ゲーム業界のクリエイティブに携わり、現在はCGプロダクションで広報と制作プロデューサーを兼務する小宮進吾さん。2018年、妻・亜希子さんと娘のあかりちゃん(8歳)・花ちゃん(5歳)と共に、関東から福岡へ移住しました。「会社での人材育成と育児は、共通する部分がとても多いですね」と話す、小宮さん流の子育てについて聞きました。
■Profile
小宮 進吾(こみや しんご)さん
株式会社D・A・G ブランド・広報室室長兼クリエイティブ室プロデューサー。
1979年生まれ。神奈川県出身。株式会社ソニー・インタラクティブエンタテインメントにてゲームのCGアーティストや管理職として活躍後、2018年に福岡市へ移住。ゲーム会社の広報職を経て、2020年より現職。カナディアンマフィン専門店「One Dot Muffin.」を営む妻・亜希子さんと共に、愛娘二人の子育て中。
同じ会社で出会った妻とは、今も喧嘩のない仲良し夫婦
――二人の出会いをお聞かせください。
東京時代に勤めていた会社の同僚です。妻は別の部署でしたが、社内の懇親会をきっかけに知り合いました。
――結婚はいつ頃されたのですか?
付き合って1年ほどたった頃、2012年に結婚しました。僕も妻も32歳の時です。
――結婚前、二人で子どもを持つことや育て方など話をしましたか?
あまりしていなかったですね。というのも、妻とはとても価値観が合うので、一緒に家庭を持つことに対しての不安は一切なく、実際「子どもができた」と聞いた時も、嬉しさや楽しみの方が勝っていました。
長女は妻の地元・福岡で、次女は東京で出産
―― 長女のあかりちゃんが生まれるまでのことをお聞かせください。
安定期には無理のない範囲で旅行を楽しんだり、友人を招いての結婚パーティーをしました。ただ、つわりが酷い時期もあり、僕ももちろん家事などはしていましたが、妻の辛さを分かちあえないのは歯がゆかったですね…。
――あかりちゃんが生まれた時は、東京にいたんですか?
出産は妻の地元・福岡の門司港に里帰りしたんですが、僕も東京から急いで駆けつけて立ち会うことができました。ちょうど仕事がひと段落していた時期で、そのまま1週間ほど休みがとれたのが良かったです。
――次女の花ちゃんの時はいかがでしたか?
次女の妊娠中は、つわりが長女の時よりも酷かったんです。当時は品川が職場でしたから、満員電車が本当に辛そうでしたし、一時期は食事がほとんどできなくなってしまって、入院もしました。
――ママが入院して、あかりちゃんも不安でしたね。
そうですね。当時は2歳でイヤイヤ期の絶頂だったこともあり、本当に大変でしたね。妻を見舞って病院から帰る時のあかりの号泣っぷりは、未だに忘れられません。
――花ちゃんの出産にも立ち会われたのですか?
二人目ということもあり東京での出産を選択しましたが、僕は立ち会えませんでした。というのも、予定日が近づいた僕の誕生日に二人でランチをしていた時、妻が「陣痛が始まったかも…」と言って、ひとりで先に病院へ向かったんです。僕は保育園に長女を迎えに行ってから急いで病院へ駆け付けたのですが、なんと着いたらもう生まれていたんですよ。
――予想外のスピード出産だったんですね。
はい。しかも、予定日より少し早まったことで、僕と次女の花は、誕生日が同じなんです。彼女が自分の誕生日を嫌いにならないように、まずは僕が嫌われないようにせねば、と思っています(笑)
妻も夫も立場は同じ。最初は二人とも"子育て初心者"
――家事や育児はどんなことをしていますか?
僕はもともと家事が嫌いではなく、特に掃除が好きなんです。休みの日には娘たちと一緒に、すみずみまで掃除しています。「キレイにしてもらえて、家さんも喜んでいるかもね」と言って、家をキャラクターに見立てて話すと、面白がって手伝ってくれるんですよ。
――奥様とも分担ができているんですね。
はい。「家事と育児を二人の真ん中に置く」ということを常に心掛けています。日本では現代においても「家事育児は妻の役割、夫はサポート役」というような考え方になりがちだと思います。でもそうではなく、家事も育児も二人の中心において、「どちらも同じくらい責任がある」と意識するようにしています。おむつ替えや入浴、保育園への送りなども極力妻と同じレベルで出来るようにと夢中でやっていたら、妻の負担を減らせただけではなく、子供たちとの時間も増え、家族との絆もより深まったように感じています。
――いつから実践されているのですか?
長女が生まれた時からです。長女の出産後は僕も病院に泊まり込んでいたため、沐浴の方法などを妻と同じタイミングで助産師さんに教わることができました。たいていは「奥さんが病院で聞いてきたことを家で教えてもらう」といった流れが多く、この段階で"育児をする妻を夫がサポートする"という関係ができてしまうのではないかと思います。ただ、僕の場合は幸運にも、妻がこわごわと沐浴させているのを目の当たりにできて、自分も妻も同じ"子育て初心者"だと実感できました。
――育児のスタートは最初が肝心ですね。
そうですね。会社にも、これから出産を控える新米パパの同僚が居るんですが、「家事育児は夫婦の真ん中に置くと上手くいくと思いますよ」と伝えています。それから「自分もサポートするよ」というワードは、絶対言わないようにと(笑)
家族の将来を見据え、福岡への移住を決断
――次女の花ちゃんが生まれた後、福岡へ移住された理由をお聞かせください
次女が生まれた後、当時住んでいたマンションが手狭になってきたので、最初は都内での引っ越しを考えていました。その頃は僕も妻も30代中盤となり、当時の仕事にとてもやりがいを感じていたんですが、今なら全く新しいチャレンジができるかもしれない、と思い切って福岡への移住と転職を決めました。父のルーツが福岡にあり、妻の実家も門司港にあることが、決め手の一つとなりました。
――当時はあかりちゃんが4歳、花ちゃんが1歳だったそうで、家探しも大変だったのでは?
福岡市内に戸建てを新築したんですが、まず友人から最近おすすめのエリアを聞いて、日帰りでいくつかの候補地を見て回り、その日に決断しました。
――東京にいながら、福岡の家づくりをされたんですね。
はい。打ち合わせなどは、すべて都内にある住宅メーカーのショールームで行いました。毎回、長時間に及び、子供たちもまだ小さく大変でしたが、とても楽しい思い出ですね。
――福岡へ移住後に転職されたんですか?
はい。2018年8月に福岡市に引っ越してから、同じゲーム業界ではあるものの、クリエイティブ職ではなく、それまでとは違うことに挑戦したいと思い、株式会社レベルファイブに広報職として入社しました。その後、ご縁をいただき、現在はゲームや映画などのCG制作を行う株式会社D・A・Gで、ブランド・広報室とクリエイティブ室に所属しています。
――奥様は福岡で起業されたんですよね。
妻は2020年の3月にカナディアンマフィンの専門店「One Dot Muffin.」をオープンし、おかげさまでまもなく2周年を迎えます。最近は娘たちも「大きくなったらマフィン屋さんになる」と言って、店の手伝いをしたがっているようです。ちなみに、お店のロゴデザインは僕が担当しました。
育児は完璧を目指さず、周囲に頼ることも大事
――福岡での暮らしはいかがですか?
とても暮らしやすいですね。文化と自然のバランスがとても良く、落ち着いていて温かい雰囲気が気に入っています。食べ物も美味しいですし、娘たちも「福岡サイコー!」と気に入っていて、本当に移住して良かったと日々実感しています。
――福岡で新しい人間関係もできたのでは。
家族ぐるみの友人が増えました。長女のあかりは水泳を習っているのですが、一緒に通っている近所のお友だちのパパさんが迎えに行ってくれることがあり助かっています。「地域で子どもを育てる」という文化が根付いていると感じる機会が多く、嬉しく思っています。
――子育てには親同士の信頼関係も必要ですよね。
そうですね。子育ては大変なことも多いけれど、その中でも「家族みんなで今という時間を楽しむこと」が大事だと思っています。でも楽しむには「心の余裕」が必要だと思いますし、余裕を失わないためにも、一人で何でもやろうとし過ぎず周囲に頼ることも大切だと思います。そういった点でも、福岡のみなさんはお互いの子供たちを常に気にし合っていて、とても心強いと感じます。
人材育成も子育ても、「個を尊重する」ことが大切
――子育てが仕事に生かされている部分はありますか?
はい、たくさんあります。子供向けのコンテンツやデザインに触れる機会も増えましたし、育児をする同僚たちの気持ちを深く理解できることは、とてもプラスだと考えています。それに、会社でのマネジメントと子育てには、共通する部分が多いと思います。
――どのようなところでしょう?
人材育成も子育ても、一人ひとりの個性を尊重することが基本だと考えています。特にクリエイティブな業界は個性豊かな人たちが多いので、それぞれの個性を最大限発揮してもらいたいと考えています。ですから僕は、「新人」や「社会人1年目、2年目」という言葉は、直接、本人に対しては使いませんし、新卒で入社したばかりのスタッフにも「あなたがこれまで20年以上、生きてきた全てをぶつけて勝負してほしい」と伝えています。社会人としての経験だけではなく、これまで彼らが見てきた景色をできるだけ共有して欲しいと思っています。
――お子さんにも同じ考えて接していらっしゃるんですね。
はい。娘たちが学校や幼稚園で起きたことを話してくれる時も、できるだけ手を止めて、同じ目線で話を聞くように心がけています。彼女たちがいくつになっても一番の味方でいたいし、自分の考えを安心して伝えられる家族でありたいですね。
――忙しいと、つい子どもの話を受け流してしまいがちです。
僕は「子どもを子ども扱いしすぎない」ことが大事だと思っています。以前、家族でイギリスに3週間ほど滞在したことがあったのですが、たとえばカフェでは、店員さんが僕たち親に話しかけるのではなく、娘たちに直接話しかけてくれるんです。「あなたの席も用意しておいたよ」といった感じで。日本とは違い、子どもたちにも一人の人として接してくださったのが嬉しかったですし、子育てにも生かしたいと思いました。
「自分に優しく、自分の判断で行動できる人」になってほしい
――子どもにはどんな風に育ってほしいですか?
「自分自身に優しくできる人」、そして「自分自身の判断で行動できる人」になってほしいです。僕の望みはこの二つだけですね。
――「人に優しく」ではなく、「自分自身に優しく」とは?
人に優しくできる人は、まず自分自身を大切にできる人だと思っています。自分の時間を大事にして自分自身のことを心から愛せる、そんな大人になってほしいと願っています。
――具体的にどんなことをしてほしい、ということはありますか?
特にありません。自分自身や周囲の方々のことを大切にしながら、そのうえできちんと自分の考えを持って判断・行動したことであれば、どんなことでも応援したいと思っています。
――最後に、これからパパになる人たちや子育て中のパパにメッセージをお願いします
ぜひご家族と共に「今しかできないこと」を、思い切り楽しんでください。日々細かいことまで完璧を求めなくても、例えばお子さんが二十歳になった時、しっかりと「一番伝えたかったこと」さえ伝わっていれば良いのではないかと思います!
取材後記
長くクリエイティブ業界に携わってきた小宮さん。仕事も子育ても、既成の「枠」にとらわれず、生き生きと楽しんでいる様子が伝わってきました。その根底にあるのは「相手を信頼し尊重する」という、小宮さん自身の揺るぎない信念。「子どもと親」「夫と妻」「上司と部下」といった線引きをせず、誰に対しても一人の人として接することの大切さを、改めて実感しました。
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西紀子
フリーライター・編集者
福岡市出身。大学卒業後、フリーペーパー編集部や企画制作プロダクションにて編集・ライティング業務に従事。2017年よりフリーランス。未就学児2人の子育てに奮闘中。