td data-colwidth="167"><p>購入方法<br>(共通)</p></td><td data-colwidth="412"><p>・クレジットカード(Visa、Mastercard、JCB、AMEX)<br>・コンビニエンスストア(現金)<br>・Pay-easy(一部の金融機関ATM、インターネットバンキング)</p></td></tr><tr><td data-colwidth="167"><p>購入条件</p></td><td data-colwidth="412"><p>購入単位5,000円、購入上限50,000円まで<br><br>※購入上限額にはプレミアム分を含みません <br>※QRコード読み取り機能付のスマートフォンをお持ちの方 SMSによる電話番号認証が可能な方</p></td></tr><tr><td data-colwidth="167"><p>使用方法</p></td><td data-colwidth="412"><p>・スマートフォンによる決済(1円単位で支払い)<br>・登録店に設置してあるQRコードをお客様がスマホアプリで読み取るユーザースキャン方式払い戻し・換金不可 <br><u>利用可能な期間</u><strong><u><br></u></strong>2022年3月1日(火)~2022年7月31日(日)<br>※2022年8月1日以降使用できません ※QRコードはデンソーウェーブの登録商標です。</p></td></tr><tr><td data-colwidth="167"><p>対象店舗</p></td><td data-colwidth="412"><div class="limited-width " style=""><p>福岡市内の登録店舗<br><br>※一部対象外となる商品・サービスがあります</p></div></td></tr></tbody></table><div class="q-surround-border additionalClassesSet " style=""><p> <u> </u><a href="https://f-nexpay2.dx-ticket.jp/" target="_blank"><u>ネクスペイの詳細はこちら</u></a></p></div><h2>「ネクスペイ」はいつからいつまで使える?サポートはある?</h2><div class="img-container"><img src="https://cdn.qurate.cloud/2022/02/03/10/12/00/24726812-2d20-4384-9739-8caa6c83c9f8/pixta_62430076_s.jpg" link_href="" link_target=""></div><h3>「ネクスペイ」の利用期間はいつからいつまで?</h3><p>利用開始日は2022年3月1日(火)、利用終了日は2022年7月31日(日)です。</p><h3>「ネクスペイ」に関するサポートは?</h3><p>ネクスペイの購入には、スマホでの登録・購入手続きが必要です。操作に不安がある人には、コールセンターで操作方法を案内するほか、ソフトバンクショップ・ワイモバイルショップの対面サポート取扱店舗でFUKUOKA NEXT Pay(ネクスペイ)の操作方法の説明を行います(予約制)。</p><p>ソフトバンク以外のスマホを使っている人も利用可能です。予約方法は、ホームページで確認するか、FUKUOKA NEXT Pay事務局:コールセンター(0120-197-959 全日9:00~19:00土・日・祝含む)にお問い合わせください。</p><h2>【利用者向け】「ネクスペイ」まとめ</h2><p>福岡市内の消費喚起・経済の活性化および新型コロナウイルス感染症拡大の影響に伴うキャッシュレス化推進を目的に発行される、プレミアム付電子商品券「ネクスペイ」。20%お得で、利用できる店舗も多く、1円単位で無駄なく使える電子商品券。この機会に利用してはいかがでしょうか。</p><div class="q-surround-border additionalClassesSet " style=""><p> <a href="https://f-nexpay2.dx-ticket.jp/" target="_blank"><u>ネクスペイの詳細はこちら</u></a></p></div><h2>「ネクスペイ」に関するお問合せ先</h2><div class="q-surround-border additionalClassesSet additionalClassesSet " style=""><p><strong>■ FUKUOKA NEXT Pay 事務局</strong><br><strong>HP:</strong><a href="https://f-nexpay2.dx-ticket.jp">https://f-nexpay2.dx-ticket.jp</a><br><strong>コールセンター:</strong>0120-197-959<br> [受付時間]9:00~19:00(土日祝・年末年始含む)<br> [開設期間]1月17日〜8月5日</p></div>
<div class="img-container"><img src="https://cdn.qurate.cloud/2021/11/09/13/05/42/1e688949-c18a-4baf-95a5-31ccfde87cbb/pixta_71621935_s.jpg" link_href="" link_target=""></div><p>西日本シティ銀行は、地域の活性化や豊かな地域社会づくりに取り組んでいます。また、関連財団を通じ、文化から国際交流までさらに幅広い活動を実践しています。地元の歴史や文化の伝承も、その取組みのひとつです。</p><p>西日本シティ銀行の前身である福岡相互銀行が1979年に発行した小冊子「博多に強くなろう」「北九州に強くなろう」。当時、「地域の歴史や文化について自ら学ぼう、そして多くの人にも知ってもらおう」という思いから、さまざまなテーマで専門家や郷土史家による座談会が開催されました。</p><p>その後、この冊子の発行は、合併によって誕生した新生・西日本シティ銀行に引き継がれ、2008年(平成30年)には100号を迎えました。近現代のテーマでは直接の関係者による証言もあり、貴重な史料といえます。</p><p>この記事では、そんな「博多に強くなろう」の中から人物に焦点を当てます。各人物の生きざまが躍動的に綴られた対談記事へのリンクも併せて掲載していますので、ぜひ当時の貴重な情報にも触れてみてください。</p><p></p><h2>栗野慎一郎</h2><p>栗野慎一郎は、近代日本への歩みに大きく貢献した外交官です。<br>嘉永4年11月7日栗野小右衛門の長男として福岡市に誕生した栗野慎一郎は、明治8年にハーバード大学に留学をし、14年に帰国後外務省に入省しました。翌年外務権少書記官となりました。明治27年から各大使を務め、日露開戦時にはロシア兼スウェーデン公使としてロシアに赴任していました。<br>そして明治34年にロシア駐箚特命全権公使となり、日露開戦前の対露交渉に努めました。同39年には初代フランス駐箚特命全権大使に就任し、日仏協約の締結及び通商条約改正交渉に尽力しました。</p><div class=" with-btn-primary text-center additionalClassesSet " style=""><p><a href="https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/035/01.html" target="_blank">栗野慎一郎に関する対談記事はこちら</a></p></div><h2>菊竹六皷</h2><p>菊竹六皷は、反軍の姿勢を貫いた硬骨のジャーナリストです。<br>明治13年1月25日福岡県で誕生した菊竹六皷は、幼時に手術の失敗により左脚が不自由となりましたが、屈せずに言論界を志し、東京専門学校(現 早稲田大学)を卒業後福岡日日新聞に入社しました。<br>菊竹六皷は、五・一五事件における少数軍人による虐待に対し、「首相兇手に斃る」「敢て国民の覚悟を促す」という社説をかかげて痛烈な軍部批判を行い、久留米師団をはじめとする軍部や右翼からの脅迫、不買運動などを招きましたが、頑として屈しなかったと言われています。</p><div class=" with-btn-primary text-center additionalClassesSet " style=""><p><a href="https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/036/01.html" target="_blank">菊竹六鼓に関する対談記事はこちら</a></p></div><h2>中村ハル</h2><p>中村ハルは、中村学園を創設した女性教育者の先駆者です。<br>明治17年6月1日に福岡県の西新町で誕生した中村ハルは横浜で小学校教員を勤めながら料理を研究していました。帝国ホテルや目黒雅叙園などの一流店に乗り込み、カレーで収益を上げ、のちに空襲で焼けた校舎再建の資金となりました。<br>昭和5年に福岡へ戻り、九州高等女学校に勤務しました。<br>中村ハルは「人間は頭の良し悪しや学力の優劣よりも何よりも人物が出来ていることが基本である」を信条として、日本人としての豊かな感性を持って、さらに知性と人間性のバランスのとれた女性を育成したいと、昭和24年に中村学園女子高等学校を設立しました。</p><div class=" with-btn-primary text-center additionalClassesSet " style=""><p><a href="https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/039/01.html" target="_blank">中村ハルに関する対談記事はこちら</a></p></div><h2>中村研一</h2><p>中村研一は、日本アカデミズムの巨匠です。<br>明治28年5月14日に福岡で誕生した中村研一は、明治42年に中学修猷館に入学し、絵画同好会「パレット会」を創立して西洋絵画を勉強しました。<br>大正3年に同校を卒業、美術学校進学を希望したが父の許可が得られず、京都に出て鹿子木孟郎の内弟子となったそうです。翌年には父の許可を得て上京し、東京美術学校西洋科に入学しました。<br>大正9年には帝展に「葡萄の葉蔭」で初入選、翌年「涼しきひま」で特選を受賞しました。そして同12年にはついに渡仏、モーリス・アスランに写実を学び、昭和5年には「弟妹集う」で帝国美術院賞を受賞しました。</p><div class=" with-btn-primary text-center additionalClassesSet " style=""><p><a href="https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/041/01.html" target="_blank">中村研一に関する対談記事はこちら</a></p></div><h2>金子堅太郎</h2><p>金子堅太郎は、明治期の官僚・政治家で、日本法律学校(現 日本大学)の初代校長となった人物です。<br>嘉永6年2月4日福岡藩主金子直道の長男として福岡で誕生した金子堅太郎は、明治4年からハーバード大学で法律学を専攻していました。<br>明治23年には貴族院書記官長を務めました。<br>同37年の日露戦争時には、ハーバード留学時代にセオドア・ルーズベルトアメリカ大統領と面識があった金子堅太郎はアメリカに渡って、日本の戦争遂行を有利にすべく外交交渉・外交工作を行いました。</p><div class=" with-btn-primary text-center additionalClassesSet " style=""><p><a href="https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/043/01.html" target="_blank">金子堅太郎に関する対談記事はこちら</a></p></div><h2>C・K・ドージャー</h2><p>C・K・ドージャーは、西南学院大学の創立者です。<br>明治12年アメリカのジョージア州で誕生したC・K・ドジャーは、マーサー大学、南部バプテスト神学校を卒業後、のちに西南女学院を設立する宣教師J・H・ロウと共に来日しました。キリスト教教育を基にした学校が必要ということで、大正5年4月福岡市中央区赤坂1丁目に、現在の読売新聞西部本社がある場所に当初、福岡市初の男子の私立中学校として私立西南学院を創設しました。<br>今もなお、C・K・ドジャーの遺言「西南よ、キリストに忠実になれ」に示されている教育理念は揺らぐことなく受け継がれています。</p><div class=" with-btn-primary text-center additionalClassesSet " style=""><p><a href="https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/045/01.html" target="_blank">C・K・ドージャーに関する対談記事はこちら</a></p></div><h2>中野正剛</h2><p>中野正剛は、純粋に国を憂いた政治家です。<br>明治19年2月12日福岡市で誕生した中野正剛は、早稲田大学を卒業後、同級生だった風見章とともに、東京朝日新聞を発行していた日報社に入社しました。大正9年から衆議院議員に連続して8回当選を果たしました。中野正剛の演説は名演説で、どこでも超満員だったようです。<br>昭和4年には浜口内閣の逓信政務次官となり、同11年に東方会を結成して南進論を唱えました。戦時下、独裁色を強める東條英機首相に反発し、痛烈な批判を行いました。その結果、同18年に警視庁特高部に逮捕されました。このことは「強引すぎる」として世間の反発を買い2か月ほどで釈放されましたが、その後まもなく割腹自殺を図り死去しました。自ら命を絶った明確な理由は今もわかっていません。</p><div class=" with-btn-primary text-center additionalClassesSet " style=""><p><a href="https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/048/01.html" target="_blank">中野正剛に関する対談記事はこちら</a></p></div><h2>松本治一郎</h2><p>松本治一郎は、部落解放の父と呼ばれた日本の政治家です。<br>明治20年6月18日に福岡で誕生した松本治一郎は、「私は被圧迫部落の貧農の子として生まれた」と語っているように決して裕福な暮らしはしていませんでした。父である次吉は、生活水準をあげるために、副業で履物の原材料となる桐の木や竹の皮を仕入れて売る仲買の仕事をして収入を得ていました。<br>そんな松本治一郎は、部落解放運動を草創期から指導し、部落解放同盟からは「部落解放の父」と呼ばれていました。<br>明治47年の新憲法下初の参議院選挙では、全国区から第4位で当選し、初代参議院副議長に選出されました。</p><div class=" with-btn-primary text-center additionalClassesSet " style=""><p><a href="https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/056/01.html" target="_blank">解放の父松本治一郎に関する対談記事はこちら</a></p></div>
<div class="img-container"><img src="https://cdn.qurate.cloud/2021/11/09/10/09/27/2048e990-85ac-4c33-9841-d537f6a1a5da/pixta_74265889_s.jpg" link_href="" link_target=""></div><p>西日本シティ銀行は、地域の活性化や豊かな地域社会づくりに取り組んでいます。また、関連財団を通じ、文化から国際交流までさらに幅広い活動を実践しています。地元の歴史や文化の伝承も、その取組みのひとつです。</p><p>西日本シティ銀行の前身である福岡相互銀行が1979年に発行した小冊子「博多に強くなろう」「北九州に強くなろう」。当時、「地域の歴史や文化について自ら学ぼう、そして多くの人にも知ってもらおう」という思いから、さまざまなテーマで専門家や郷土史家による座談会が開催されました。</p><p>その後、この冊子の発行は、合併によって誕生した新生・西日本シティ銀行に引き継がれ、2008年(平成30年)には100号を迎えました。近現代のテーマでは直接の関係者による証言もあり、貴重な史料といえます。</p><p>この記事では、そんな「博多に強くなろう」の中から人物に焦点を当てます。各人物の生きざまが躍動的に綴られた対談記事へのリンクも併せて掲載していますので、ぜひ当時の貴重な情報にも触れてみてください。</p><p></p><h2>小島与一</h2><p>小島与一は博多人形師です。<br>明治19年8月18日、福岡市で誕生した小島与一は小学校卒業後、日本画家の上田鉄耕に師事しました。その後、博多人形師の白水六三郎に入門し、「名人与一」と呼ばれ、数々の名作を世に残しました。<br>ヘラをほとんど使わず、親指だけで成形していったという製作スタイルやその早さ、そして何より、博多人形特有の「美人もの」「歌舞伎もの」「能もの」といった数々のモチーフのどんなものでも作ることができたというのが、小島与一が傑作していると言われる理由です。</p><div class=" with-btn-primary text-center additionalClassesSet " style=""><p><a href="https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/023/01.html" target="">小島与一に関する対談記事はこちら</a></p></div><h2>母里太兵衛</h2><p>母里太兵衛は、黒田節のモデルとなった人物です。黒田節は、黒田長政の家臣「母里太兵衛」のある逸話を唄にしたものだと言われています。<br>「もり」という読みから江戸幕府の文書などに「毛利」と誤記され、実際に一時期「毛利」と改姓したため毛利但馬、毛利太兵衛と表記されることも多いとか。<br>弘治2年に誕生した母里太兵衛は、黒田孝高・長政につかえ、先手大将をつとめました。黒田24騎の中でも特に重用された黒田8虎の一人です。<br>母里太兵衛は朝鮮出兵、関ケ原の戦いなどに従軍し、のちに嘉麻郡大隈城の城主となりました。</p><div class=" with-btn-primary text-center additionalClassesSet " style=""><p><a href="https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/024/01.html" target="_blank">母里太兵衛に関する対談記事はこちら</a></p></div><h2>明石元二郎</h2><p>明石基次郎は福岡出身の陸軍大将です。<br>元治元年9月1日に福岡藩士族の子として誕生した明石元二郎は、明治16年陸軍士官学校、同22年陸軍大学校を卒業しました。<br>明治35年、日露戦争が始まる前々年頃からロシアの日本への対応を調査したり、ロシア国内の革命派に資金援助をして国内のかく乱を図ったりと、いわゆるスパイ活動を行っていました。<br>明治37年日露戦争では秘密工作でロシア革命を支援して敵国の背後を揺さぶり、日本の勝利の影の立役者となりました。</p><div class=" with-btn-primary text-center additionalClassesSet " style=""><p><a href="https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/025/01.html" target="">明石元二郎に関する対談記事はこちら</a></p></div><h2>釜屋惣右衛門</h2><p>釜屋惣右衛門は、江戸時代の中期から幕末にかけて莫大な富を蓄えた博多の豪商です。<br>釜屋という屋号が表すとおり、もともとは金物類の販売者です。<br>釜屋惣右衛門は「釜惣」を名乗り、鉄の問屋と、櫨蝋(はぜろう)の製造・販売で利益をあげました。島井宗室、神屋宗湛、大賀宗九の「博多3傑」の影に埋もれてきた、もうひとりの博多の豪商です。<br>釜屋という屋号で博多のお店のなかで3番目に多い、126軒を持っている実力ナンバーワンの商人です。</p><div class=" with-btn-primary text-center additionalClassesSet " style=""><p><a href="https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/026/01.html" target="_blank">釜屋惣右衛門に関する対談記事はこちら</a></p></div><h2>緒方竹虎</h2><p>緒方竹虎は、朝日新聞社副社長を務めた政治家です。<br>明治21年1月30日山形県で誕生した緒方竹虎は、4歳の時に父の書記官の転任で福岡県に移り、小学校から中学校まで無遅刻・無欠席・無早退を通したとか。<br>そんな緒方竹虎は、早稲田大学卒業し明治44年に朝日新聞社に入社して政治部記者となりました。昭和18年には若くして副社長に就任しました。この間、二・二六事件の際には同社を襲った反乱軍と対決した話は有名になりました。戦争末期の昭和19年に退社して入閣し、戦後追放され追放解除後は吉田内閣で要務を歴任しました。</p><div class=" with-btn-primary text-center additionalClassesSet " style=""><p><a href="https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/034/01.html" target="">緒方竹虎に関する対談記事はこちら</a></p></div><h2>伊藤小左衛門</h2><p>伊藤小左衛門は、江戸時代初期に活躍した博多の豪商です。<br>天保14年5月18日に誕生した伊藤小左衛門は、大賀宗伯とともに福岡藩主黒田氏の御用商人となり、長崎代官の末次平蔵や西村隼人・大賀九郎左衛門ら商人達とともに、黒田氏に代わって海外との貿易活動を行いました。<br>しかし、寛文7年柳川領にあった平左衛門が、伊右衛門が対馬の小茂田勘左衛門と共謀して、武具を朝鮮に密売したという訴えを柳川藩当局にしたことから、伊藤小左衛門の密貿易が発覚しました。<br>密貿易の中心人物が伊藤小左衛門であり、伊藤小左衛門と浅見七左衛門の2人は磔刑となり、40数人の者が斬首・獄門などの死刑、同じく40数人が在所からの追放に処せられました。</p><div class=" with-btn-primary text-center additionalClassesSet " style=""><p><a href="https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/029/01.html" target="_blank">伊藤小左衛門に関する対談記事はこちら</a></p></div><h2>児島善三郎</h2><p>児島善三郎は、独立美術協会の創設者のひとりとして活躍した福岡出身の洋画家です。<br>明治26年2月13日に誕生した児島善三郎は、大正2年長崎医専薬学科を中退して上京し、岡田三郎助の指導する本郷洋画研究所に籍を置いたものの受験に失敗し、以後フランスに留学し独学をしました。<br>二科会会員を経て独立美術協会の結成に参加しました。豊かな色彩と豪快なフォルムを用いて、日本画と洋画を折衷した装飾性に富む画風を確立させました。</p><div class=" with-btn-primary text-center additionalClassesSet " style=""><p><a href="https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/032/01.html" target="">児島善三郎に関する対談記事はこちら</a></p></div><h2>朝雲、朝堂</h2><p>山崎朝雲、冨永朝堂は博多出身の著名な彫刻家です。<br>慶応3年2月17日に博多の陶工の家に誕生した山崎朝雲は、明治28年の第4回内国勧業博覧会に出品した「養老の孝子」が高村光雲に認められ弟子となりました。その後、米原雲海らと日本彫刻会を結成しました。木彫を手がけ、日本木彫の伝統を伝えながらも新生面を開きました。<br>明治30年福岡の家具製造業の子として誕生した冨永朝堂は、大正4年に上京して山崎朝雲に入門しました。<br>代表作「谷風」により日本木彫界に確固たる地位を築き、昭和19年には太宰府市の観世音寺の地にアトリエを構えて自由な創作活動を展開しました。そして昭和50年に西日本文化賞を受賞しました。</p><div class=" with-btn-primary text-center additionalClassesSet " style=""><p><a href="https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/033/01.html" target="_blank">朝雲、朝堂に関する対談記事はこちら</a></p></div>
<div class="img-container"><img src="https://cdn.qurate.cloud/2022/01/11/11/55/06/714a32f9-439f-47e6-86da-3165244eb7d7/resize-2-.jpg" link_href="" link_target=""></div><p>今話題の「泊まれるブックカフェ」が福岡にオープン。</p><p>西鉄天神大牟田線「天神駅」から徒歩8分、流行りの店が次々に誕生する人気の大名エリアにまたもや気になる新スポットがオープンしたと聞き、早速行ってきました。その名も「ランプライトブックスカフェ福岡」。<br>ホテルが併設されていて、このホテルのコンセプトは"本の世界を旅するホテル"とのこと。8階建てのスラリと伸びた建物の正面にはインパクトある「BOOKS」と「CAFE」という大きなサインボード。</p><div class="img-container"><img src="https://cdn.qurate.cloud/2022/01/11/11/55/13/e3900217-b542-4237-b11a-5740ab143aa8/resize-3-.jpg" link_href="" link_target=""></div><p>カフェも読書も大好きな私にはたまらないキーワードが輝いていて導かれるように店内へ。</p><p>ブックカフェは壁一面が本棚になっていてまさに本の世界の中に入った気分に。カフェを利用すれば本を購入することなく好きな読書に没頭できるという至福のひと時が過ごせるのです。</p><div class="img-container"><img src="https://cdn.qurate.cloud/2022/01/11/11/54/59/1be8f564-02cc-4990-8b15-0a4a3ee63b7b/resize-1-.jpg" link_href="" link_target=""></div><p>私が注文したのは、カフェラテ(550円)とチョコレートケーキ(275円)。<br>カフェラテはキュートなハートのラテアートが描かれていてほっこりとした気持ちにしてくれます。<br>チョコレートケーキは数種類のクリームとスポンジが層になっていて、しっとりとした上品な味わいでした。</p><div class="img-container"><img src="https://cdn.qurate.cloud/2022/01/11/11/55/31/540434b1-c678-4d8c-9ba2-28cd3c37e10c/resize-5-.jpg" link_href="" link_target=""></div><p>店内には珈琲を飲みながら友人と会話を楽しむ人たちや、横並びの席に座り一人でのんびり読書を楽しむ人、キャリーケースをひきながら本を手に取っている人まで、それぞれが思い思いの時間を過ごしていました。<br>そんな気ままに過ごせるカフェが24時間いつでも利用できるというのですからとても驚きです。</p><p>2階から8階までが客室です。宿泊者はカフェの本を購入せずとも部屋へ持ち込めます。客室には読者目線で設置された、調整光可能な照明やスタンドライト、リラックスした状態で本を読めるようにと全室ソファがありここならではのこだわりが楽しめます。</p><div class="img-container"><img src="https://cdn.qurate.cloud/2022/01/11/11/55/24/4e0befe0-f5d8-4761-919e-1480137f5402/resize-4-.jpg" link_href="" link_target=""></div><p>朝は1階のカフェで、数種類のクロワッサンやホットドックから好きなものを選べて、サラダとドリンクがセットになった嬉しい朝食セット(880円)やお得な朝食付宿泊プランもあるそうです。</p><div class="img-container"><img src="https://cdn.qurate.cloud/2022/01/11/11/54/52/192b6edb-4dc6-41f9-a616-c756d09fdb31/resize.jpg" link_href="" link_target=""></div><p>本好きはもちろん、いつもとは違った空間でのんびりとした時間を過ごしたい人や、ちょっとした旅行気分を味わいたい人などなど!さまざまなシーンで楽しめる場所となっていると思いますので、みなさん是非足を運んでみてください。</p><p>宿泊料金など詳細についてはこちらの公式ホームページをご確認ください。<a href="https://www.lamplightbookshotel.com/fukuoka/">https://www.lamplightbookshotel.com/fukuoka/</a></p><p></p><p>あわせて読みたい記事<br>■<a href="https://blog.ncbank.co.jp/posts/621" target="_blank">天神・博多エリアのカフェ5選|おしゃれ&おいしい話題のスイーツが楽しめる</a><br>■<a href="https://blog.ncbank.co.jp/posts/657" target="_blank">九州初出店、台湾カステラ専門店「 澎澎(ポンポン)天神店」がオープン。</a></p>
<div class="img-container"><img src="https://cdn.qurate.cloud/2021/10/29/18/05/17/a37f4f29-ff9c-4e3c-baba-e79a891c3921/pixta_70541658_s.jpg" link_href="" link_target=""></div><p>西日本シティ銀行は、地域の活性化や豊かな地域社会づくりに取り組んでいます。また、関連財団を通じ、文化から国際交流までさらに幅広い活動を実践しています。地元の歴史や文化の伝承も、その取組みのひとつです。</p><p>西日本シティ銀行の前身である福岡相互銀行が1979年に発行した小冊子「博多に強くなろう」「北九州に強くなろう」。当時、「地域の歴史や文化について自ら学ぼう、そして多くの人にも知ってもらおう」という思いから、さまざまなテーマで専門家や郷土史家による座談会が開催されました。</p><p>その後、この冊子の発行は、合併によって誕生した新生・西日本シティ銀行に引き継がれ、2008年(平成30年)には100号を迎えました。近現代のテーマでは直接の関係者による証言もあり、貴重な史料といえます。</p><p>この記事では、そんな「博多に強くなろう」の中から人物に焦点を当てます。各人物の生きざまが躍動的に綴られた対談記事へのリンクも併せて掲載していますので、ぜひ当時の貴重な情報にも触れてみてください。</p><p></p><h2>渡辺与八郎</h2><p>渡辺与八郎は、地名「渡辺通」にその名を残した人物です。<br>慶応2年5月1日、渡辺與一の長男として博多上西町に誕生した渡辺与八郎は、祖父が始めた呉服太物屋「紙與」を経営していました。<br>「町の繁栄と発展のために、道と橋をつくることは自分の使命」と信じた渡辺与八郎は、私財を投じて当時の福岡市および近隣村を巡回する道路を開いて、博多電気軌道(のち西鉄福岡市線循環線)を開業しました。開業後まもなく奇病により急死しますが、今もなお私たちはさまざまな場面でその恩恵に預かっています。</p><div class=" with-btn-primary text-center additionalClassesSet " style=""><p><a href="https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/001/01.html" target="_blank">渡辺与八郎に関する対談記事はこちら</a></p></div><h2>黒田如水と長政</h2><p>黒田如水は、兵庫県姫路城で誕生しました。豊臣秀吉の軍師として活躍し、九州征伐で恩賞を受け豊前国の6郡を与えられ、播磨国から豊前国へ移ります。<br>如水の子の長政は戦国三英傑である「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」に仕えた人物です。黒田長政は、関ケ原の戦いで戦功を上げ、ついには52万石の領土を持つ初代福岡藩主になりました。<br>黒田如水・長政親子は筑前国へ移り、福岡城を築城します。築城のプロ如水と勇将長政親子によって、城下町「福岡」と古くからの商人の町「博多」という現在の福岡市にも通じる双子都市の性格が作られたと言えます。<br>なお、御鷹屋敷は如水が晩年を過ごした所で、現在は「牡丹芍楽園」として親しまれています。</p><div class=" with-btn-primary text-center additionalClassesSet " style=""><p><a href="https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/005/01.html" target="">黒田如水と長政に関する対談記事はこちら</a></p></div><h2>仙厓(せんがい)さん</h2><p>仙厓義梵(せんがいきぼん)は、日本最初の禅寺である聖福寺の住職を務めた禅僧です。<br>寛延3年、農民井藤甚八の子として誕生した仙厓義梵は、親しみやすい書画を通して禅の教えをわかりやすく伝えたことから「博多の仙厓さん」と呼ばれ人々に慕われました。<br>39歳のときから博多の聖福寺の岩盤紹適の法嗣となり、住井を23年務め、88歳で遷化するまでに、多くの洒脱な絵画(禅画)を残しました。本格的に絵を描き始めたのは40代後半になってからと見られています。<br>83歳の時、庭に「絶筆の碑(いしぶみ)」を建て断筆宣言をしましたが結局やめられず、没年まで作品は残っています。</p><div class=" with-btn-primary text-center additionalClassesSet " style=""><p><a href="https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/007/01.html" target="">仙厓さんに関する対談記事はこちら</a></p></div><h2>広田弘毅</h2><p>広田弘毅は福岡県出身者で初めて総理大臣になった人物です。<br>明治11年2月14日、福岡市で石材店を営む広田徳平の息子として誕生した広田弘毅は、大名小学校、中学修猷館、第一高等学校、東京大学へと進み、外務省に入省します。<br>外務省に入省した広田弘毅は駐ソ連大使や外務大臣を経て、昭和11年3月に2.26事件の後を受ける形で総理大臣に就任しますが、軍部の横暴に抗しきれず翌12年1月23日に総辞任しました。<br>福岡市美術館付近にある護国神社大鳥居前駐車場の横には、広田弘毅総理大臣の銅像が建っています。</p><div class=" with-btn-primary text-center additionalClassesSet " style=""><p><a href="https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/013/01.html" target="">広田弘毅に関する対談記事はこちら</a></p></div><h2>川上音二郎</h2><p>川上音二郎は「オッペケペー節」で一世を風靡した、明治時代の演劇界で活躍した人物です。<br>文久4年1月1日に博多で誕生した川上音二郎は、14歳で上京し自由党壮士となり自由童子を名のっていました。自由民権運動に対する取締りが厳しくなると大阪で落語家佳文之助に入門し、浮世亭○○と名のり、時事を風刺したオッケペケー節で人気を得ました。<br>明治44年、急性腹膜炎により死去しました。「汽車が眺められるところに」という川上音二郎の遺言によって、当時博多駅が近くに合った承天寺に葬られました。</p><div class=" with-btn-primary text-center additionalClassesSet " style=""><p><a href="https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/015/01.html" target="">川上音二郎に関する対談記事はこちら</a></p></div><h2>野村望東尼</h2><p>野村望東尼は、維新の母と呼ばれた女流勤皇歌人です。<br>文化3年9月6日、福岡藩士・浦野重右衛門勝幸の三女として誕生した野村望東尼は、13歳の時に林五左衛門家に行儀見習いとして仕えて、学門や裁縫手芸など多芸な趣味を覚えました。17歳のときに一度結婚するも離婚し、24歳で再び野村新三郎貞貫のもとに後妻として嫁ぎました。<br>野村望東尼は、病に倒れた高杉晋作の最期を看取る事となり、晋作が「おもしろきこともなき世をおもしろく」と詠じて力尽きた際に「すみなすものはこころなりけり」と下の句を続けて読んだことが有名になりました。</p><div class=" with-btn-primary text-center additionalClassesSet " style=""><p><a href="https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/019/01.html" target="">野村望東尼に関する対談記事はこちら</a></p></div><h2>貝原益軒</h2><p>貝原益軒は、日本のアリストテレスと言われた江戸時代の大学者です。<br>寛永7年11月14日、福岡県で生まれ育った貝原益軒は幼時に父の転職で各地に転居し民間で生活した経験が「民生日用の学」を志す契機となりました。当初、黒田藩に仕えていましたが藩主の怒りにふれ、数年間の浪人生活を余儀なくされました。<br>その後、京都に留学し本草学や朱子学を学び、藩に戻ってからは藩主や藩士に儒書を講義しつつ、「黒田家譜」や「筑前国続風土記」を編集したり、朝鮮通信使の対応なども行いました。自然文学においては「大和本草」を発行しました。<br>更に、教訓書「養生訓」「和俗童子訓」を執筆し独自の精神修養法を示しました。</p><div class=" with-btn-primary text-center additionalClassesSet " style=""><p><a href="https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/011/01.html" target="">貝原益軒に関する対談記事はこちら</a></p></div><h2>黒田長溥</h2><p>黒田長溥は、藩校修猷館を再興させたことで知られる幕末の福岡藩主です。<br>文化8年3月1日、薩摩藩主島津重豪の9男として誕生した黒田長溥は、特に学問奨励に心を用いて、洋学導入に努めて、藩の子弟の教育に終生絶大な熱情を傾けました。世界情勢についても高い見識を持っており、開国を主張していました。<br>万延1年の桜田門外の変前後には藩内勤王党との調整が困難となり、月形洗蔵や海津幸一らを弾圧し、福岡藩は維新回天の業に大きく後れをとることとなりました。<br>そして、西南戦争の際には政府と島津家との仲介調停に当たりました。</p><div class=" with-btn-primary text-center additionalClassesSet " style=""><p><a href="https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/hakata/021/01.html" target="_blank">黒田長溥に関する対談記事はこちら</a></p></div>
<div class="img-container"><img src="https://cdn.qurate.cloud/2021/10/18/18/06/26/725a3aeb-7942-4924-8d75-6b42d3d1dbd3/pixta_77046062_s.jpg" link_href="" link_target=""></div><p>西日本シティ銀行は、地域の活性化や豊かな地域社会づくりに取り組んでいます。また、関連財団を通じ、文化から国際交流までさらに幅広い活動を実践しています。地元の歴史や文化の伝承も、その取り組みのひとつです。</p><p>西日本シティ銀行の前身である福岡相互銀行が1979年に発行した小冊子「博多に強くなろう」「北九州に強くなろう」。当時、「地域の歴史や文化について自ら学ぼう、そして多くの人にも知ってもらおう」という思いから、さまざまなテーマで専門家や郷土史家による座談会が開催されました。</p><p>その後、この冊子の発行は、合併によって誕生した新生・西日本シティ銀行に引き継がれ、2008年(平成30年)には100号を迎えました。近現代のテーマでは直接の関係者による証言もあり、貴重な史料といえます。</p><p>この記事では、そんな「北九州に強くなろう」の中から人物に焦点を当てます。各人物の生きざまが躍動的に綴られた対談記事へのリンクも併せて掲載していますので、ぜひ当時の貴重な情報にも触れてみてください。</p><p></p><h2>杉田久女</h2><p>杉田久女は、昭和初期に活躍した日本を代表する女性俳句の先駆者です。<br>本名は杉田久です。明治23年5月30日、鹿児島市で赤堀廉蔵、さよの三女として誕生した杉田久女は、父の転勤に伴い鹿児島から沖縄、さらに台湾へ転居を重ねました。その後明治35年、名門の女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)付属高等女学校に入学します。<br>杉田久女が詠む俳句は、男性に劣らぬ格調の高さと華やかさのある句で知られています。<br>家庭内の不和、師である虚子との確執など、その悲劇的な人生はたびたび小説の素材になりました。<br>高浜虚子に師事し、句誌「花衣」を創刊主宰。ふうがわりともみられる激しい言動のために「ホトトギス」同人となりますが、後に除名されました。</p><div class=" with-btn-primary text-center additionalClassesSet " style=""><p><a href="https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/kitakyushu/003/01.html" target="_blank">杉田久女に関する対談記事はこちら</a></p></div><h2>火野葦平</h2><p>火野葦平は、昭和戦前・戦後期の故郷と河童を愛した男として知られる小説家です。<br>本名は玉井勝則です。明治40年1月25日に福岡県若松市で玉井金太郎、マンの長男として誕生した火野葦平は、小倉中学時代から文学に関心を寄せ、早稲田大学高等学院のときには童話集を自費出版しました。<br>日中戦争応召中に「糞尿譚」が芥川賞を受賞しました。次いで「麦と兵隊」「土と兵隊」「花と兵隊」とあわせた「兵隊3部作」は300万部を超えるベストセラーとなりました。<br>日中戦争に応召中だったため陣中で授与式が行われて話題となり、帰還後は兵隊作家と呼ばれてマスコミにもてはやされていました。</p><div class=" with-btn-primary text-center additionalClassesSet " style=""><p><a href="https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/kitakyushu/005/01.html" target="_blank">火野葦平に関する対談記事はこちら</a></p></div><h2>松本清張</h2><p>松本清張は、日本の文学史上初めて出現した多様にして明確な個性を有する作家です。<br>「せいちょう」はペンネームで、本名は「きよはる」と読みます。<br>明治42年12月21日に福岡県小倉で出生届が提出されましたが、実際には同年2月12日に広島市で生まれたと推測されています。一人っ子だったため、両親には溺愛されていたそうです。<br>松本清張はウェイター、印刷工などの種々の職を経て朝日新聞西部本社に入社しました。<br>41歳で懸賞小説に応募し、入選した「西郷札」が直木賞候補となり、昭和28年に「或る『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞しました。1958年の「点と線」は推理小説界に社会派の新風を生み、松本清張ブームとなりました。日本現代史や古代史のノンフィクション分野でも活躍しました。</p><div class=" with-btn-primary text-center additionalClassesSet " style=""><p><a href="https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/kitakyushu/006/01.html" target="_blank">松本清張に関する対談記事はこちら</a></p></div><h2>平野遼</h2><p>平野遼は、現代の苦悩を卓抜な筆力であらわした洋画家です。<br>本名は平野明です。昭和2年2月8日に大分県で誕生した平野遼は、生後間もなく福岡県北九州市八幡東区に転居しました。<br>小学3年生の頃から技法書等により絵を独学する一方、通信教育で挿絵を学びました。<br>昭和24年第13回新制派展に蝋画「やまびこ」で初入選をしました。昭和26年第15回自由美術家協会展に「詩人」で初入選し、以後同展に出品を続けました。そして昭和28年第17回同展に「白い家」「兄弟」を出品して優秀作家賞を受賞しました。<br>その後、昭和62年北九州市立美術館にて「平野遼の世界展」を開催し、西日本文化賞を受賞しましたが平成4年12月24日に心不全のため他界しました。</p><div class="with-btn-primary text-center additionalClassesSet " style=""><p><strong><a href="https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/kitakyushu/007/01.html" target="_blank">平野遼に関する対談記事はこちら</a></strong></p></div><h2>末松謙澄</h2><p>末松謙澄は、日本の明治から大正期のジャーナリスト・政治家・歴史家です。<br>安政2年8月20日に福岡県行橋市に大庄屋末松房澄・伸子の4男として誕生しました。<br>末松謙澄は明治4年に上京後、東京日日新聞に入社しました。11年在英公使館書記として勤務していましたが、歴史の勉強に集中するため明治13年にケンブリッジ大学へ留学をしました。<br>「源氏物語」の英訳を書いたり、イギリス詩人の詩を多数邦訳しました。明治17年12月には法学士を取得しました。帰国後、20年内務省県治局長、そして29年貴族議員を務めました。</p><div class="with-btn-primary text-center additionalClassesSet " style=""><p><a href="https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/kitakyushu/009/01.html" target="_blank">末松謙澄に関する対談記事はこちら</a></p></div><h2>佐藤慶太朗</h2><p>佐藤慶太郎は、東京府美術館を建てた石炭の神様と呼ばれています。<br>明治元年10月9日、福岡県北九州市に父孔作と母なをの長男として誕生した佐藤慶太郎は、19歳で福岡県立英語専修修猷館(現、修猷館高等学校)に入学しました。入学当時はアルファベットも知らず、英米の教科書を使った授業であったため成績は下位にありましたが、必死で勉学に励んだことで2年目にはっ上位の成績を修めることができました。その後、法律家を志し修猷館を中退し、明治法律学校(現、明治大学)に入学しました。卒業後、帰郷し石炭商の仕事に就きました。独立後に炭鉱経営者として成功を収めました。<br>しかし持病の胃腸病が悪化したため経営の第一線から退き、大正7年に若松市会議長に就任しました。</p><div class="with-btn-primary text-center additionalClassesSet " style=""><p><a href="https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/kitakyushu/017/01.html" target="_blank">佐藤慶太郎に関する対談記事はこちら</a></p></div><h2>藤田哲也</h2><p>藤田哲也は、日本・アメリカ合衆国の気象学者です。<br>大正9年10月23日、福岡県北九州市で誕生した藤田哲也は、トルネードによる建物の破壊の程度などからその最大風速を推定する方法を考案し、F-Scaleとして提唱しました。このF-Scaleは、国立気象局で昭和48年から採用され、現在では国際的な基準として広く用いられています。<br>また、観測実験で得た難解な数式なども、見やすい立体図などの図解にしてしまうことから「気象界のディズニー」とも呼ばれていました。<br>平成3年シカゴ大学名誉教授となり、勲二等瑞宝章を受章しました。そして日本気象学会の最高の名誉である藤原賞を受賞しました。</p><div class="with-btn-primary text-center additionalClassesSet " style=""><p><a href="https://www.ncbank.co.jp/corporate/chiiki_shakaikoken/furusato_rekishi/kitakyushu/018/01.html" target="_blank">藤田哲也に関する対談記事はこちら</a></p></div><h2>まとめ</h2><p>以上、「北九州に強くなろう」の中から、北九州にゆかりのある人物をピックアップしてご紹介しました。</p><p>皆さまいかがだったでしょうか。さまざまな発見があったのではないでしょうか。<br>実際に調べていくなかで、ここだけでは収まりきらないほど十人十色の興味深いストーリーがありました。</p><p>これを機に地元福岡の歴史、文化について興味を持っていただけると嬉しいです。西日本シティ銀行では地元福岡にゆかりのある偉人たちの書籍もご紹介しておりますので、是非そちらもチェックしてみてください。</p>
<div class="img-container"><img src="https://cdn.qurate.cloud/2021/12/08/15/33/32/eb72e2f4-9e78-4a70-8ba0-ac1d538c70f6/pixta_48413075_s.jpg" link_href="" link_target=""></div><p>今年も残すところあと1か月となりました。</p><p>2021年も「地域の元気を応援する」をテーマに、皆さんの生活を豊かにするさまざまな情報をお届けしてまいりました。</p><p>この記事では、数ある記事の中から、今年最も読まれた記事をカテゴリー別にランキングでご紹介します。</p><h2>お金にまつわる記事部門</h2><h5>第5位.【世帯・男女別】30代の平均貯金額まとめ|理想の貯蓄目安&今から始める賢い貯め方とは</h5><p>結婚や住宅購入などライフスタイルに変化が訪れる機会も多い30代。理想の貯蓄目安は。</p><p><a href="https://blog.ncbank.co.jp/posts/276">https://blog.ncbank.co.jp/posts/276</a></p><h5>第4位.夫のお小遣いの相場はいくら?サラリーマンの平均&内訳をご紹介</h5><p>夫婦の問題として多いであろうお小遣い問題。周りはいくらもらっているの?何につかっているの?気になる結果はこちら。</p><p><a href="https://blog.ncbank.co.jp/posts/husband-pocketmoney-average">https://blog.ncbank.co.jp/posts/husband-pocketmoney-average</a></p><h5>第3位.住民税非課税世帯の年収条件はいくらまで?受給のメリット・デメリットも解説</h5><p>皆さんはご自身の住民税がいくらかかっているかをご存知でしょうか。<br>また、非課税世帯が受けられる優遇措置についてもいくつかご紹介します。</p><p><a href="https://blog.ncbank.co.jp/posts/354">https://blog.ncbank.co.jp/posts/354</a></p><h5>第2位.40歳の平均貯金額はいくら?40代の世帯・男女別理想貯蓄額から貯めるコツまでを解説</h5><p>子どもがいる家庭は学費がかさむ40代。みんなどうやって貯めているの?貯金のコツを伝授します。</p><p><a href="https://blog.ncbank.co.jp/posts/280">https://blog.ncbank.co.jp/posts/280</a></p><h5>第1位.お金の勉強にオススメの本10冊|初心者でもお金の基本~応用まで知識が身につく</h5><p>第1位はこちらの記事。読むだけでお金の基本から応用まで役立つ情報満載のおすすめの本をご紹介。</p><p><a href="https://blog.ncbank.co.jp/posts/195">https://blog.ncbank.co.jp/posts/195</a></p><h2>暮らしにまつわる記事部門</h2><h5>第5位.団体信用生命保険に入れない病気とは?加入の条件&審査に通らない場合の対処法</h5><p>住宅ローン契約の際に必ずといっていいほど話題にあがる団信。審査に通らない場合、どうしたらいいの?</p><p><a href="https://blog.ncbank.co.jp/posts/193">https://blog.ncbank.co.jp/posts/193</a></p><h5>第4位.【2021年最新】おすすめ睡眠グッズを紹介!眠りの質が上がる快眠アイテム6選</h5><p>質のよい睡眠はとれていますか?眠りが浅い、なかなか寝付けない、そんなお悩みをもつ人はぜひ参考にしてほしい記事です。</p><p><a href="https://blog.ncbank.co.jp/posts/88">https://blog.ncbank.co.jp/posts/88</a></p><h5>第3位.【2021年最新】消費税の軽減税率はいつまで続く?適用期間・対象品目をおさらい</h5><p>消費税の軽減税率について改めておさらいします。あなたは正しく理解していますか?</p><p><a href="https://blog.ncbank.co.jp/posts/200">https://blog.ncbank.co.jp/posts/200</a></p><h5>第2位.屋号を決めるときは画数がポイント!運気が上がる縁起が良い屋号の名付け方</h5><p>会社を立ち上げるとき、子どもの名前を決めるように大事なのが屋号。運気をあげるにはどのよう決めたらいいの?</p><p><a href="https://biz.ncbank.co.jp/posts/269">https://biz.ncbank.co.jp/posts/269</a></p><h5>第1位.ベビーベッド卒業後はどこで寝る?先輩ママが経験談をふまえてご紹介</h5><p>堂々の第1位はこちら。出産・子育てをするうえで同じ悩みを抱えている方も多いのでは。先輩ママの体験談を交えてご紹介。</p><p><a href="https://blog.ncbank.co.jp/posts/37">https://blog.ncbank.co.jp/posts/37</a></p><h2>福岡にまつわる記事部門</h2><h5>第5位.福岡の生活費は平均でいくら?≪一人暮らし~家族別≫一か月の費用を徹底解剖</h5><p>生きるうえで必要不可欠な生活費。皆さんは毎月いくらかかっていますか。<br>福岡県内のリアルな生活費を公開します。</p><p><a href="https://blog.ncbank.co.jp/posts/fukuoka-average-living-expences">https://blog.ncbank.co.jp/posts/fukuoka-average-living-expences</a></p><h5>第4位.【福岡】私立大学の学費を徹底比較!入学金・授業料などの費用をチェック</h5><p>私立大学は、国公立大学に比べると学費がかかります。実際にいくら準備したらいいのか気になる人が多いのでは。こちらの記事を参考にご覧ください。</p><p><a href="https://blog.ncbank.co.jp/posts/fukuoka-private-university-tuition">https://blog.ncbank.co.jp/posts/fukuoka-private-university-tuition</a></p><h5>第3位.【福岡】私立高校の学費は平均いくら?入学金・授業料などの年間費用をご紹介</h5><p>私立大学に続いて私立高校の学費に関する記事がランクイン。高校でもこんなにお金が必要なの!?</p><p><a href="https://blog.ncbank.co.jp/posts/fukuoka-private-high-school-tuition">https://blog.ncbank.co.jp/posts/fukuoka-private-high-school-tuition</a></p><h5>第2位.県外にウケる博多弁15選!日常会話で使われる福岡のかわいい方言一覧や意味を紹介</h5><p>そのかわいい響きから、全国的に人気が高い博多弁。日常的につかっている人も多いのではないでしょうか。ばりかわいいけんチェックしてみりー♪</p><p><a href="https://blog.ncbank.co.jp/posts/546">https://blog.ncbank.co.jp/posts/546</a></p><h5>第1位.福岡県の平均年収まとめ!男女別・年代別・職業別の年間収入をFPが徹底調査</h5><p>第1位は福岡県内の平均年収に関する記事という結果になりました。年代や職種別のよりリアルな数字がまるわかり。気になる方は早速チェック。</p><p><a href="https://blog.ncbank.co.jp/posts/47">https://blog.ncbank.co.jp/posts/47</a></p><h2>まとめ</h2><p>以上、今年最も読まれた記事ランキングのご紹介でした。<br>いかがだったでしょうか。皆さんのお気に入りの記事はランクインしていましたか?<br>来年もGo!Go!ワンクで地域に根ざした、さまざまな情報を発信してまいりますので2022年もどうぞよろしくお願いいたします。</p><p><u>あわせて読みたい記事<br></u>■<a href="https://blog.ncbank.co.jp/posts/621" target="">天神・博多エリアのカフェ5選|おしゃれ&おいしい話題のスイーツが楽しめる</a><br>■<a href="https://blog.ncbank.co.jp/posts/581" target="">福岡から世界へ ペーパー・スクリーン版画で潤いの時間を。版画家大場敬介氏インタビュー。</a></p>
<div class="img-container"><img src="https://cdn.qurate.cloud/2021/11/30/15/12/36/870be3a1-6efc-4f2d-ad03-8e3eb4292c86/-------------.jpg" link_href="" link_target=""></div><p></p><p>「日本の神様と舞い踊ろう~地域に根付く神楽と神舞~」(西日本シティ銀行と公益財団法人福岡文化財団の共催)は、より多くのみなさんに日本の伝統芸能に触れる機会を持って欲しいという願いと、地域文化の伝承と発展に寄与できればという思いから地域に根付いた「神楽」や「神舞」を紹介しています。</p><p>7回目となる令和4年(2022年)2月20日(日)開催の本公演に200名を無料ご招待します。この機会に日本の伝統文化をご堪能ください。</p><h5>「日本の神様と舞い踊ろう~地域に根付く神楽と神舞~」<br>・全席指定200名ご招待</h5><p><strong>開催日:令和4年(2022年)2月20日(日)</strong></p><p><strong>時 間:15時開演 17時終演予定(開場14時30分)</strong></p><p><strong>会 場:大濠公園能楽堂(福岡市中央区大濠公園1番5号)</strong></p><p><strong>参加団体:愛宕神社(福岡市西区)、太祖神楽(篠栗町)、福井神楽(糸島市)、岩屋神楽(豊前市)</strong></p><h5>申込み方法:</h5><p>1.WEB の場合 <br>URL:<a href="https://fihb.f.msgs.jp/webapp/form/22521_fihb_197/index.do">https://fihb.f.msgs.jp/webapp/form/22521_fihb_197/index.do</a> より必要事項 を入力のうえ、お申込みください。 </p><p>2.ハガキの場合 <br>ご来場者全員の①お名前 ②フリガナ ③郵便番号 ④住所 ⑤電話番号 ⑥年齢⑦メールアドレスを明記のうえ、お申込みください。 (1 枚で 2 名までお申込み頂けます。) <宛先> 〒810-0001 福岡市中央区天神 1-4-1-10F 西日本新聞イベントサービス内 「日本の神様と舞い踊ろう」事務局 宛 </p><p>3.FAX の場合<br>(FAX 送付先:092-731-5210) チラシ裏面の専用お申込み用紙に記入のうえ、お申込みください。 ※チラシはこちらからダウンロードできます。<br><a href="https://www.ncbank.co.jp/noren/news/2021/__icsFiles/afieldfile/2021/11/24/211201-2_1.pdf">https://www.ncbank.co.jp/noren/news/2021/__icsFiles/afieldfile/2021/11/24/211201-2_1.pdf</a></p><p><strong>2022 年 1 月 14 日(金)必着</strong></p><p> ※当選者には2月上旬に招待券をお送りします。応募多数の場合は抽選とし、招待券の発送をもって 発表とさせていただきます。</p><h6></h6><div class="img-container"><img src="https://cdn.qurate.cloud/2021/12/06/09/36/26/01aae2f7-4031-4889-b1a9-f939d27a0654/-----2021-12-02-155814.jpg" link_href="" link_target=""></div><h5>◆参加団体のご紹介(順不同)◆</h5><h6><strong>< 神 舞 ></strong></h6><h6><strong>愛宕神社/福岡市西区 【演目】 「浦安の舞(うらやすのまい)」</strong></h6><p>愛宕神社は日本三大愛宕で有名で、福岡最古の歴史があります。御祭神は、伊弉諾尊、伊弉冉尊、火産靈命、天忍穂耳尊、宇賀魂神、素戔嗚尊、日本武尊をお祀りし、縁結び・厄除・商売繁盛等全ての御祈願に御利益があります。初詣は50万人の参拝者で大いに賑わい、神社一の桜の名所です。「浦安の舞」は、平安を祈る巫女神楽であり、愛宕神社は正月・春季・夏季・愛宕神社創建を祝う秋季例大祭の際に平安無事を祈り奉納されております。</p><h6><strong>< 神 楽 ></strong></h6><h6>太祖神楽/篠栗町 【演目】 「四剣の舞(しけんのまい)」</h6><p>慶長年間(1596~1615)に福岡藩主黒田長政が神道集団の統合策の一つとして、各郡毎に神職による神楽座を組織させ、糟屋郡の総社としての役割をもたせ6神を太祖神社に合祀奉納させました。明治維新と共に神職による神楽座は解体されましたが、大正3年(1914)、神楽の名手といわれた太祖宮の神官佐々雪(さっさせつ)が氏子たちに伝授し、現在に受け継がれてきました。現在は「榊」「御幣」「四手」「平手」「蟇目」「四剣」「磐戸」「蛭子」の八舞の中から演目を選んで、太祖神社の春季(4月)、秋季大祭(10月)に合せて神社内の神楽殿にて太祖神楽の奉納を行っています。 </p><h6>福井神楽/糸島市二丈福井 福井白山神社(糸島市指定無形民俗文化財) 【演目】 「弓の舞(ゆみのまい)」</h6><p>明治20年に氏子-青年・壮年11人が舞っていたという記録がありますが、いつ頃から始まったかは定かではありません。筑前国田島郷から神楽師を迎えたと伝わっています。明治の終わりには一度は途絶えましたが大正14年に復活、昭和32年頃までは精力的に舞われていた記録が残っています。その後、神楽師の高齢化に伴い、しばらく中断、昭和48年1月、福井区民200世帯が一丸になって「福井神楽保存会」を結成し見事に復活させ、毎年5月第二日曜日に奉納されています。現在は24演目ですが、「弓の舞」や「龍の宮」など、他の芸能や別系統の神楽の要素を多く取り込んだ神楽です。</p><h6>岩屋神楽/豊前市 【演目】 「駈仙(みさき)」</h6><p>旧豊前の国に伝えられる「豊前神楽」は2016年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。その歴史が記録に現れるのは江戸時代になってからですが、室町時代には山伏たちによって演じられていたと考えられています。神楽の主役は駈仙(御先)と呼ばれる鬼で、多くの演目に登場します。人々は子どもたちを鬼に抱かせることで無病息災を祈り、鬼がもつ不思議な力に暮らしの安寧を求め、神楽を奉納したのでしょう。</p><p></p><p>主 催: 西日本シティ銀行、公益財団法人福岡文化財団 <br>後 援 :福岡県、福岡県教育委員会、公益財団法人福岡市文化芸術振興財団</p><p>■お問い合わせ・西日本新聞イベントサービス内 「日本の神様と舞い踊ろう」事務局 TEL092-711-5491(平日のみ9:30~17:30)</p>