不動産会社に勤める大橋慶一さんは(41歳)は、妻・昌子さん(39歳)、長男・巧茉(たくま)くん(3歳)・平來(たいら)くん(7か月)の4人家族。フリーのレポーターである昌子さんは今年(2023年)1月からラジオの仕事に復帰し夫婦共働きですが、第4希望まで出していた保育園に落選。子育ては予測不可能、想定外の出来事の連続ながら、「彼女がいない日は僕が在宅勤務にできるかもしれないし、なんとかなるでしょう」と笑顔。「自然体」という言葉が似合う大橋家の子育てをのぞいてみました。■Profile 大橋 慶一(おおはし けいいち)さん大和リビング株式会社 勤務1981年、山口県生まれ。専門学校卒業後、不動産仲介会社に入社。宅地建物取引士、相続診断士、ファイナンシャルプランナー2級、賃貸不動産経営管理士などの資格を取りながらキャリアアップ転職し、現在の会社で不動産管理業務を担当。二人とも食べること、飲むことが大好き! 価値観が似ている友だち夫婦――二人の出会いをお聞かせください。学生時代、居酒屋でたまたま声をかけたグループに妻がいて、話してみると僕と同じ専門学校に通う学生だったんです。出身も同じ山口県という共通項が多いこともあって友だちつき合いがスタートしました。偶然はさらに重なり、卒業してから数年後、僕が当時勤務していた不動産会社にたまたま部屋を探しに来たんです。僕は別のお客様の接客をしていたので、先輩が担当したのですが、ちょっとした相談に乗る機会があってだんだんとコミュニケーションが深まっていった感じです。それと彼女のお母さん、僕の母とも看護師で同じ病院の先輩後輩だったことも判明しました。縁があるんでしょうね。――結婚はいつですか?2011年です。どのあたりから交際が始まったのか判然としないくらいの友だちカップルで(笑)、結婚後も子どもができてからもそれが続いています。――そうなんですね。結婚前からお二人で子どもを持つことや育て方について話していましたか?子どものことについてはよく話していました。僕は「男の子が欲しい」、妻は「女の子がいい」とかですね。ただ、子どもは2、3人欲しいということ、子育てについては好き嫌いなく何でも食べる子、自分で料理ができる子にしたいという点で一致していました。二人とも食べること、飲むことや魚釣りが好きなので、釣った魚をさばいたり、野菜を作ったり、家族で一緒にいろいろなものを食べて飲んで楽しくやっていこうと夢を広げていました。二度の流産、8年間の不妊治療――価値観が一致するって素敵ですね。第一子の妊娠がわかった時のことを教えてください。実は第一子が生まれるまでに2回流産しているんです。妊娠するけど育たない不育症と診断され、その治療ができる病院に行きましたがなかなかできませんでした。身体的にも経済的にも限界が近づいていて、「これでダメだったら夫婦だけの生活でもいいね」と話し合うところまでいきました。幸いにも最後に巡り合った病院で妊娠できたんです。――その時はどんな気持ちでしたか?病院も5回変わり、人工授精から体外受精、顕微授精と切り替えて治療を続けていたのですが、着床するステップまでいかなかったんです。着床して胎嚢(たいのう)という赤ちゃんの入っている袋がエコーに映った時は、嬉しさとともに8年間の不妊治療に区切りがついた安心感、終わりの見えない不安から開放感でいっぱいでした。――昌子さんはどうでしたか?妊娠してからの感情の変化や日常生活の変化はありましたか?僕の見る限り、不妊治療中も妊娠が分かってからも妻が精神的に揺らいだり、神経質になったりしたことはなかったです。妊娠を継続するためには自転車や車に乗ったり、立ち仕事はよくなかったりするので、彼女の買い物に同行したり、重たいもの持ったり、仕事先に送ったりということは心がけました。――昌子さんは仕事を続けてたんですね。フリーランスなので、受けられる仕事は受けていました。――待望の第一子だけにすべてに大事を取りたくなるところですが、お二人とも平常心を維持しているのがよいですね。予想外の出来事もありましたよ。それまで食事の時は二人で飲んでいたんです。でも、妊娠して妻は飲めないのに僕だけが飲むわけにはいかないでしょう。そうすると食事がすぐ終わるし、食べ終わった後に妙な「間」ができて「なんか面白くないよね」って雰囲気になるんです。それでケンカになることがありました(笑)――冷静に分析できているところが面白いですね。価値観が共有できているからこそだと思います。出産は立ち会われたのですか?立ち会いました。予定日が近くなっていて、焼肉を食べたり、栄養ドリンクを飲んだりすると生まれるという話を聞いていて(笑)、栄養ドリンクまで飲んで寝たら深夜1時すぎ突然破水しお産が始まりました。多量出血で、産まれたのが15時間後の夕方4時頃だったので難産だったと思います。ずっとそばにはいたのですが、腰をさするくらいしかできませでした。――初めてのお子さんを抱いた時はいかがでしたか?かわいいというのと、頑張ってくれた妻に感謝しかなかったですね。その時は一生彼女に感謝しようと思いました(笑)フィフティフィフティのバランスが崩れたことで、逆に結束が強くなった――初めての子育てはいかがでしたか?授乳期間、毎回起きていたわけではありませんが、お乳をあげても泣き止まない時は僕もどうしていいかわからず途方に暮れていました。眠れないのでイライラすることも正直ありました。――育休は取りましたか?育休は生まれた時に1週間取りました。でも、生まれてすぐは母乳だった為、おむつ替えと沐浴くらいしか手伝えることなくて。もっと成長してから育休取った方がよかったやんって思いました(笑)。妻のお母さんが1カ月くらいきてくれて助かりました。――家事や育児はどのように分担していますか?ご飯、おむつ替え、お風呂は僕が家にいる時は、できる限りしています。妻を見ていると、離乳食を作るのが本当に大変そうです。生後何カ月になったらこれを与えるという品目が多いし、ストックもたくさん必要なので手間がかかってますね。夫が育休を取るとしたら生後3カ月以降で取った方が妻の役に立てるんじゃないかなって思います。休めるなら半年から1年は休んで育児をしてみたいですね。でも仕事復帰した時には会社でのポジションがなくなっているとか、そもそも仕事ってどうやってたっけ??と浦島太郎になるんじゃないかと心配にもなりますが(笑)。なので、完全に休職ではなく、在宅勤務できる環境での育休であれば僕は大賛成です。――育児をすることで夫婦間の変化はありましたか?もともと友だちからスタートして、友だちみたいな恋人になり、結婚後もフィフティフィフティの関係でしたが、育児をする中で、そのパワーバランスが変化しています。僕の体感としては妻が6:僕が4(笑)。でも、すごくよいバランスだと感じていて、夫婦の結束が強くなりました。夫婦関係は深まったと思います。二人目が生まれて、育児パワーは5倍増!――2022年には次男の平來(たいら)くんが誕生しています。お二人目なので育児も少し余裕が持てるようなるんでしょうか。逆に育児の荷重が5倍くらいになりました。長男は今3歳なんですが、自我が出てきて言うことを聞きません(笑)。赤ちゃんの時はまだ自分たちの思うようにやれるんです。しゃべり始めてからが育児本番だと思いました。そもそも会話ができて感情もある人間を思い通りにしようということ自体が無理な話ですよね。色んな事が起こるのでマニュアルなんてなく、その場その場で対応するしかない世界です。頭ごなしに理由のない怒り方だけはしないように気を付けています。――「子育ては自分育て」ともいいますが、ご自身で成長したと感じることはありますか?実を言うと、僕は子どもがすごく好きという方ではなかったんです(笑)。嫌いではないけどどう接して良いか分からないというか。でも、ミルクをあげたり、抱っこしたり、そんなささやかなことで自分の感情がどんどん変わっていくんですね。いろいろな経験を通してできることが増えるのを実感しています。人間として以前よりは幅は出てきたんじゃないでしょうか。感謝の気持ちを「感謝状」という形にして妻に贈る――好き嫌いなく何でも食べる子、自分で料理できる子に育ってほしいと、最初に言われましたが、改めて大橋家の子育て方針をお聞きしてよいですか?こんな学校に進学させたい、将来は良い会社に入ってほしいとか、そんな思いはあまりなくて。あえていえば自分らしく自立して生きていける人間になってほしいですね。高校卒業して、大学に行くかどうかわかりませんが、やりたい事を自分で見つけて、楽しい人生を切り開いてほしいと思います。その為の応援は夫婦で何でもしてあげたいと思います。あとは食を本当に大事に考えているので、魚釣りや野菜作りを通じて自分で採ったもの・育てた物をどう料理するのかとか、命の大切さ、自然とのふれあいも大事にしています。――自分で自分の食事が作れることは本当に大切な自立ですね。これからのご夫婦の夢はありますか?妻の年齢も40歳に近づき、幾度の顕微授精も失敗し、金銭面・精神面的にも次の顕微授精で駄目だったら不妊治療を卒業しようという話だったんですが、幸いにも長男が授かりました。その後、兄弟を作ってあげたいと思い不妊治療を再開し、その採卵で三つの受精卵を作ることに成功しました。一つ目の受精卵では着床しませんでしたが、二つ目で次男を授かることができました。あと一つの受精卵があるので妻は迷いつつも本心は三人目にチャレンジしたいのだと思います。女の子が欲しいはずですし。――ご結婚前に話し合っていた通りですね。これからパパになる人たちにメッセージをお願いします。子どもに対する気持ちはもちろん大事ですが、妻を大事にすることが子育ての土台だと感じています。僕がどんなに頑張ったとしてもやはり子育ては妻が7割以上負担していますから。毎年、結婚記念日は旅行や家で食事会をしていて、その時にお互い感謝状を渡しています。長男が生まれた時に一生妻に感謝する!と思ったんですが、その気持ちをいつまでも同じレベルで持ち続けるのは難しいですよね(笑)。だからこそ、感謝の気持ちを形にしています。感謝状の内容は毎年ほとんど変わらないのですが(笑)、これからパパになる人たちの参考になれば幸いです。取材後記ご自身の日々の業務に追われながらも、育児にいそしむ慶一さん。子どもを自立した人間に育てたいと語った慶一さんですが、家事も育児もごく自然に自由にこなす様子をうかがって、まさに彼自身が「自立したパパ」なのだと感じ入りました。お子さんたちもそんなたのもしいパパの背中を見て自由に自分らしく育ってくれるに違いありません。■あわせて読みたい記事・何歳くらいでみんな住宅購入するの?・注目されている《ZEH》とは?メリットや知って得する補助金制度をガイド!
あわせて読みたい:ぼくたちの子育てシリーズ■ 夫婦ふたりで家事・育児・仕事!めざすはワンチーム家族|ヌーラボ 國廣輝夫さん■ 妻は、育児という目的に向かってともに歩む同志です|Friendly Pixel 共同創業者 ・ダニエル・ヨーダーさん■ 仕事と同じく、育児も現場主義!育児最前線にいる妻の気持ちを感じとってサポートする|オーレック 宮田太郎さん妻の恵理香さんとは同い年の34歳。お二人の出会いのきっかけは、今をさかのぼること16年前、美容専門学校の学生だった頃のことです。互いに同級生の一人だった関係を一新したのは、4年ぶりに開かれた同窓会での再会でした。それ以来、時々、同級生同士で集まって遊ぶようになり、学さんは恵理香さんに対して以前とは違った感情を持つようになったのだとか。2年の交際を経て、ゴールイン。昨年8月に長男の糸ちゃんが誕生しました。「子どもは、これまでの価値観を上書きするような存在」という学さん。「生まれたてのパパ」という新しい自分を通して、育児の世界を満喫していらっしゃいます。■プロフィール吉田 学さん美容師1986年生まれ。宮崎県小林市出身。福岡の美容専門学校卒業後、美容師としてキャリアを積む。3年前、社員という雇用形態から「業務委託契約」という形のワークスタイルに切り替えて活動中。将来の目標は、もちろん自身の店舗を持つこと。パートナーと出会って、家で過ごす時間も大切にできるワークスタイル「業務委託契約」にチャレンジ!―― 出産前に、子どもを持つことについて話したことはありますか?吉田:特に子どもに関する話題が上ったことはないですね。というのも、僕からすると、妻と出会ってから同棲し始めて、流れのままに今に至るという感じなんです。妊娠は、同棲して1年くらいして両方の親に交際の報告に行くタイミングで分かりました。―― 妊娠が分かった時は、どんなお気持ちでしたか?吉田:妻からすると、入籍・結婚という手続きをしていない段階だったせいか、「赤ちゃんができたって言ったら、どんな顔をするだろう」って少し心配したところもあったようです。でも、僕はただシンプルにうれしかったですね。年齢も年齢でしたし。―― 出産となると、改めて経済的、時間的な家庭設計も必要になりますが、具体的に行動したことはありますか?吉田:実は、妻と交際し始めたのをきっかけに、美容業界でも少しずつ増えてきた「業務委託契約」というワークスタイルにチャレンジしました。これは、お店に在籍するけれども、働き方はフリーランスというもので、自分で働く時間を調整しやすくなります。会社員だとどうしても拘束時間が長くなり、家にいる時間、自分の時間が取りにくくなる業界ですので、「業務委託契約」という選択肢を知った時には、メリットしか感じませんでした。働く時は働き、休む時は休めることが一番の魅力です。もちろん、会社員として働く場合の安定感などは享受できないなどリスクもありますが、チャレンジしてみたら僕には意外と合っていました(笑)。――子育て向きのワークスタイルでもあるということですか?吉田:そうなんです。子どもが生まれた後も自分が希望する生活スタイルに合わせた働き方ができていると思います。育児のために余裕の時間が欲しくても、会社員だとままならないことがまだ多いでしょ。――1週間で見ると、勤務時間は何時間くらいですか?吉田:分かりやすくいうと、1日8時間、週に5日勤務というのがベースです。休みは週2日のこともあれば、週1日のこともあります。――出産前後で、学さんのライフスタイルはあまり変わってないということですか?吉田:それほど変わりませんが、ただシフトは少し調整しました。前のままだと、子どもと接する時間が朝だけになるので、今は、終業時間を1、2時間早めています。そうすることで、夜にお風呂に入れたり、寝かしつけができたりします。この1時間があるかどうかは大きいです。―― しっかり育児協力しているんですね。吉田:妻に任せきりはよくないので、一緒にやっていこうと決めていました。妻は子どものことと自分のことが常に同時進行になるわけですので、朝から僕にも役割分担があります。おむつを変えたり、ミルクをあげたり。他にも気づいたことはやるという姿勢なんですが、ただ、まだ行き届いていない部分が多々あって、妻に結構叱られます。―― すごく良いパパのようですが……吉田:僕自身は「ちょっと忘れっぽいだけ」と思っているんですが、彼女からすると、「話を聞いていない」と感じるみたいです。頼まれたことがスポッとヌケることがあって、そんな時はイラッとするんでしょうね。―― 恵理香さんに出産の前と後で気持ちの変化を感じることはありますか?吉田:彼女は平日に美容室の事務、土・日曜日は美容師という形で働いていたのですが、出産準備に入るために仕事を辞め、今は家事・育児に専念しています。それでも、以前のように自由は効かなくなっているので、もしかしたらストレスは感じているかも(笑)。しかし、それが僕に伝わってくることはありません。お互い同業者ですので、僕の仕事を理解してくれていますし。だから、僕も妻の今の状況をもっと理解しなければならないと頑張っているところです。でも、妻も大変だとは思いますが子どものことだから苦にせず、やってくれているのではないでしょうか。僕は基本的におっとり、のんびりしていて、妻はもともとしっかり者ですのでそのバランスはまったく変わりませんね~(笑)。―― 出産には立ち会いましたか?吉田:病院で待機していたものの、昨年8月はコロナ禍の影響で直接立ち合うことはできませんでした。でも、逆児だったのですが心配したほど時間はかからず安産でした。妊娠中も特にひどいつわりもなく、妊娠期間はかなり平穏に過ごせたほうじゃないかと思います。気がつくと子どものことを考えている。男性にも母性本能があると思います。―― 糸ちゃんは男の子ですが、性別が分かるまでは女の赤ちゃんをイメージされていたとか?吉田:はい、何の根拠もなく(笑)。お客さまに女性が多いせいかな? 男の子だと分かった時は、「はて、そうか、男の子か」と腹に落ちるまでに一呼吸あったような不思議な一瞬でした。でも、男の子でよかった~と今はつくづく思っています。というのも、今でも接し方が愛情過多気なところがあるので、女の子だったら大変だっただろうなと思います(笑)。―― どんなところですか?吉田:仕事の時以外は、気がつくと子どものことを考えています。もう無意識にです。これって前の自分じゃないよなと、違和感を感じるほど(笑)。以前の僕だと仕事が一段落して時間が空くと「今日、どうしようかな。何しようかな?」と、真っ先に自分のことを考えていたんです。今は、まず携帯に入れている子どもの写真をパッとみる。それから、ミルクをあげた時間など赤ちゃんの行動を管理するアプリをチェックします。今、寝ているんだとかね。自分のことなんて考えていない自分にビックリかな(笑)。―― 男性にも母性本能のようなものがあるんですね。でも、子育ては楽しいばかりではないと思うのですが、予期しなかった大変さってありますか?吉田:仕事をしていて、「ちょっときついな」という時期はありました。体力が落ちているという感覚です。一番の理由は睡眠不足ですね。それまでしっかり眠れていたところを、赤ちゃんの世話で夜中に起きたりすることもあったので。でも、それも最初の1、2カ月だけでした。今は、寝てくれるようになったので途中で赤ちゃんが起きても気づかないことが増えました。気づかないのも、あまりよくないんですけどね。子どもが生まれて、自分自身の人生のゴールやルートがより鮮明に。―― 糸ちゃんは今5カ月半ですが、成長を実感する瞬間ってありますか?吉田:先週くらいから離乳食に入ったんです。ミルクだけの時は与えればとりあえず飲む感じだったのですが、離乳食はさすがに慣れていないので口に合わないものだと露骨に嫌な顔をします。笑う、泣くに加えて嫌な時の表情が加わり、そんなところにも成長を感じます。―― 表情って大きなコミュニケーション手段ですからね。親子のコミュニケーションも着実に深まっているようで微笑ましいです。糸ちゃんにはどんな子に育って欲しいですか?吉田:名前の由来でもあるんですが、自分の好きなモノ、コトを見つけて、たぐりよせてほしいという願いと込めて「糸」にしました。僕自身も美容師という専門職を追求している身であり、そのやりがいは知っているので息子にも何か没頭できるものを手繰り寄せて、夢中になる人になってほしいなと願っています。―― とても珍しい名前ですよね。吉田:「吉田」という苗字は比較的多いので、名前だけでもちょっと特徴を持たせたかったんです。「イト」という音の響きも気に入って命名しました。―― 学さん自身、30代で美容師としてのキャリア構築の真っただ中ですが、今後の人生設計をお聞かせください。吉田:キャリアにおいても、今までぼんやりと考えていた独立というゴールやそのためのルートが、子どもができたことによって鮮明になりました。業務委託契約も半分独立しているようなものですが、完全に独立したほうが、時間もより融通がつくようになりますし、軌道に乗ればもっと稼げるようになるでしょう。がぜん、行動力が出てきました。やる気の度合いとか幸福度でいえば今が人生で一番かな。とても充実しています。取材後記「育児がスタートしてから、子どもが生まれる前にイメージしたことよりも、良いことしかない。」という学さん。男性に当てはまるかどうか分かりませんが、「案ずるより、産むが易し」とはこのことで、日々の充実感がダイレクトに伝わってくる取材でした。糸ちゃんと恵理香さんと3人家族の吉田家は学さんにとって、まさにパワースポットになっているんでしょうね。糸ちゃんのお陰で美容師としてもさらにパワーアップしそうな学さんの素敵な新生活を見せていただきました!
あわせて読みたい:ぼくたちの子育てシリーズ■ 夫婦ふたりで家事・育児・仕事!めざすはワンチーム家族|ヌーラボ 國廣輝夫さん■ 妻は、育児という目的に向かってともに歩む同志です|Friendly Pixel 共同創業者 ・ダニエル・ヨーダーさん宮田太郎さんは、農業機械メーカーの開発職で、現在5人の部下を率いる中堅社員。仕事の責任もどんどん重くなる時期ですが、第一子の倖(こう)くん(4か月)が誕生してからというもの、育児も軽やかに楽しんでいるご様子。「僕、ぜんぜんマメじゃないんです」と言いながら、得意の早起き習慣を活かした、家事の朝活、そして、夜活、はたまた休日活も実践中です。宮田さんのとびきり明るく元気なパパっぷりを実況します。■プロフィール宮田太郎さん株式会社オーレック 開発職1987年10月生まれ。北九州市出身。新宮高校卒業後、熊本大学工学部機械システム工学科へ進学。大学卒業後、福岡県八女郡広川町に本社を置く農業機械メーカー㈱オーレックに就職。同社の農業機械には大きく果樹用、畑作用、水田用の3種類がある。宮田さんは水田チームで5人の部下を率いながら、特に有機農法の米作りに関係する機械の開発に携わっている。近年、健康志向や食のこだわりから脱農薬を目指す農家が増えているが、脱農薬するためには、田んぼに生える雑草との果てしない闘いが続く。農家の雑草駆除をサポートする草刈り機の開発・シリーズ化も宮田さんの重要なミッションだ。その瞬間、「あ、生まれるんか!」とピッと気合が入る――宮田さんご夫婦は、入籍、結婚よりも妊娠のほうが早かったとか。宮田:そうなんです。去年9月に妊娠がわかって、すぐに妻の両親に挨拶に行きました。でも、いわゆる「できちゃった婚」じゃないんです。妻が子どもを欲しがっていたので、妊活はしていたので(笑)。やっとできたって感じかな。2か月後に入籍して、結婚式を挙げたのが今年2月です。コロナ禍の渦中に入る寸前だったので、良いタイミングでした。――宮田さんは農業機械の開発者、妻の楓(かえで)さんは美容師で仕事上は接点がなさそうですが、どこで出会ったのですか?宮田:僕の会社の先輩が食事会を企画しまして、若手男性が足りないというので、僕が呼ばれたんです。当時、僕も20代だったので。――いわゆる合コンですね?宮田:まあ、そういう言い方が正確ですね(笑)――交際期間から3年6か月だそうですが、妊娠、結婚、今年5月30日の倖(こう)くん誕生と、この1年は大きな変化の年でした。ご自身で何か感じるところはありますか?宮田:妻と一緒に暮らし始めたのは今年の1月です。お腹が大きくなるにつれて、いろいろ大変そうでしたが、僕自身は出産の日までそんなに実感はなかったんです。でも、陣痛が始まった時、「あ、生まれるんか!」とピッと気合が入ったのを覚えています。――立ち合い出産だったんですね。宮田:うーん、成り行き上そうなりました。というのはもし、仕事中に陣痛が始まっていたら、生まれるぞっていう直前くらいに駆け付ければいいと思っていたんです。でも、陣痛が夜中の2時くらいから始まって、生まれたのが夕方6時。結果的に立ち合うことになりました。正確に言うと、コロナで分娩室の中には入れなかったので、陣痛室までしか行ってませんが。――陣痛室ではどんなふうに過ごしていたのですか?宮田:妻がずーっと痛がっていたので、さすり続けていました。その日に出産する人が何人かいて、助産師さんも忙しく、「じゃ、ご主人さんお願いしますね」と言って、結構いなくなるんです(笑)。助産師さんの見よう見まねで、「はい、息吐いて~」と言いながらさすっていました。――他の妊婦さんにも夫は付き添っていました?宮田:いなかったような……気がします。正直言うと、僕も生まれる直前に行くほうがよかったかな。だって、あんなに痛がると思わなかったので。陣痛室移動までに4時間、陣痛室だけで5、6時間付き添っていたので、正直ヘトヘトになりました。仮に分娩室に入れても、僕の方が力尽きていたかもです(笑)。――倖くんとの対面はどのタイミングだったですか?宮田:生まれてすぐに部屋の外から見せてもらいました。見た時は、まずその小ささにビックリ! それと出産直後の女性を見たのも初めてだったので、「そっちはそっちで大丈夫?」って妻に対しても心配しましたね。朝活で育児参加――出産後のライフスタイルについては、夫婦で話し合っていましたか?宮田:妻は出産の1か月半前まで働いていましたが、出産を機にいったん仕事を辞めることを決めていました。彼女が1日家にいてくれることになるので、役割分担についてじっくり話し合うことはなかったと思います。ただ、僕は高校時代から自分でも料理を作っていたので、料理はあまり苦にならないんです。僕の帰宅はだいたい19時。妻が19時半とか20時で僕がわずかに早いので、週2、3日は晩ご飯を作っていましたね。――自然にそんな流れができるってよいですね。買い物も太郎さんがするのですか?宮田:いえ、妻が美容師で月曜日がお休みなので、1週間分まとめて買っていたようです。僕は冷蔵庫に入っているものを見て、適当に作る感じです。――楓さんに大好評な料理などはありますか?宮田:ユウリンチー(揚げた鶏肉に、醤油ベースのタレをかけた広東省発祥の中国料理)が美味しいようです。簡単ですよ。――育児参加はどのタイミングで始めたのですか?宮田:出産後妻が実家にいる間かな。赤ちゃんの荷物を運び込むスペースづくりのために、ひたすら家を片付けていました。部屋は3つあり、リビングの半分が赤ちゃんのスペースになっています。今は、家族3人でそこに寝ています。――川の字で寝るんですね。夜泣きで眠れないという話も聞きますが、どうですか?宮田:それが、夜泣きで起きることはなかったんです。たまにふと目が覚めると、妻が授乳してた、なんてことはありましたが。だから、子どもが生まれて生活のペースが狂ったとか、きついとかはなかったです。――楓さんの方に変化はありましたか?宮田:僕が仕事から帰ってくると、まあまあグッタリしています。僕は、外に出て仕事をしているからいいけど、妻はずっと家にいますからね。ですから、家にいる間は、なるべく何かを手伝おうという姿勢で励んでいます。そのほうが後々何も言われないだろうし(笑)。――どんなことに励んでいるのですか?宮田:僕は早起きなので、出勤前の時間を使って、洗濯物をたたんだり、朝ご飯を作ったりします。夜は、僕が赤ちゃんをお風呂に入れて、その後、妻がお風呂に入って、赤ちゃんを9時ころには寝かしつけます。妻はそこからがやっと自分の時間です。その時間帯に洗濯や食器洗いが残っているとくたびれると思うので、僕がやるようにしています。――結構、細やかに気遣っていらっしゃいますね。宮田:僕が休みの日にたまに妻だけ外出して、一人で育児することがあるのですが、それだけでも大変なのは分かります。赤ちゃんって上機嫌で笑っていたのが、いきなり大泣きし始めるし、ミルクを作ろうと思ったタイミングで泣き出すんです。抱っこしながらミルクを作る作業ひとつ取っても大変です。――1分でも妻の自由時間を増やしてあげようという気持ちがうれしいですよね。宮田:でしょう(笑)。子育てを手伝いたいなら、とりあえず夫は雑用や家事をやるべきだと思います。ただ、自分の周りを見ても、それをやっている夫ってそうそういないんですよね。息子と一緒に寝っ転がって過ごす幸せ― 子どもができてよかったなと思う瞬間ってありますか?宮田:結婚前から、仕事が休みの日は土曜も日曜も何もせずにダラーっと過ごすのが好きだったんです。息子はまだ3か月で外に連れて行けるわけでもないので、今も休みの日は、息子とゴロゴロ寝っ転がって過ごしています。出かけるのが好きな人だったら、育児に拘束されていると感じるかもしれないし、人それぞれだと思うけど、僕の場合は、独身時代と比べると、ゴロゴロダラダラする時間のクオリティが高まったというか、いい感じです。それと、まだ3か月なのに、寝返りをしたんです。仕事中に妻から動画が送られてきてビックリ。コロコロ転がっているのを見ていると、もう今にも歩き始めそうなんです。親バカですかね。元気よすぎるくらい元気で、人懐っこくて、明るい子になってほしい。――倖ちゃんの名前は誰が付けたのですか?宮田:それにはちょっとした経緯がありまして、僕は男の子なら、「龍」の字をどこかに使う名前にしたいと思っていたんです。理由はカッコいいから(笑)。女の子なら字は何でもいいので、「コウ」と読む名前にしようと思っていました。でも、生まれた次の日に息子の顔を見たら、顔が龍っぽくないので止めることにしたんです。やさし~い顔をしてたんですよ。同じことを妻も感じていて、「コウ」でいいんじゃないということになりました。「倖」を考えてくれたのは妻です。「人の幸せを願う」という意味があるそうです。――素敵な名前だし、素敵な共同作業ですね。倖くんにはどんな子に育ってほしいですか?宮田:妻がいうには、おとなしい子らしいんです。確かに、実家など人の多いところに行くと、すでにおとなしさが出ているような気もする。でも、僕は、おとなしくは育ってほしくないんですよね。暴れん坊といわれるくらいでいいから、元気で、人懐っこくて、明るい子になってほしいな。――まさに太郎さんがそのタイプだと思いました(笑)。このパパにして、この子あり、となるといいですね。最後に、今子育てに奮闘しているパパにメッセージをいただけますか?宮田:大層なことはいえないのですが、時々、仕事と子育てが似ているなと感じることがあるんです。僕の会社は農業機械メーカーで、開発部の方針が「現場主義」なんです。設計者が会社にこもって自分のイメージでモノを作るんじゃなくて、現場に行って農家さんの声を聴け、体感しろということです。体感することで何がどう困っているのか、初めて自分自身で気づくことができます。現場で体感することの積み重ねが発上のアイディアになったりするわけです。子育てでいうと、夫も家事や子育ての現場に立って、妻が何を考えているのか、何をしてほしいのかを感じ取ることが大事かな、と。そのためには、やっぱりまずは何でもいいからやってみる。「これ、やってよ」と言われてするんじゃなくて、自分から妻の声に耳を澄ませて、言われる前にやる。これができたら、いいんだろうな、とは思いますね。取材後記すっかりパパぶりが板に付いた宮田さんですが、倖くんが生まれる前は、「たまにおむつ交換くらい手伝えばいいんだろう」という感じだったとか。外見も一見、九州男児風!?で、ご本人も「大雑把な性格」。その割りには、きめ細やかな育児フォロー、家事フォローが際立っています。仕事で鍛えた現場主義、お客様本位の感性、技術が、家庭の中において妻本位、妻の気持ちになって考える姿勢に応用されている!?何よりも「生まれるとやっぱり可愛いからやりますよ。やらないのはつまらんですよ(笑)」という最後の言葉に、汲めども尽きぬ家族愛を感じた宮田家取材でした。
福岡発、グローバルに展開するIT企業として全国的にも注目を集める株式会社ヌーラボ。國廣輝夫さんは2016年入社、妻の慈(めぐみ)さんは17年に入社し、19年4月に職場結婚。今年20年3月、第一子が誕生しました。國廣家の育児が少しユニークなのは、妻が一足早く復職し、夫の方が妻よりも長く、一年間の育休を取ったこと。その理由とは? 攻守自在な國廣夫妻のチームワークには、子育てのポイントやヒントがたくさん見つかりそうです。あわせて読みたい:ぼくたちの子育てシリーズ■ 妻は、育児という目的に向かってともに歩む同志です|Friendly Pixel 共同創業者 ・ダニエル・ヨーダーさん■ 家庭円満の秘訣は、妻や娘の話を聞くこと|JR九州・永田さん■プロフィール國廣輝夫さん株式会社ヌーラボ プログラマー1989年10月生まれ。山口県山口市出身。名古屋大学でプログラミングを学び、東京のIT企業にプログラマーとして入社。2016年、ヌーラボへ転職し、現在、福岡勤務。同社へ入社を決めたのは、自分がユーザーとして実際に使っているサービスを作っている会社だったから。現在、ビジュアルコラボレーションツール「Cacoo (カクー)」のプログラマーとして活躍。立ち合い出産時の夫の神サポート――職場結婚ですね。出会いから何年目のゴールインですか?國廣:交際を始めた頃から、お互いに自然に結婚を考えていた感じで、出会って2年で結婚しました。――妻の慈(めぐみ)さんとは同い年ですが、どんなパートナーシップですか?國廣:妻の方がしっかり者ですね。日常生活で注意されるのは僕の方です。「洗濯物、置きっぱなしだよ」とかですね(笑)――手伝うつもりなのに、言われるとするのが嫌になるという人もいますが、そんなことはないですか?國廣:ないです(笑)。妻の言い方は結構優しく、配慮を感じています。――そういうところ、大事ですよね。子どもを持つことについては、結婚前に話すことはありましたか?國廣:結婚前から子どもは欲しいねと話していました。その割に妊娠したことに気づくのが遅くて。なぜか妻の体調がひどく悪いもんだから、胃カメラを予約していたんです。撮る前日に妊娠検査薬で調べて、初めて気づいた次第です。それが昨年の9月のことで、すぐに二人で産婦人科に行くとすでに妊娠4ヶ月で、二人して驚きました。その時ももちろんうれしかったし、翌月には男の子だと分かって、性別にはこだわりはありませんでしたが、「あぁ、赤ちゃんが生まれるんだな!」って実感が湧いた瞬間でした。――出産に立ち会われたそうですが、難産だったそうですね。國廣:陣痛が始まってから僕も3日間、病院に通いました。予定日を1週間越えていたので誘発分娩することになり、2日目に陣痛促進剤をしたのですが、今度は陣痛が強く出過ぎて赤ちゃんが弱ってしまい、いったんストップ。結局、陣痛が始まってから出産までに30時間かかりました。病院内に家族の宿泊施設はないので、僕は朝行って、夜帰るんですが、妻が本当に大変そうで、ずっと付き添っていましたね。――その付き添い方が、妻からすると、「神」だったとか。國廣:夫ができることをYouTubeなどで調べると、痛み逃しにはテニスボールでお尻を押してあげると良いとのことだったので、ずっと押していました。確かに妻に「本当にお産の立ち合い初めてなの?」と驚かれるくらい上手だったようです(笑)。あと、褒められたのが、100円ショップで買ったストロー付きのペットボトルキャップ。寝ていると、ペットボトルからお水が飲めないでしょう。ペットボトルキャップは絶対買っておいた方が良いです。本陣痛が始まったら、呼吸が早くなると痛みが増すので、「ゆっくり、ゆっくり」と声掛けも続けました。立ち合いは夫のみとしている病院で、妻の母も入れなかったのですが、「もし僕がいなかったら、30時間耐えられたかどうかわからない」って、妻は言っていました。――素晴らしい共同作業です!國廣:立ち合い出産する時に、夫がいろいろやらかしてトラブルになるケースも多いと聞いていたので、そうならなくてよかったなと(笑)。長い時間がかかった分、生まれた時は感動でした。出産に向けて家族のプランを設計し、お互いの仕事について何度も話し合いました――お子さんの誕生が2020年3月です。慈さんはすでに復職していますが、輝夫さんは21年3月まで育休を取っているんですね。國廣:妊娠が分かって、すぐに「仕事どうする?」という話になりました。その時、妻が僕に「育休を取ってみたら」と軽く提案してくれたんです。育休の制度は当事者にならないと意識しないものですし、前職でも今の会社でも育休を取った男性を見たことがないし、本当に取れるのかなとさえ思っていました。でも、会社に打診したら快諾でした。当初は、僕の育休は3カ月間の予定だったんですが、実際に育児をしてみると思った以上に大変で、後から1年間に延長したんです。――妻より夫の育休の方が長くなったいきさつは?國廣:一言で言うと、経済的理由です。将来的に子どもが増えることを想定すると、安定した収入を維持するためには共働きが良いと僕たち夫婦は思っているんですね。そのためには僕だけでなく、妻もスキルアップが必要です。妻の今の部署は広報なのですが、この仕事は子どもができるたびにブランクができると、キャリア構築が難しくなりがちな職種。それで今回も彼女が僕よりも早く職場復帰しました。僕のプログラマーという職種は専門職でもあり、ブランクにあまり影響を受けにくいと感じています。それで僕の方が長く休むことにしたんです。――夫の育休が妻のキャリアを応援することにもつながるのですね。國廣:僕の方も妻が働いてくれているので、安心して専業主夫に没頭できるっていうのもありますよ。まだしゃべれない息子と対話ができる不思議――家事分担、育児分担はどうしていますか?國廣:結婚当初から明確に分担はせず、どちらか一方しかできないという家事がない状態にしてきました。今は料理は妻、掃除は僕、後は手が空いている方が気づいた時にするという感じになっています。僕にしても料理も苦にならないので、妻の復職後は、大人の食事だけでなく、離乳食も作っています。――離乳食もですか?國廣:妻に教えてもらいながらですけど。――育児に対して不安を感じることはありますか?國廣:出産後1カ月は妻は実家で過ごしていたので安心感がすごくあったんですけど、親子3人で生活が始まる時は「部屋が狭いけど大丈夫かな~」などいろいろと不安でした。でも、トラブルもなく5カ月が過ぎたところです。ただ、妻が復職した9月の初めは、これから本当の専業主夫だと思うと、かなり不安でした。――今、輝夫さんとお子さんはどんな一日を送っているんですか?國廣:起床は朝7時です。妻が授乳して仕事に入る間に、僕は朝ご飯を済ませます。会社が完全にリモートワークに移行していて、妻は家で仕事をするのですが、家事育児はすべて僕の担当です。午前中は息子と遊んだり、おむつを変えたり。そうしているうちに、息子が眠くなってくるので、寝ている間に料理の仕込みや掃除、洗濯をします。息子が起きたらお散歩がてら買い物を済ませ、帰ってくるのが11時くらいです。離乳食や夫婦のお昼を作って食べて、午後はまた息子と遊んで寝かせて、その間に夕食の準備という流れですね。夕方5時半ごろから息子をお風呂に入れ、夜7時に寝かしつけをしたら、そのあとは夫婦でのんびり過ごします。――子育てでこだわっていることはありますか?國廣:たくさん話しかけるようにしています。喜んでくれるし、応えてくれるんです。いろいろ話しかけていて、時々、「そうだ、息子はまだしゃべらないんだった」とハッとすることがあるほど。そのくらい語り合っているというか、対話が成立しているから、我ながら不思議です。お互いにリスペクトする気持ちが深まり、チーム感が高まった――子どもができて何か価値観の変化はありましたか?國廣:育児がこんなに大変だとは、想像できなかったですね。育休も最初は3カ月で十分だと思っていたのですが、1年取ってもいいなって思ったほどですから。―― 一番大変なのはどんな時ですか?國廣:やはり、赤ちゃんが泣く時です。泣き止むまでガッツリ向き合わされることです(笑)。可愛いから平気だと思っていたら、全然そんなことはなくて、気分が落ち込んでいきます。気分転換にちょっとYouTubeを観ようと思っても、それができませんからね。リフレッシュする時間がないのは、案外メンタルをやられるものです。基本的に妻には迷惑をかけないようにしていますが、妻とちょっと言葉を交わすだけで、気持ちが入れ替わるので救われています。今も女性だけが育休を取って育児しているケースが断然多いはずですが、すごいことだな~と心から思います。―― パートナーシップもさらに深まったのでは?國廣:妻は「チーム感が出てきた」と言ってくれます。――ワンチームですね。大変なのも大変ですが、すごく楽しいので、僕にとってこの1年間は非常に価値ある時間です。――世の中の男性にも育休取得を勧めたいですか?國廣:育休は良い制度ですが、「誰もが絶対取ったほうが良い」というわけでもないと思います。僕たち夫婦は取ったほうが良い感じになるかなというのが見えていたので取ったわけですが、育休を前提に考えてしまうと、いろいろなことがゴチャゴチャになってくるんです。ですから、「こうすべき」と考えるよりも、その時の自然な流れに任せたほうがいいのかな。これは育児全体について言えることかもしれませんね。僕が来年4月に職場復帰したら、息子を保育園に預けることになると思うのですが、うまく回っていくのかなと不安があります。でも、その時々で「これがいい感じじゃない?」というのを夫婦で見つけていければいいのかなって思っています。取材後記國廣さん夫妻は、職場を同じくする同僚でもあり、お互いのキャリアを尊重する姿勢が印象的でした。それは夫婦関係づくりの潤滑油になることはもちろん、二人で稼ぐことで経済的な屋台骨を築くことにつながります。お二人とも3人兄弟の家庭で育ったため、将来めざすのは、「子ども3人の5人家族」だそうです。ご夫婦に、赤ちゃんを迎えて3人ワンチームの絆で結ばれる國廣家。将来はますます賑やかになりそうな……早くもそんな気配です。あわせて読みたい:ぼくたちの子育てシリーズ■ 家庭円満の秘訣は、妻や娘の話を聞くこと|JR九州・永田さん■ 家庭時間も仕事時間も、もっと自由にのびやかに|ハル(haru)さん■ 妻は、育児という目的に向かってともに歩む同志です|Friendly Pixel 共同創業者 ・ダニエル・ヨーダーさん