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北九州の偉人7選|ゆかりがある人物を通して北九州の歴史を学ぼう

西日本シティ銀行は、地域の活性化や豊かな地域社会づくりに取り組んでいます。また、関連財団を通じ、文化から国際交流までさらに幅広い活動を実践しています。地元の歴史や文化の伝承も、その取り組みのひとつです。

西日本シティ銀行の前身である福岡相互銀行が1979年に発行した小冊子「博多に強くなろう」「北九州に強くなろう」。当時、「地域の歴史や文化について自ら学ぼう、そして多くの人にも知ってもらおう」という思いから、さまざまなテーマで専門家や郷土史家による座談会が開催されました。

その後、この冊子の発行は、合併によって誕生した新生・西日本シティ銀行に引き継がれ、2008年(平成30年)には100号を迎えました。近現代のテーマでは直接の関係者による証言もあり、貴重な史料といえます。

この記事では、そんな「北九州に強くなろう」の中から人物に焦点を当てます。各人物の生きざまが躍動的に綴られた対談記事へのリンクも併せて掲載していますので、ぜひ当時の貴重な情報にも触れてみてください。

杉田久女

杉田久女は、昭和初期に活躍した日本を代表する女性俳句の先駆者です。
本名は杉田久です。明治23年5月30日、鹿児島市で赤堀廉蔵、さよの三女として誕生した杉田久女は、父の転勤に伴い鹿児島から沖縄、さらに台湾へ転居を重ねました。その後明治35年、名門の女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)付属高等女学校に入学します。
杉田久女が詠む俳句は、男性に劣らぬ格調の高さと華やかさのある句で知られています。
家庭内の不和、師である虚子との確執など、その悲劇的な人生はたびたび小説の素材になりました。
高浜虚子に師事し、句誌「花衣」を創刊主宰。ふうがわりともみられる激しい言動のために「ホトトギス」同人となりますが、後に除名されました。

火野葦平

火野葦平は、昭和戦前・戦後期の故郷と河童を愛した男として知られる小説家です。
本名は玉井勝則です。明治40年1月25日に福岡県若松市で玉井金太郎、マンの長男として誕生した火野葦平は、小倉中学時代から文学に関心を寄せ、早稲田大学高等学院のときには童話集を自費出版しました。
日中戦争応召中に「糞尿譚」が芥川賞を受賞しました。次いで「麦と兵隊」「土と兵隊」「花と兵隊」とあわせた「兵隊3部作」は300万部を超えるベストセラーとなりました。
日中戦争に応召中だったため陣中で授与式が行われて話題となり、帰還後は兵隊作家と呼ばれてマスコミにもてはやされていました。

松本清張

松本清張は、日本の文学史上初めて出現した多様にして明確な個性を有する作家です。
「せいちょう」はペンネームで、本名は「きよはる」と読みます。
明治42年12月21日に福岡県小倉で出生届が提出されましたが、実際には同年2月12日に広島市で生まれたと推測されています。一人っ子だったため、両親には溺愛されていたそうです。
松本清張はウェイター、印刷工などの種々の職を経て朝日新聞西部本社に入社しました。
41歳で懸賞小説に応募し、入選した「西郷札」が直木賞候補となり、昭和28年に「或る『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞しました。1958年の「点と線」は推理小説界に社会派の新風を生み、松本清張ブームとなりました。日本現代史や古代史のノンフィクション分野でも活躍しました。

平野遼

平野遼は、現代の苦悩を卓抜な筆力であらわした洋画家です。
本名は平野明です。昭和2年2月8日に大分県で誕生した平野遼は、生後間もなく福岡県北九州市八幡東区に転居しました。
小学3年生の頃から技法書等により絵を独学する一方、通信教育で挿絵を学びました。
昭和24年第13回新制派展に蝋画「やまびこ」で初入選をしました。昭和26年第15回自由美術家協会展に「詩人」で初入選し、以後同展に出品を続けました。そして昭和28年第17回同展に「白い家」「兄弟」を出品して優秀作家賞を受賞しました。
その後、昭和62年北九州市立美術館にて「平野遼の世界展」を開催し、西日本文化賞を受賞しましたが平成4年12月24日に心不全のため他界しました。

末松謙澄

末松謙澄は、日本の明治から大正期のジャーナリスト・政治家・歴史家です。
安政2年8月20日に福岡県行橋市に大庄屋末松房澄・伸子の4男として誕生しました。
末松謙澄は明治4年に上京後、東京日日新聞に入社しました。11年在英公使館書記として勤務していましたが、歴史の勉強に集中するため明治13年にケンブリッジ大学へ留学をしました。
「源氏物語」の英訳を書いたり、イギリス詩人の詩を多数邦訳しました。明治17年12月には法学士を取得しました。帰国後、20年内務省県治局長、そして29年貴族議員を務めました。

佐藤慶太朗

佐藤慶太郎は、東京府美術館を建てた石炭の神様と呼ばれています。
明治元年10月9日、福岡県北九州市に父孔作と母なをの長男として誕生した佐藤慶太郎は、19歳で福岡県立英語専修修猷館(現、修猷館高等学校)に入学しました。入学当時はアルファベットも知らず、英米の教科書を使った授業であったため成績は下位にありましたが、必死で勉学に励んだことで2年目にはっ上位の成績を修めることができました。その後、法律家を志し修猷館を中退し、明治法律学校(現、明治大学)に入学しました。卒業後、帰郷し石炭商の仕事に就きました。独立後に炭鉱経営者として成功を収めました。
しかし持病の胃腸病が悪化したため経営の第一線から退き、大正7年に若松市会議長に就任しました。

藤田哲也

藤田哲也は、日本・アメリカ合衆国の気象学者です。
大正9年10月23日、福岡県北九州市で誕生した藤田哲也は、トルネードによる建物の破壊の程度などからその最大風速を推定する方法を考案し、F-Scaleとして提唱しました。このF-Scaleは、国立気象局で昭和48年から採用され、現在では国際的な基準として広く用いられています。
また、観測実験で得た難解な数式なども、見やすい立体図などの図解にしてしまうことから「気象界のディズニー」とも呼ばれていました。
平成3年シカゴ大学名誉教授となり、勲二等瑞宝章を受章しました。そして日本気象学会の最高の名誉である藤原賞を受賞しました。

まとめ

以上、「北九州に強くなろう」の中から、北九州にゆかりのある人物をピックアップしてご紹介しました。

皆さまいかがだったでしょうか。さまざまな発見があったのではないでしょうか。
実際に調べていくなかで、ここだけでは収まりきらないほど十人十色の興味深いストーリーがありました。

これを機に地元福岡の歴史、文化について興味を持っていただけると嬉しいです。西日本シティ銀行では地元福岡にゆかりのある偉人たちの書籍もご紹介しておりますので、是非そちらもチェックしてみてください。

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