感染症の流行だけでなく、働き方の多様化により、自宅で仕事をすることも一般的になりました。在宅ワークに慣れてきた昨今だからこそ、より心地よく効率的に仕事ができる空間づくりをしたいですね。今回は、住まいにちょっとプラスすることで、在宅ワークが快適になるアイテムをご紹介します。在宅ワークの環境は人それぞれ。まずは現状を見直してみましょう在宅ワークとひと言で言っても、人によって状況はさまざまです。仕事専用の部屋があるのか、それとも共有スペースで仕事をすることが多いのか。小さな子どもがいるかどうか、オンライン会議が多いかどうか、などなど。まずは仕事の内容や住まいの環境、家族の状況などを考えてみて、働きやすいワークスペースづくりを検討しましょう。1.【デスク用パーテーション】模様替え不要、テーブルに置くだけでワークスペースが完成。集中力アップ・覗き見防止にも書斎や仕事専用の個室がなく、ダイニングテーブルなどを使って仕事をしている人も多いと思います。パソコンでの作業中に家族の視線が気になったり、キッチンやリビングの物が目に入って集中できなかったりすることも多いのでは。机上に置くタイプのパーテーションなら、模様替え不要で手軽に使えます。モバイルPCなどの周りを囲むだけでも、しっかり集中できる環境が完成。折りたためる物なら、使った後も収納スペースに困りません。100円均一ショップなどでも購入できますよ。2.【パーソナルデスク】部屋の一角につくるワークスペースに最適。間仕切りがあるので集中力をキープできます在宅ワークが長期間、あるいは頻度が多くなってくると、部屋の一角にワークスペースを設けている人も多いのではないでしょうか。間仕切りがあるタイプのデスクなら、部屋の他の部分と仕切ることができ、「ここからは仕事をする場所」と頭の切り替えもできて集中力もアップ。家族と同じ空間にいる安心感はありつつ、見た目にも"ワークスペース"だということが分かりやすいので、小さな子どもがいる住まいにも安心です。3.【ドアストッパー】オンライン会議中は個室のドアを閉めたいけど、子どもが心配…。そんな時に便利なアイテムですオンライン会議が多い仕事の場合は、仕事用の個室を確保している人も多いかもしれません。しかし小さな子どもがいる場合、ドアを完全に閉めていると心配ですし、とはいえ開けていると、「ママーこれしてー!」「パパーこれ見てー!」と突入されることもしばしば。そこで活躍するのがドアストッパーです。ドアを少し開けて固定できるタイプなら、他の部屋の音は聞こえるため子どもの様子はなんとなく分かりますし、万が一何かあればすぐに駆けつけられます。100円均一ショップで買えるものから、子どもでは簡単に開けにくい工夫が施された商品などもあるので、部屋やドアの構造、家族の状況などに合わせて選びたいですね。4.【ワークブース】仕事部屋がないなら、作ってしまおう!部屋の一角に設置できる簡易個室書斎や仕事部屋がなくても、部屋の中に個室を設置することも可能です。しっかりドアがあるタイプのワークブースは、通販などでも販売されています。これなら家族が同じ家の中にいても生活音が聞こえませんし、より仕事に集中できそうです。防音対策が施されている商品などもあるので、周囲の音が入らないようにしたいなど、仕事内容によって検討してみてはいかがでしょうか。>>臨時の出費にいかがでしょうか?NCB EZフリーローン5.【テント】個室のような空間をより手軽に実現。転勤や引っ越しが多い人にもおすすめワークブースを設置するほどではないけれど、パーテーションなどでは心許ない…。周囲と区切られた、仕事に集中できる個室のような空間が欲しいという人に、意外にヒットしているのがテントです。テントなら折りたためるので、在宅ワーク期間中はワークスペースとして利用でき、必要がなくなれば収納できます。転勤や引っ越しが多い人にもおすすめです。レジャーやキャンプなどで使う手軽な三角形のテントでも良いですが、四角い形状のものなら、より個室風の空間が作れそうです。(まとめ)住み慣れた自宅で仕事をするということは、リラックスできる一方で、集中力が削がれたり効率が下がったりすることも多いです。また、居住環境にワークスペースがあることで、一緒に暮らす家族にも少なからず影響します。暮らしを支え人生の糧となる大切な仕事だからこそ。長く快適に続けるためにも、働く人自身だけでなく家族のことも思いながら、心地よい空間づくりを心がけたいですね。■あわせて読みたい記事・マイホーム購入のきっかけって?・住宅購入にかかる費用ってどんなものがあるの?
飲料メーカーに務める三浦崇さん(43歳)は、妻・美緒さん(45歳)、長女・心海さん(15歳)・悠太くん(12歳)の4人家族。最近はリモートワークも増え子ども達と過ごす時間も多いそうですが、子どもが小さい頃は仕事が忙しく、なかなか育児の時間もとれなかったと振り返ります。多忙な中での子育てで心がけてきたこと、夫婦のコミュニケーションなど、さまざまなお話を伺いました。■Profile三浦 崇さん(みうら たかし)さんコカ・コーラ ボトラーズジャパン株式会社 勤務1979年、福岡県大牟田市生まれ。大学卒業後、南九州コカ・コーラボトリング株式会社(現・コカ・コーラ ボトラーズジャパン株式会社)に入社。自動販売機の営業を中心に、宮崎・大分での勤務を経て、2016年より福岡へ。現在はベンディング部門の運営・サポート業務を担当する部署で、基本リモートワークでの勤務。高校生と小学生の二人の子育て中。結婚後しばらくは、二人の時間を大事に――二人の出会いをお聞かせください。大学時代にバンドをやっていたのですが、ある時、バンドのメンバーと女性の友人数人で食事会を開いたんです。そこで出会ったのが妻の美緒でした。付き合い始めた時は大学4年の秋頃で、翌年には就職し私は宮崎へ配属。彼女は福岡で就職していたので、お互い行ったり来たりの遠距離恋愛でした。その後、大分に転勤してしばらくして、私が24歳の時に結婚しました。――結婚前、二人で子どもを持つことや育て方などについて話はしましたか?はい。「二人くらいは欲しいねー」と話していました。自分たちもそれぞれ兄弟がいたので楽しいと思っていたし、「叶うなら男女どちらも育ててみたいね」とも話していました。――第一子は結婚後すぐに授かったんですか?いえ。お互い若かったのもあって、「しばらくは二人の時間を楽しみたいよね」という話をして。私が27歳、彼女が28歳で長女の心海を授かりました。多忙が続き、子どもの寝顔しか見られない日々――子どもが産まれて、生活はどう変わりましたか?私の当時の業務は朝早く夜も遅いことが多く、子どもの寝顔しか見られない時も多かったですね。休みの日は子どもを連れていろいろと出かけていましたが。当時大分に住んでいたのですが、あまりに忙しかった時は、妻と子どもたちにしばらく福岡の実家に帰ってもらったりもしました。――美緒さんも大変だったでしょうね。そうですね。でも私は当時「男は仕事を頑張って、奥さんが家庭を守る」という古い価値観があって、「若いんだし自分たちだけで大丈夫だろう」と甘く考えていて。それで時々、妻と衝突してしまうこともありましたね。加えてうちは転勤族で孤立しがちでしたので、妻と話し合い、必要な時は実家を頼らせてもらおうということになりました。――考えが変わったのは何かきっかけがあったんですか?うーん、子どもが産まれたからいきなり変わるという感じではなかったですし、やっぱり私自身が育った環境もあって、すぐには難しかったです。自分の母を理想だと思いこんでしまっていて。でも、冷静に周りを見てみると働きながら協力して子育てしている家庭もあれば、そうでない家もあったり…価値観は人それぞれだなと。時には自分の考え方を変えていくのも大事だなと思うようになりました。それから妻がしっかり自分の意見や希望を言ってくれたのも良かったです。――美緒さんとの意思疎通がしっかり取れたんですね。二十代前半から付き合って、結婚してからもしばらく二人で過ごしていたのが良かったのかもしれません。お互いのことをよく分かった上で、遠慮せずに話ができるので。働き方が変わり、家事育児の大変さを実感――初めてのお子さんと二人目では何か変化はありましたか?これは妻曰くですが、二人目だとノウハウがわかっている分、一人目に比べると大変さは少なかったようです。泣いている理由とかもわかりますし。もちろん女の子と男の子なので、わからないところもあったりしましたが。性格は正反対で、心海は天真爛漫、悠太はどちらかというと寡黙なタイプです。心海がよく悠太の面倒をみてくれますし、助かっています。――現在は福岡在住ということですが、子育ての状況はどう変わりましたか?2016年から福岡市に住んでいますが、妻の実家も近くなりましたし、やっぱり安心感がありますね。息子の悠太が小学校に入学してから妻もパートを始めました。また、この春から私もリモートワークが中心になったので、子どもと過ごす時間も増えました。――仕事と家事育児のバランスはどう取られていますか?コアタイムのあるフレックス制なので、やるべき仕事をしながら、家族との時間も持てるようにしています。通勤時間が減ったのは本当に大きいですね。在宅ワークの時は、私が昼食を作ることも多いです。特に今は夏休み(取材時)で、妻がパートで不在にしていることも多いので。独身時代から料理は好きでしたし、皿洗いや台所や水回りの掃除も好きですね。やり始めると凝り性なんですよ(笑)。――しっかり家事もされているんですね。いやいや…今やっと、家事育児の大変さを身にしみて実感しています。改めて振り返ると、妻が大変だったことを本当には理解してなかったんですよね。キャンプや山登りを通して、達成感や判断力を育む――お子さんが大きくなられた現在は、どのような関わりを持たれていますか?平日は宿題を見たりします。私の昔の夢は美術の先生で今でも絵を描くんですが、美術の宿題を一緒にしたりとか、あとは英語と国語くらいですかね。理数系は苦手なので妻にお願いしています(笑)。また、これは子どもが小さい頃からですが、週末や休みの日は一緒に出かけるようにしています。――お子さんとどこに行くのが多いですか?アウトドアが多いですね。私がサーフィンをするので、まだ小さかった時から一緒に海へ行っていました。今はキャンプや山登りにもよく行きます。私自身、幼少期はボーイスカウトにいて、父からもいろいろと教えてもらいました。今自分の子どもを育てる上で、親から学んだことが糧になっています。――アウトドアでの体験を育児に生かしておられるんですね。はい。たとえば登山では達成感を味わってもらいたいと思っています。自分の脚で登頂したという「自信」にもつながりますし。「あの時に登った山、きつかったけど景色が最高だったね。山頂で食べたラーメンうまかったね」と、思い出を共有するのも楽しいです。キャンプでは、自分の手で作業することで、責任感や判断力が身につきます。ナイフやガスバーナーなど危険が伴う道具も、実際に使ってみないと危険度が分からないですよね。私も子どもの頃に父からサバイバルナイフをプレゼントされたんですが、自分の子どもたちにも、体験を通して正しい使い方を教えるようにしています。親自身が楽しむことで、子どもたちも心から楽しめる――育児を経験してご自身にも変化がありましたか?あんまり変わってないかな…いつまでたっても私自身が子どもで、いつか娘や息子に追い抜かれるかも(笑)。何でも子どもたちと一緒に楽しんでやっているので、「育児で自分の時間がとれない」というストレスは感じないです。時々ひとりキャンプにも行って、家族や将来のことをじっくり考える時間にしています。取引先の方とキャンプやアウトドアの話で盛り上がることもあって、仕事でも役立っていますよ。――子育てを通して、人間関係も広がりましたか?そうですね。特に、娘が小学生の頃から参加している「おやじの会」は、私自身も楽しくて長く続けています。住んでいる小学校校区のボランティア団体で、親子料理教室などいろいろなイベントを開催しています。「できるときに、できることを、できるかぎりやる」という無理のないコンセプトで、子育てや地域活動を楽しめるのがいいですね。現役メンバーは40人くらいいるんですが、実は今年から会長になっちゃいました!――現在、心海さんは高校生、悠太くんは小学6年生ということで、そろそろ難しい年頃ですか?うーん、今のところそうでもないですね。自分自身を振り返ると、もっと反抗していたと思うのですが(笑)。親として接するというよりは、自分も一緒に楽しい時間を共有しようと心がけてきたのも、もしかしたら良かったのかなと思います。――子どもと同じ目線で、ご自身が楽しんでいらっしゃるんですね。そうですね。たた、叱る時はしっかり叱ります。家族で決めた約束事を守れなかった時とか。怒られてもケロッとしていることもありますが、本当に響いているかどうかは表情を見ると分かりますから。――どんなルールを決めているんですか?例えば帰宅時間とかですね。それも、こちらが提示するのではなく、子ども本人と話して、お互い納得の上で決めるようにしています。また、食卓は必ず一緒に囲むようにしていて、料理の味をちゃんと味わってほしいのと会話を大事にしたいのでここ数年はテレビも消しています。――食事中にテレビを消すルール、続けるのは意外と大変ですよね。かわりに音楽をかけるようにしています。最近私はカレー作りにハマっているのですが、カレーの時はインド音楽とか(笑)。でも食後には、テレビも家族で楽しんでいますよ。先日、私が子どもの頃に好きだった「バカ殿」をみんなで観て爆笑していた時、ふと「あー家族だなー」なんて思ったりしました。今しかできない子育てを、思い切り楽しみたい――子どもにはどのように育ってほしいですか?とにかくいろいろな経験をして、感性や想像力と生きる力をつけて欲しいと思っています。自分で考えて、自分で動ける力ですね。私も楽しみながら、自分が教えられることは教えたいと思っています。心海は友達と組んだバンドでドラムをしているのですが、私も少しかじっていたので教えたりしています。また学生時代はバスケ部だったので、悠太がやっているミニバスも時々教えています。――最後に、これからパパになる人たちや子育て中のパパにメッセージをお願いします子どもの成長はとにかく早いですし、子育てって今しかできないことです。自分も一緒にいろいろな経験を楽しみながら、成長過程をみていくのが良いと思います。(取材後記)子どもたちと同じ視点に立ち、共に人生を楽しむ三浦さん。そのまっすぐな育児には、ご自身が両親から受け継いだ教えや愛情が表れているようでした。大変なことも多い子育ての日々で、つい忘れがちな親自身が「楽しむ」ことの大切さを、改めて感じた取材でした。■あわせて読みたい記事・アプリでできる住宅ローンの残高の確認方法について・【全国旅行支援の概要】使い方から期間、GoToトラベルとの違いまで徹底解説!
WEBデザイナー・ディレクターとして忙しく働きながら、妻・鮎美さん(39歳)と共に、優依奈さん(12歳)・彩音さん(9歳)・直哉くん(7歳)の三人の子どもを育てる髙橋良太さん。元々子ども好きで、第一子の出産前には予習に明け暮れたそうですが、実際の子育ては予想外の連続だったそうです。髙橋さんが育児を通して学んだこと、仕事と共通する部分など、さまざまなお話を伺いました。■Profile髙橋 良太(たかはし りょうた)さん株式会社メンバーズ WEBデザイナー・ディレクター1983年福岡県生まれ。東京の美術大学卒業後、福岡の印刷会社に入社し紙媒体のグラフィックデザイナーとして活躍。退職後、化粧品会社やネットベンチャー企業でWEBデザイン・ディレクション業務に従事。2015年に株式会社メンバーズへ入社。小学生二人、中学生の一人の子育て中。丸3日かかった第一子の出産――二人の出会いをお聞かせください。大学を卒業して入社した地元の印刷会社で出会いました。私はデザイナーで、妻は受付と文字校正の業務についていました。ほぼ同時期の入社で、年齢も同じです。同僚が組んでいるバンドのライブにみんなで行った時、打ち上げの飲み会で意気投合して付き合いはじめました。二人ともお酒が好きで、今でも毎日、子どもの話をしながら一緒に晩酌しますよ(笑)。結婚したのは3年ほど付き合った2009年、26歳の時です。――結婚前、二人で子どもを持つことや育て方などについて話はしましたか?はい。子どもは早く欲しかったですし、「三人くらい欲しいね」と話していました。私も妻も二人兄弟だったのですが、私のいとこが四人兄弟で、兄弟が多いのに憧れていたんです。――第一子の妊娠がわかった時のことを教えてください。長女の優衣奈を授かってから結婚しました。妊娠がわかった時びっくりはしましたが、すごく嬉しかったのを覚えています。ただその時、私は印刷会社を辞めて社員3人程のネットベンチャー企業で働いており、給料もあまり高くなかったんです。早く事業を成功させて、子どもを安心して育てられるようにしたいという焦りもありました。――妊娠中の感情の変化や、心掛けたことはありましたか?産院でエコー写真を撮ったり、妻のお腹が少しずつ大きくなったりと、実際に体の変化を目の当たりにしてなんとなく実感はしていたのですが、実際産まれてみると、それはただの妄想に過ぎなかったんだなと(笑)。父親教室に参加したり育児本を読んだりして心の準備はしていたつもりでしたが、産まれてきたら現実は想像と全く違いましたね。――出産は立ち会われたのですか?立ち会いました。一番上の子は産まれるまで3日くらいかかったんです。予定日が平成22年の2月後半でしたので、「2月22日に産まれたらいいよね」と言っていたら、なんと22日に最初の陣痛がきまして。でも結局、産まれたのは26日でした。初日の陣痛は軽いもので産院に行っても一度帰宅するように言われ、入院は翌日からでした。私は妻の母と交代でそばについていました。事前に、水を飲みやすいようにストローを通したペットボトルを用意したりして。妻はとにかくずっと痛かったようで、私もかなりあたられましたが(笑)、受けとめるしかできませんでした。私にできることはそばで腰をさすりながら、痛みを和らげるためにテニスボールをあてたり、水を渡したり…それくらいでしたね。――初めてのお子さんが産まれた時はいかがでしたか?やっと産まれた時は、その場で抱っこもしましたが、小さくて、とにかく可愛かったですね。子どもは元々好きで、普段から人のお子さんや赤ちゃんも可愛いなと思っていたんですが、自分の子どもになると可愛さが格別でした。事前の予習と全く違った、初めての子育て――初めての子育てはいかがでしたか?妻は2~3ヵ月ほど里帰りしていましたが、妻の実家も近かったので、私も毎日、仕事が終わってから行っていました。産まれる前に育児本などで学んでいた知識は、うちの場合あまり役に立たなかったですね。たとえばおすすめの離乳食や、夜なかなか寝てくれない時の対処法などを予習していましたが、書かれている通りにやっても離乳食は食べてくれなかったですし、長女はよく寝る子で、新生児の頃でも夜9時から朝6~7時くらいまでずっと眠っていたんです。―そうなんですね!夜間の授乳はどうされていたんですか?3時間おきの授乳が必要なので起こさないといけないんですが、なかなか起きてくれず困りました。長女の時は母乳があまり出なかったのもあって粉ミルクも飲ませていましたが、ミルクを飲みながらも、また寝ちゃうんです。だから体重もなかなか増えず、心配でしたね。授乳は基本的には妻が頑張ってくれていましたが、土日など翌日仕事がない時には、私も夜中に起きてミルクを作っていました。育児は三人それぞれ。進学で関わり方も大きく変化――初めてのお子さんと、二人目・三人目との変化はありましたか?そうですね。二人目の彩音や三人目の直哉は粉ミルクを全然飲まなかったので、ほぼ母乳でしたし、夜泣きも結構ありました。子どもはそれぞれ違いますね。ただ二人目・三人目の育児では、長女の時に買ってハマらなかったおもちゃは買わないなど、前に学んだこと活かせて効率的にできるようになりました。――ご夫婦で、家事や子育ての分担はどのようにされていますか。明確に分担しているわけではないのですが、気づいた方がやれることをやるようにしています。妻は掃除機をかけるのが苦手なので、掃除機は私がしています。そのほか、皿洗いやゴミ出し、土日の食材の買い出しなどは私がやることが多いですね。あとは、長女が今春から中学に進学しバレー部に入部したので、その送迎もしています。週3回、夜7時くらいまで練習があり、朝練もあって、結構大変です。土日には他校で練習試合や地区大会などがあり、ゴールデンウィークは半分以上、送り迎えをしていました。――進学がある春は、ご家族にとっても大きな変化があるんですね。そうですね。さらに我が家は2月に引っ越しもしましたので、バタバタでした。以前は3DKのアパートに住んでいましたが、子ども達も大きくなり手狭になったので新築を建てたんです。野菜づくりを通して、感性を磨く――ご自宅では野菜づくりをしているとうかがいました。新築した場所が元々田んぼで今も半分残っており、亡くなった叔父が遺してくれた機械もあるので、農業を始めました。以前から、次女が産まれる前に住んでいたアパートに少しだけ庭があったので、トマトやゴーヤ、キュウリなんかを育てていたんです。私の実家にも畑があっていろいろ育てていたので、農業はわりと身近でしたし。今年は本格的にいろいろと植えているので、収穫が楽しみですね。――お子さんたちも一緒に畑仕事をするんですか?子どもたちも一緒に楽しんでやっています。毎日野菜の様子を見に行っては、「キュウリがなりそうだよ」などと報告してくれます。元は私自身がやりたくて始めたことでしたが、土いじりは感性を育てるのに良いという話も聞いたので、一緒にできて嬉しいです。――仕事と育児のバランスはどう取られていますか?いま勤務している株式会社メンバーズは働きやすくて、特に仕事が忙しくてなかなか育児ができないということはないですね。土日はできるだけ子どもと過ごしたいと思い、いろいろ出かけています。釣りも一緒に行きますよ。でも最近は友達と遊ぶ方が楽しくなってきたようで、あまり一緒に行ってくれなくなったのですが…。自分のことは棚にあげても、教えることが大事――育児を経験して、仕事に変化はありましたか?私は以前マネージャーとして新卒社員の教育をやっていたのですが、気をつける点は育児と似ていると思います。例えば何かを教える時には、「自分のことを棚上げしてでも教える」ことが大事だと思います。自分が出来ること・得意なことだけを教えるのではなくて、自分ができないことも教えなければいけません。もちろん自分ができないことや、苦手なことをそのままだと説得力がないので、自分自身も学んでスキルアップしようとしている姿を、新卒の社員に見せるようにしていました。子どもも小学生に上がると宿題をみたりしなければなりませんが、苦手な教科も教えなければいけない。物事を教えるという点では共通する部分がありますし、育児をしていてよかったなと思いました。経験を積み、考え方を磨いて、やりたいことを実現できる人に――ご自身がパパになって変わったところはありますか?自分の言動に気をつけるようになりました。子どもは親の言葉遣いや行動を真似するので、真似して欲しくない言動はしないようにしようと心がけています。――子どもたちには、どんな人になってほしいですか?理想は特にないのですが、やりたいことをやってほしいですね。やりたいことを見つけるための機会や、見つかった時にチャレンジできるだけの環境は備えてあげたいなと思っています。たくさん経験を積んでいろいろな考え方を持って、何かあった時に動ける人になって欲しいです。――最後に、これからパパになる人たちや子育て中にパパにメッセージをお願いします。子どもって十人十色で、育て方に正解はないと思います。育児本やネット、SNSなどの情報も、あてはまる部分もあればそうではない部分もあって、上の子には合うけど、下の子には合わないこともあります。一般的に言われていることと合わないからといって、必要以上に気にしなくても良いのではないでしょうか。結局、その時に子どもにしてあげたいことをするのが、一番良いのではと思います。子どもと過ごせる時間はすごく短いし貴重なので、楽しんで育ててほしいですね。(取材後記)事前にしっかりと情報収集しつつ、子どもによって異なるさまざまな出来事を経験したことで、現在は客観的で冷静な視点を持って育児をされているのが印象的でした。そんな髙橋さんの「正解にとらわれすぎず、子どもとの時間を楽しんで」という言葉は、情報が溢れる現代の子育て世代にとって、ホッとできる一言ではないでしょうか。■あわせて読みたい記事・住まいのハンドブック・将来に備えて子ども名義の口座を開設するメリットって?FPが徹底解説!
IT関連サービス企業に勤め、福岡市との協働による創業支援事業「Fukuoka Growth Next(フクオカグロースネクスト)」の運営に携わる仕田原和也さん。妻・文子さん(38歳)と、永登(えいと・10歳)くん・斉豊(いつと・5歳)くん・朗人(あきと・1歳)くんの3兄弟を育てています。自身もユニークな生き方をしてきた仕田原さんが、育児で大切にしていることとは。■Profile仕田原 和也さん(しだはら かずや)さんGMOペパボ株式会社 社長室ディレクター Fukuoka Growth Nextパートナー/コーチ1983年岡山県生まれ。大学進学で福岡へ。卒業後、GMOペパボ株式会社の前進企業にアルバイトとして入社。20代は画家としての活動も平行しながらカスタマーサポート業務に従事。2019年より現職。3人兄弟の子育て中。妻は大学時代の同級生。自由な生き方のよき理解者――二人の出会いをお聞かせください。西南学院大学で同じ英語専攻の同級生でした。18歳まで岡山で育ちましたが、高校3年の担任の先生が福岡出身で、語学系の大学ということで勧めてもらって。ある日、受験勉強中の息抜きで観たTV番組の占いで自分の星座について、「これから先のあなたの人生、長崎で運命の人に出会います」と言われたんです。関西などの他大学も受けていましたが、「もしかしたら九州に縁があるのかも!」と思い、福岡に来ることを決めました。――縁を感じていた九州で、奥様と出会ったんですね。はい、妻は長崎ではなく久留米市出身でしたが(笑)。僕が入部した美術部と妻が所属していた演劇部の部室が隣同士だったというのもあって、仲良くなりました。――結婚はいつ頃されたのですか?2011年の1月、二人とも28歳の時に入籍しました。実は20代の僕は、かなり自由な感じで人生を送っていたんですよ。「いつまでたっても『結婚』に踏み込まない男」代表みたいな(笑)。――20代はどんな風に過ごしていたんですか?社会人生活は今の会社のアルバイトからスタートしました。並行して、大学時代に始めた絵も続けていて、個展も開いていました。20代後半くらいまでは、絵描きを生業にする道もぼんやり考えていたんです。そんな風でしたから結婚にもなかなか踏み切れず…。でもあるとき吹っ切れて、西新のカフェで唐突に「結婚しよう」と言いました。入籍後には東日本大震災もあり、「誰と一緒にいるのか」ということの大切さを実感しましたね。――奥様はずっと待ってくれていたんですね。妻も「いつ結婚するのかな」と思っていたかもしれませんが、僕のことを分かっているのか、直接聞いてくるようなことはなかったです。長男の出産はドキュメント映像に記録――第一子の妊娠がわかった時のことを教えてください。長男・永登の妊娠がわかった瞬間は、正直あまりピンときていなかったと思います。もちろん嬉しいんですが、「おおーそうか!」みたいな。――妊娠中に、感情の変化や心掛けたことはありましたか?初めての妊娠中は、妻の食べづわりがひどく、感情的にも不安が強かったりして、言い争うようなこともありましたね。僕は家事などでサポートするようにしていました。僕はもともと家事をやるのは普通のことというか、「男子厨房に立たず」みたいな考え方は全くなくて。僕の両親は共働きで、ずっと「自分のことは自分で」というスタンスで育ってきたし、一人暮らしも長かったので、ごく当たり前にやっていましたね。――初めての子どもが生まれたときのことを教えてください。僕も立ち会いましたが、生まれるまで15時間くらいかかりました。記録に残しておきたくて、陣痛の様子や沐浴、退院時などの様子をYouTubeにアップしました。大げさなことではなくて、今だとSNSに残すような感じですかね。――初めての子育てが始まり、どんな思いでしたか。正直、一人目の時は、愛着をどう持ったらいいか分からかなった部分もありました。「自分の身体から生まれた分身のような存在」という、"母と子"の関係とはまた違うので…。でも成長する長男と接していくことで「自分とは違う一人の人間がいるんだな」と実感でき、だんだん自分も父親として成長していった感じですね。流産を乗り越え、待望の第二子。夫として、親としてできること――次男の斉豊くんを授かった時はいかがでしたか。実は、一人目と二人目の間にもう一人授かったんですが、流産してしまったんです。だから次男が無事に生まれた時は、本当に嬉しかったですね。出産は本当に奇跡だし、すごいことなんだと、改めて思いました。――流産を経ての妊娠で、心掛けたことはありましたか。母体だけのことではないので、普段の食生活のことや、「出産までしっかりと育ってもらうためにはどうしたらいいだろう」と、妻とたくさん話しました。日常生活でできることはやりたいし、僕もいろいろ調べたり考えたりしましたね。第三子は助産院での出産を選択――三男の朗人くんは助産院で出産されたそうですが、お二人で決められたんですか。はい。自然な形で産んでみたいという妻の希望もありましたし、出産までの間、二人で本当にたくさん話をして決めました。助産院で出産するためには母体がしっかりと健康な状態でないと産めないので、そのための身体づくりとして、僕も妻と一緒に歩いて体調管理につとめました。――出産時のことをお聞かせください。畳の部屋の薄暗く静かな空間で、リラックスした状態でストレスが少なく産めたのはすごくよかったなと思いました。コロナ禍ではありましたが、助産院での出産はそもそも室内にいる人数が少ないので、僕はもちろん、長男も次男も一緒に立ち会えました。――永登くんや斉豊くんにとっても、良い経験でしたね。子どもたちにとって新しい家族を迎えるのに、「いつのまにか誰かが現れた」のではなく、「今まさにママから生まれてきた」という瞬間を体感できたことは、本当に良かったと思います。子どもたちが安らげる、走り回れる環境を叶えたかった――男の子3人の子育て、にぎやかな毎日ですね。はい。できれば子どもたちが走り回れるような家がいいと思っていたので、二人目が生まれる前年に家を新築して、妻の両親と二世帯同居をはじめました。――おじいちゃん、おばあちゃんも一緒に暮らしているんですね。そうです。妻は専業主婦なので、普段は子どもたちが帰宅すると、ママとおじいちゃん、おばあちゃんが迎えてくれます。僕は両親が共働きでしたから、子どもながらに「毎日大変そうだな」と感じていたし、正直ストレスも感じていたので、今の環境は子どもにとってはよかったのかなと思っています。――ご自身にとっては義理のご両親との暮らしですが、気を遣う部分もあるのでは。意外と"渡る世間は鬼ばかり"でもないですよ(笑)。考え方次第というか、もとは他人同士の暮らしですから、自分にとって良いことばかりを期待するのでなくて、「子どもたちのための最善策」という視点を忘れず、自分の感情には折り合いをつけるようにしています。子どもにとっては、祖父母と一緒に過ごすのはかけがえなのない時間ですから。今は子どもと共有する時間こそが、自分のための時間――結婚や子育てを通して、仕田原さん自身の人生での変化を教えてください。最初の転機は長男を授かった29歳の時です。会社では管理職を任されるようになっていましたが、育児のために勤務時間を減らしたいのもあって、一般職に戻してもらいました。絵の方も定期的な展示会はできなくなりましたね。「最優先すべきことは何か」を考えて行動していると自分のために使える時間はないので、30歳くらいからは「仕事と家庭」がメインになりました。――現在は、福岡市が進める創業支援事業の担当者として活躍されているそうですね。2019年から当社が、福岡市と民間企業との協働による創業支援プロジェクト「Fukuoka Growth Next」(FGN)の運営事業者に選定され、僕は常駐担当者になりました。新しい事業を始める方々の登記や資金調達などスタートアップを支援しています。――多忙な中で、仕事と子育てのバランスはどのように取られていますか。家にいられる時間は少ないですが、可能な限り子どもたちと共有する時間を作るようにしています。「朝食は一緒に食べる」「休日は一緒にレクリエーションをする」「宿題を見る」など、日常の細かなことをちゃんとやって、常に子どもたちと同じ目線でいようと心掛けています。――奥様と家事の分担などはされているんですか。家にいる時には皿を洗ったり、気づいたことをするようにしています。子どもが3人いると、常に誰かがやるべきことをやらないといけないので、特に分担と言うよりは普通にやっている感じです。――なかなかご自身のために使える時間はないのでは。僕はもともとテレビを観ないですし、子どもたちと一緒にいる時間は、なるだけ楽しみを共有するようにしています。みんなで観られるアニメや動画を探してみたり、自分の健康づくりのためにも一緒に散歩に行ったりとか。「自分の時間」「子育ての時間」ときっちり分けるのは難しいですし、いつのまにか、子どもと過ごす時間が自分のための時間になっています。――ご自身は絵を描かれていましたが、お子さんとも一緒に何かされていますか。はい。モノづくりの仕組みを知ってほしいので、よく一緒にいろいろ作っています。長男の夏休みの自由研究ではオリジナルの椅子を作ったんですが、プランから一緒に話し合い設計図を描いて、木材の切り出しもやりました。僕自身も最近は「描く」より「つくる」方が面白くなっていて、自分ではオーディオスピーカーを作ったりしています。子どもを子ども扱いせず、親も子も自立した関係に――子育てで心掛けていることを教えてください。親が教えなくても、子どもたち自身が自分で理解することが大事だと思うので、彼らが自分で考えて行動したことは、まず受け止めるように心掛けています。もちろん高いところに登ったり、危ないことをすることもありますよ。でもできるだけ、「痛い目をみることも必要」だと思うようにしています。よほど危険なことでない限りは、まずやりたいようにやらせていますね。――判断力をつけるためには経験も大事ですね。はい。そもそも頭ごなしに「ダメ」と言っても伝わらないですよね。どんなことでも親として説明責任を果たすようにしていて、「それはこういう理由でしない方がいい、別の方法を考えよう」と伝えています。たとえば夕飯前にお菓子を食べたいと言ったら、「今これを食べたらおなかいっぱいにならない?もう少ししたら夕飯があるけど、どっちも食べれられる?」と尋ねて、あとは子ども自身で考えさせます。――手出しをせず丁寧に接するのは、親側も忍耐力がいりそうですね。根気も時間も必要です(笑)。でも子どもだからと雑に対応していると、いろいろな物事に対して雑になるだろうなと思います。コミュニケーションを丁寧にするのは、相手が大人でも子どもでも同じです。子どもを子ども扱いせず、一人の人として接するようにしています。――子どもたちには、どんな人になってもらいたいですか。自分のやりたいことを自分で考えて実行できる、自立した一人の人間として育ってほしいです。そのために、僕たち親も子どもに依存するのではなく、夫婦の関係も大事にしています。――最後に、これからパパになる人たちや子育て中のパパにメッセージをお願いします子育ては、他と比べられないような、自分自身に対して栄養になるような時間を与えてくれます。もし可能なら、なるべくたくさんの子どもと過ごせると、楽しいと思います。(取材後記)自分の気持ちに正直に、もがいてきた人生だからこそ、今はいい意味で力を抜き、子育てや仕事に対してごく自然に向き合っている姿が印象的でした。子どもに対しても、大人と同じように相手の気持ちを考えて接することの大切さを、改めて考えさせられました。
ゲーム業界のクリエイティブに携わり、現在はCGプロダクションで広報と制作プロデューサーを兼務する小宮進吾さん。2018年、妻・亜希子さんと娘のあかりちゃん(8歳)・花ちゃん(5歳)と共に、関東から福岡へ移住しました。「会社での人材育成と育児は、共通する部分がとても多いですね」と話す、小宮さん流の子育てについて聞きました。■Profile小宮 進吾(こみや しんご)さん株式会社D・A・G ブランド・広報室室長兼クリエイティブ室プロデューサー。1979年生まれ。神奈川県出身。株式会社ソニー・インタラクティブエンタテインメントにてゲームのCGアーティストや管理職として活躍後、2018年に福岡市へ移住。ゲーム会社の広報職を経て、2020年より現職。カナディアンマフィン専門店「One Dot Muffin.」を営む妻・亜希子さんと共に、愛娘二人の子育て中。同じ会社で出会った妻とは、今も喧嘩のない仲良し夫婦――二人の出会いをお聞かせください。東京時代に勤めていた会社の同僚です。妻は別の部署でしたが、社内の懇親会をきっかけに知り合いました。――結婚はいつ頃されたのですか?付き合って1年ほどたった頃、2012年に結婚しました。僕も妻も32歳の時です。――結婚前、二人で子どもを持つことや育て方など話をしましたか?あまりしていなかったですね。というのも、妻とはとても価値観が合うので、一緒に家庭を持つことに対しての不安は一切なく、実際「子どもができた」と聞いた時も、嬉しさや楽しみの方が勝っていました。長女は妻の地元・福岡で、次女は東京で出産―― 長女のあかりちゃんが生まれるまでのことをお聞かせください。安定期には無理のない範囲で旅行を楽しんだり、友人を招いての結婚パーティーをしました。ただ、つわりが酷い時期もあり、僕ももちろん家事などはしていましたが、妻の辛さを分かちあえないのは歯がゆかったですね…。――あかりちゃんが生まれた時は、東京にいたんですか?出産は妻の地元・福岡の門司港に里帰りしたんですが、僕も東京から急いで駆けつけて立ち会うことができました。ちょうど仕事がひと段落していた時期で、そのまま1週間ほど休みがとれたのが良かったです。――次女の花ちゃんの時はいかがでしたか?次女の妊娠中は、つわりが長女の時よりも酷かったんです。当時は品川が職場でしたから、満員電車が本当に辛そうでしたし、一時期は食事がほとんどできなくなってしまって、入院もしました。――ママが入院して、あかりちゃんも不安でしたね。そうですね。当時は2歳でイヤイヤ期の絶頂だったこともあり、本当に大変でしたね。妻を見舞って病院から帰る時のあかりの号泣っぷりは、未だに忘れられません。――花ちゃんの出産にも立ち会われたのですか?二人目ということもあり東京での出産を選択しましたが、僕は立ち会えませんでした。というのも、予定日が近づいた僕の誕生日に二人でランチをしていた時、妻が「陣痛が始まったかも…」と言って、ひとりで先に病院へ向かったんです。僕は保育園に長女を迎えに行ってから急いで病院へ駆け付けたのですが、なんと着いたらもう生まれていたんですよ。――予想外のスピード出産だったんですね。はい。しかも、予定日より少し早まったことで、僕と次女の花は、誕生日が同じなんです。彼女が自分の誕生日を嫌いにならないように、まずは僕が嫌われないようにせねば、と思っています(笑)妻も夫も立場は同じ。最初は二人とも"子育て初心者"――家事や育児はどんなことをしていますか?僕はもともと家事が嫌いではなく、特に掃除が好きなんです。休みの日には娘たちと一緒に、すみずみまで掃除しています。「キレイにしてもらえて、家さんも喜んでいるかもね」と言って、家をキャラクターに見立てて話すと、面白がって手伝ってくれるんですよ。――奥様とも分担ができているんですね。はい。「家事と育児を二人の真ん中に置く」ということを常に心掛けています。日本では現代においても「家事育児は妻の役割、夫はサポート役」というような考え方になりがちだと思います。でもそうではなく、家事も育児も二人の中心において、「どちらも同じくらい責任がある」と意識するようにしています。おむつ替えや入浴、保育園への送りなども極力妻と同じレベルで出来るようにと夢中でやっていたら、妻の負担を減らせただけではなく、子供たちとの時間も増え、家族との絆もより深まったように感じています。――いつから実践されているのですか?長女が生まれた時からです。長女の出産後は僕も病院に泊まり込んでいたため、沐浴の方法などを妻と同じタイミングで助産師さんに教わることができました。たいていは「奥さんが病院で聞いてきたことを家で教えてもらう」といった流れが多く、この段階で"育児をする妻を夫がサポートする"という関係ができてしまうのではないかと思います。ただ、僕の場合は幸運にも、妻がこわごわと沐浴させているのを目の当たりにできて、自分も妻も同じ"子育て初心者"だと実感できました。――育児のスタートは最初が肝心ですね。そうですね。会社にも、これから出産を控える新米パパの同僚が居るんですが、「家事育児は夫婦の真ん中に置くと上手くいくと思いますよ」と伝えています。それから「自分もサポートするよ」というワードは、絶対言わないようにと(笑)家族の将来を見据え、福岡への移住を決断――次女の花ちゃんが生まれた後、福岡へ移住された理由をお聞かせください次女が生まれた後、当時住んでいたマンションが手狭になってきたので、最初は都内での引っ越しを考えていました。その頃は僕も妻も30代中盤となり、当時の仕事にとてもやりがいを感じていたんですが、今なら全く新しいチャレンジができるかもしれない、と思い切って福岡への移住と転職を決めました。父のルーツが福岡にあり、妻の実家も門司港にあることが、決め手の一つとなりました。――当時はあかりちゃんが4歳、花ちゃんが1歳だったそうで、家探しも大変だったのでは?福岡市内に戸建てを新築したんですが、まず友人から最近おすすめのエリアを聞いて、日帰りでいくつかの候補地を見て回り、その日に決断しました。――東京にいながら、福岡の家づくりをされたんですね。はい。打ち合わせなどは、すべて都内にある住宅メーカーのショールームで行いました。毎回、長時間に及び、子供たちもまだ小さく大変でしたが、とても楽しい思い出ですね。――福岡へ移住後に転職されたんですか?はい。2018年8月に福岡市に引っ越してから、同じゲーム業界ではあるものの、クリエイティブ職ではなく、それまでとは違うことに挑戦したいと思い、株式会社レベルファイブに広報職として入社しました。その後、ご縁をいただき、現在はゲームや映画などのCG制作を行う株式会社D・A・Gで、ブランド・広報室とクリエイティブ室に所属しています。――奥様は福岡で起業されたんですよね。妻は2020年の3月にカナディアンマフィンの専門店「One Dot Muffin.」をオープンし、おかげさまでまもなく2周年を迎えます。最近は娘たちも「大きくなったらマフィン屋さんになる」と言って、店の手伝いをしたがっているようです。ちなみに、お店のロゴデザインは僕が担当しました。育児は完璧を目指さず、周囲に頼ることも大事――福岡での暮らしはいかがですか?とても暮らしやすいですね。文化と自然のバランスがとても良く、落ち着いていて温かい雰囲気が気に入っています。食べ物も美味しいですし、娘たちも「福岡サイコー!」と気に入っていて、本当に移住して良かったと日々実感しています。――福岡で新しい人間関係もできたのでは。家族ぐるみの友人が増えました。長女のあかりは水泳を習っているのですが、一緒に通っている近所のお友だちのパパさんが迎えに行ってくれることがあり助かっています。「地域で子どもを育てる」という文化が根付いていると感じる機会が多く、嬉しく思っています。――子育てには親同士の信頼関係も必要ですよね。そうですね。子育ては大変なことも多いけれど、その中でも「家族みんなで今という時間を楽しむこと」が大事だと思っています。でも楽しむには「心の余裕」が必要だと思いますし、余裕を失わないためにも、一人で何でもやろうとし過ぎず周囲に頼ることも大切だと思います。そういった点でも、福岡のみなさんはお互いの子供たちを常に気にし合っていて、とても心強いと感じます。人材育成も子育ても、「個を尊重する」ことが大切――子育てが仕事に生かされている部分はありますか?はい、たくさんあります。子供向けのコンテンツやデザインに触れる機会も増えましたし、育児をする同僚たちの気持ちを深く理解できることは、とてもプラスだと考えています。それに、会社でのマネジメントと子育てには、共通する部分が多いと思います。――どのようなところでしょう?人材育成も子育ても、一人ひとりの個性を尊重することが基本だと考えています。特にクリエイティブな業界は個性豊かな人たちが多いので、それぞれの個性を最大限発揮してもらいたいと考えています。ですから僕は、「新人」や「社会人1年目、2年目」という言葉は、直接、本人に対しては使いませんし、新卒で入社したばかりのスタッフにも「あなたがこれまで20年以上、生きてきた全てをぶつけて勝負してほしい」と伝えています。社会人としての経験だけではなく、これまで彼らが見てきた景色をできるだけ共有して欲しいと思っています。――お子さんにも同じ考えて接していらっしゃるんですね。はい。娘たちが学校や幼稚園で起きたことを話してくれる時も、できるだけ手を止めて、同じ目線で話を聞くように心がけています。彼女たちがいくつになっても一番の味方でいたいし、自分の考えを安心して伝えられる家族でありたいですね。――忙しいと、つい子どもの話を受け流してしまいがちです。僕は「子どもを子ども扱いしすぎない」ことが大事だと思っています。以前、家族でイギリスに3週間ほど滞在したことがあったのですが、たとえばカフェでは、店員さんが僕たち親に話しかけるのではなく、娘たちに直接話しかけてくれるんです。「あなたの席も用意しておいたよ」といった感じで。日本とは違い、子どもたちにも一人の人として接してくださったのが嬉しかったですし、子育てにも生かしたいと思いました。「自分に優しく、自分の判断で行動できる人」になってほしい――子どもにはどんな風に育ってほしいですか?「自分自身に優しくできる人」、そして「自分自身の判断で行動できる人」になってほしいです。僕の望みはこの二つだけですね。――「人に優しく」ではなく、「自分自身に優しく」とは?人に優しくできる人は、まず自分自身を大切にできる人だと思っています。自分の時間を大事にして自分自身のことを心から愛せる、そんな大人になってほしいと願っています。――具体的にどんなことをしてほしい、ということはありますか?特にありません。自分自身や周囲の方々のことを大切にしながら、そのうえできちんと自分の考えを持って判断・行動したことであれば、どんなことでも応援したいと思っています。――最後に、これからパパになる人たちや子育て中のパパにメッセージをお願いしますぜひご家族と共に「今しかできないこと」を、思い切り楽しんでください。日々細かいことまで完璧を求めなくても、例えばお子さんが二十歳になった時、しっかりと「一番伝えたかったこと」さえ伝わっていれば良いのではないかと思います!取材後記長くクリエイティブ業界に携わってきた小宮さん。仕事も子育ても、既成の「枠」にとらわれず、生き生きと楽しんでいる様子が伝わってきました。その根底にあるのは「相手を信頼し尊重する」という、小宮さん自身の揺るぎない信念。「子どもと親」「夫と妻」「上司と部下」といった線引きをせず、誰に対しても一人の人として接することの大切さを、改めて実感しました。あわせて読みたい記事:■【ぼくたちの子育て】自分の時間はないけれど、一緒に過ごせる「今」を大事にしたい|御手洗将さん■博多の偉人39選[vol.1]|福岡・博多にゆかりがある歴史上の人物とは?■ららぽーと福岡 オープン前でも公式サイト「&mall」で買い物OK■【子育て支援制度】とは?育児に役立つ政策の内容や助成金について紹介■プロが教える室内撮影のテクニック!カメラの選び方やライティングのコツも伝授
通信関連会社に勤務しながら、ペットホテル・トリミングサロンも経営している御手洗将さん。多忙なダブルワークに加え、元気いっぱいの息子・恵太くん(3歳)の育児にも奮闘しています。不妊治療に初めての子育て、コロナ禍での起業…妻・恵さん(47歳)と共に乗り越えてきた、さまざまな経験を聞きました。■Profile御手洗 将(みたらい しょう)さんDog Salon GRACE 代表取締役1981年生まれ。福岡市出身。24歳で通信関連会社に入社し、営業職として現在も勤務。2020年、福岡市東区千早に無料送迎サービスを行うペットホテル・トリミングサロン「Dog Salon GRACE」を開業。会社員と経営者のダブルワークをこなしながら、妻・恵さん(47歳)と共に息子・恵太くん(3歳)の子育て中。これで最後…諦めかけた時に授かった、かけがえのない命――二人の出会いをお聞かせください。2014年に、大学時代の先輩を通じて紹介されたのがきっかけです。当時、私は福岡に、妻は佐賀に住んでいて、どちらかというと私がしょっちゅう佐賀に通ってデートしていました。――ご結婚はいつ頃されたのですか?付き合い始めた頃、私は34歳、妻は41歳でした。自分たちの年齢も考えて「1年付き合ってみて何も問題が起こらなければ結婚しよう」と話しており、当初から妻の実家にも行っていました。それで2015年の9月頃に結婚を決めて、翌年の3月に入籍しました。――結婚前、二人で子どもを持つことや育て方などについて話をしましたか?子どもは欲しかったですが、年齢のこともあって、できないかもしれないとも思っていたので、「もし授からなくても2人で楽しく生きていこう」という話もしていました。―― 恵太くんを授かるまでのことをお聞かせください。結婚後すぐに産婦人科へ相談に行ったところ、医師から年齢と妊娠・出産のデータを示されながら自然妊娠の難しさを伝えられ、不妊治療をすすめられました。私たちも「できなかったら仕方ないけど、やってみよう」という気持ちで挑戦し、幸運にも半年後、授かることができました。人工授精を5回行ったけれどなかなか着床せず、「次で最後にしよう」と思っていた矢先のことでした。――初めて子どもができたことを知った時の気持ちはいかがでしたか?最初は、きつねにつままれたような、「まさか」という気持ちでした。というのも、産婦人科での検査より前に、妻が自分で妊娠検査薬を使って確かめていたのですが、その時には妊娠反応が出ていなかったんです。妻は「今回も多分ダメだよ」と言いながら半ば諦めて病院で検査してもらったのですが、そこでなんと妊娠反応が出たんです。ですから喜びもありましたが、驚きが大きかったですね。「この子は命に代えても守りたい!」自然とそう思えた――念願の妊娠で、お二人とも嬉しかったでしょうねもちろん嬉しさもありましたが、無事に生まれるまでは安心できませんでした。医師からは年齢的に流産する可能性も高いと言われていましたので…。妊娠8カ月くらいまでは、過保護なくらいに心配していましたね。妻は妻の実家が経営する会社で事務員として働いているのですが、妊娠してからは体調をみながら、無理のないように仕事を続けていました。事務の仕事とは別にお香の講師もしていて、もともとイベントやアクティブなことが好きな性格なんですけど、妊娠中はすべて我慢して、口に入れるものにも気を遣っていましたね。――初めて自分の子どもに対面した時はどんな気持ちでしたか?出産も難産でした。妻は長時間陣痛に耐えてくれていましたがなかなか子宮口が開かず、最終的には緊急帝王切開で生まれてきてくれました。私は正直、生まれるまでは実感が湧かなかったのですが、最初に息子の顔を見た時、「命に代えても守りたい」という思いが自然と湧き上がってきました。――パパになってご自身の意識が変わったところはありますか?これまで「自分が一番」だったのが、生まれたばかりの息子を見たらスーッと、「この子が一番大事」という意識に書き換えられましたね。それに、以前よりも子どもや命の大事さを考えるようになって、息子が生まれてからは、テレビなどで動物の赤ちゃんが襲われたりするシーンなども見られなくなりました。求めるばかりでなく、まずは自分が変わろうと思えた――子どもが生まれてから、生活やご夫婦の意識は変わりましたか?初めての子育てで、自分の時間が全くとれないので戸惑うこともありました。妻とは結婚してから初めて一緒に住んだということもあり、子どもが2歳くらいになるまでは、生活スタイルや価値観の違いなどからぶつかることもありましたね。でも家族ってそういうものだし、最近は相手に期待するばかりではなく、自分が変わることも大事だと思えるようになってきました。――育児の分担はしていますか?平日は保育園に通っているので、妻が朝と夕方の送り迎えをしています。基本的に夕方から夜が私の担当です。平日は会社から18時半~20時半くらいに帰ってくるのですが、それから夕飯を食べさせて一緒に入浴、そして寝かしつけまでを私がやっています。妻もダブルワークで週末はお香の講師としての活動があるので、土日は私が息子と一緒にいることが多いですね。――育児の中で一番大変だと思うことは?入浴から寝かしつけまでが苦労しています。ずっとおもちゃで遊びたがってお風呂に入りたがらないので、それを説得するのが大変です。最近は「おもちゃを持って入ろう」と誘ってスムーズにいくこともありますが、何を望んでいるのか分からないこともあるのでなかなか難しいです。寝かしつけにも結構時間がかかってしまい、時々動画に頼ってしまうことも…。本当なら寝かしつけた後に自分のことをしたいのですが、だいたいは疲れて一緒に寝落ちしています(笑)。家事は必要に応じてルール化すればスムーズに――御手洗さんが担当している家事はありますか?主に、妻が洗濯をして私は料理、掃除は二人で担当しています。きっちり決めたわけではないですが、自然にそうなりました。――ご夫婦ともにダブルワークをされていて、家事も大変でしょうね特に掃除ですね。土日は二人とも別の仕事をしているのでなかなか時間がとれず、放っておくとかなり散らかってしまいます。それで妻と話し合って「必ず掃除をしてから出かける」というルールにしました。それからは結構スムーズに分担できています。育児まっただ中、すきま時間をみつけて起業準備――会社員を続けながら起業されたそうですね。きっかけは?2020年8月にペットホテル・トリミングサロン「Dog Salon GRACE」を開業しました。息子が生まれる前から柴犬を飼っているのですが、ちょっと預けたいと思っても自宅近くに預けるところがなく、私たち自身が困っていたんです。そんな時、自宅から30分ほどの場所にペットと居住することが条件というユニークなマンションができ、1階に店舗物件があるという話を聞いて、それなら自分でやってみようと。――育児をしながら起業準備をされていたんですね、時間はとれていたんですか?平日は会社に通勤していますし、夜は育児、土日も子どもの相手をしているので、ほぼ時間はありませんでした。ですので、昼休みなどに時間をみつけてコツコツ準備していました。――コロナ禍での開業は大変でしたでしょうねトリミングの方はおかげさまでオープン当初から順調だったのですが、緊急事態宣言中は、旅行はもちろん外出する人がそもそも少ないので、ペットホテルの利用が芳しくありませんでした。2021年秋頃からは復調してきたので、これからですね。――開業してからは、お子さんとの時間はどうされていますか?普段ペットサロンの運営はスタッフがしていますが、土日は私も店舗へ出て送迎などを担当することもあります。息子も犬が好きなので一緒にサロンに連れていって過ごしたり、時間があるときは遊園地に一緒に行ったりしています。――御手洗さんご自身の時間は全くないのでは自分の時間はゼロですね。でも、子どもが生まれてから「仕事以外に自分のしたいことって何だろう?」と考えてみたら、意外にないんですよね(笑)。子どもが甘えてくれる時期は今だけなので、なるべくたくさん思い出を作りたいと思っています。大変なことも多いけど、そのぶん大きなものがもらえるのが子育て――子どもにはどんな風に育ってほしいですか?人生にはいろいろな選択肢があると思うけど、一番は元気に育って、思いやりのある人になってほしいと思います。――最後に、これからパパになる人たちや子育て中のパパにメッセージをお願いします子どもは生まれてみないと、生活にどういう動きが出てくるか分からないし、戸惑うこともあると思います。家族なのでぶつかることもあるけど、そのぶん、大きなものをもらえるのが子育て。命を懸けられるほど可愛い存在は他にないと思うので、大変だけど大事に育ててほしいですね。(取材後記)不妊治療を乗り越え、初めての育児に奮闘しながら住まいを新築し、コロナ禍での起業にダブルワーク…。「今しかない」子どもとの時間も大事にしつつ、ご夫婦それぞれの人生も諦めずに挑戦を続ける御手洗さんの経験談には、多様化する現代の働き方や子育てにおけるヒントが詰まっていました。家族とは価値観や環境が異なる他人同士が結ばれて出来るもの。御手洗さんが話してくれた「求めるばかりでなく、まずは自分が変わる」という意識は、一生を共にする家族だからこそ忘れてはいけない視点かもしれません。あわせて読みたい記事:■【ぼくたちの子育て】予想外の経験を重ねてたどり着いた、「完璧を目指さない」子育て。|tomo.株式会社・山奇智幸さん■博多の偉人39選[vol.1]|福岡・博多にゆかりがある歴史上の人物とは?■新年を気持ちよく迎えよう。「玄関インテリア」をすっきり整える4つのポイント■【子育て支援制度】とは?育児に役立つ政策の内容や助成金について紹介■プロが教える室内撮影のテクニック!カメラの選び方やライティングのコツも伝授
3年間の香港駐在後、2021年3月に帰国し独立起業した山奇智幸さん。長男・大悟くん(8歳)と次男・侑悟くん(6歳)を授かるまでの苦難や、コロナ禍で駐在した香港での子育て、妻・いずみさん(41歳)の入院など、さまざまな経験を経た今、山奇さんが心がけていることとは? ■Profile山奇 智幸(やまき ともゆき)さんtomo.株式会社 代表取締役1977年生まれ。大野城市出身。大学卒業後、三井物産の本社勤務と韓国駐在を経て、2011年、福岡県庁に民間経験者枠で入庁しUターン。企業誘致や国際部門を経て、2018年から3年間、福岡県香港事務所長として家族で香港駐在。2021年に帰福後、独立して7月にtomo.株式会社を設立。海外向けプロモーション支援業務などを行う。現在、大悟くん(8歳)と侑悟くん(6歳)の子育て中。不妊治療を経て授かった子どもたち――お二人の出会いをお聞かせください。韓国駐在時代に、福岡県庁への転職が決まった後、九州支店に勤務していた先輩から紹介してもらいました。帰国までの短期間は遠距離でしたが、福岡と韓国の距離は東京よりも近いですし、韓国と福岡で会ったりしていました。――ご結婚はいつ頃されたのですか?私が福岡に戻ってから妻の両親に結婚の挨拶へ行きました。5月の妻の誕生日に入籍して、7月の私の誕生日に結婚式をあげたので、今のところ記念日を忘れたことはありません。――結婚前、二人で子どもを持つことや育て方などについて話をしましたか?育て方までは話していませんが、子どもはいつでも授かりたいと思っていましたし、そのうち出来るのかなと思っていました。ただ、なかなか出来なかったので、色々とやれることを試していました。不妊治療の一環で受けた卵管造影検査では、妻にひどい蕁麻疹が出てしまって非常に大変な思いをしていましたね。そんな苦労もあったんですが、その後、長男の大悟を授かりました。――初めての子どもができたことを知った時の気持ちはいかがでしたか?妻も大変な思いをしての妊娠・出産だったので、すごく嬉しかったです。やっと出来た、と。両親も初孫を楽しみにしていたので、とても喜んでいました。――お二人目の時はいかがでしたか。兄弟も欲しいと思っていたのですが、すぐにはできなかったので不妊治療をしました。ただ、卵管造影はアレルギー反応が出てしまうので、最終的には体外受精を行い、幸いにも第二子に恵まれました。――いずみさんも大変だったでしょうね。当時は共働きだったので、妻は仕事帰りに産婦人科へ通ったりと大変だったと思います。計画的に出来るものでもなく、年齢を重ねればそれだけ確率も下がっていくと言われていましたし…。費用面でも結構かかりました。子どもの病気やアレルギーを経験して心がけていること――子どもが生まれてから、生活や意識は変わりましたか?子ども中心の生活になったのはもちろんですが、長男の大悟が生まれて数カ月後に体調を崩して、体温が42度まで上がって熱性痙攣を起こした時はどうして良いか分からず、救急車を呼びました。無事に退院できましたが、原因は尿路感染症という病気でした。その後も何度か熱性痙攣を繰り返すことがあったんですが、冷静に対応できるようになりました。生まれたばかりの頃はあまり子育てという実感が沸かなかったんですがこういう経験をして、体調の変化はちゃんと見ておかないといけないなと意識するようになりました。――体調管理以外に気をつけていることはありますか?食べ物にも気を配っています。子どもが二人とも卵アレルギーで、卵を使ったものを食べてしまうとアナフィラキシーショックになることがあるので、特に外食では注意していますね。海外では何が使われているのか分からないことも多いですし、香港在住時は学校や幼稚園にも伝えていました。デモにコロナ禍…激動の香港に3年間駐在。現地での子育ては?――香港駐在が決まったときのことをお聞かせください。大悟が5歳、侑悟が2歳の時に香港へ行きました。県庁の国際部門に勤務する中で、いずれ海外でも仕事をしたいというのはありましたので、以前から希望は出していて。2018年から、香港で福岡県のプロモーション業務などを行う「福岡県香港事務所」の所長として、3年間駐在することになりました。――では、いずみさんも海外へ行くことについては心構えをされていたんですね。私は2回目の海外駐在でしたのでそんなに構えることはなかったんですが、妻は初めての海外生活でいろいろ心配事はあったと思います。実際、現地で2回ほど子どもを救急病院に連れていったことがあったりもしましたし。そういう時は言葉が話せる私が連れて行っていたんですが、海外出張などで長期不在にしている時に体調不良になると不安だったと思います。――息子さんたちは現地の幼稚園に通っていたんですか?英語と日本語が半々の幼稚園に入園しました。インドや香港、中国、いろいろな国籍の子ども達に混じって、異文化のなかで3年間過ごしたのは貴重な経験だったと思います。特に次男の侑悟は、集団生活のスタートが自由な環境だったので、帰国後、日本の幼稚園ではちょっと戸惑うこともあったようです。近所の小学生のお兄ちゃんたちを、下の名前で呼び捨てにしたりだとか(笑)。でもあまり押さえつけずに、日本でものびのびとさせています。――幼稚園のシステムは日本と比べていかがでしたか?息子たちが通っていた幼稚園は、午前中は英語、午後は日本語で、週に何度か中国語のレッスンもありました。日本の幼稚園でも英語の授業が何度かある場合もありますけど、子どもたちが通っていた香港の幼稚園では英語を基本にして、そこに中国語も入ってくるという感じでした。今はだいぶ忘れたようですが、特に当時2歳だった次男は、家でも中国語の単語を教えてくれてましたね。語学をはじめ、子どもたちの適応力は凄いなと思いました。――息子さんたちにとっても大きな環境の変化でしたね。特にコロナ禍では、香港と日本の両方で隔離生活も経験しました。また2020年3月から7月までの5カ月間は、妻と子どもたちが一時帰国することになったりと、急な環境の変化が続いて大変だったと思います。なかでも長男は3月に一時帰国して福岡の幼稚園に入園し、4月には福岡の小学校へ入学、さらに7月には香港へ戻って現地の日本人小学校へ編入と、4カ月間に3回も学校が変わったのですが、文句ひとつ言わずに休まず頑張ってくれていました。――コロナ禍での行き来はご苦労が多かったのですね。一時帰国の際の、子どもたちの幼稚園探しが大変でした。2020年1月の新型コロナの発生が中国の武漢からということで、「中国から帰国された方はちょっと…」とお断りされることが多くて。中国は広いですし、場所によって状況はかなり異なります。特に香港は2003年のSARS大流行を経験しているので香港人の皆さんの感染症に対する意識はとても高かったです。最終的には、香港の状況などにご理解あった、とある英語の幼稚園が受け入れてくださり、大悟は1ヶ月、侑悟は5ヶ月お世話になりました。――ご家族が香港に戻られてからも、コロナ禍が続いて大変だったのでは。私は出勤していましたが、子どもたちがずっと家にいるので妻は大変でしたね。2020年7月から長男は香港の日本人学校に編入、次男は元の幼稚園に戻りましたが、感染症対策が厳しいので、どちらも全てオンライン授業だったんです。特に幼稚園児はワチャワチャして集中が続かないので(笑)、基本、常に妻が横にいないといけませんでした。――子育てをする上で気をつけていたことはありますか?日本もそうだと思いますが、コロナ禍で子どもたちの身体能力が落ちているということも聞いていましたので、週末はできるだけ外へ連れ出して体を動かすようにしてましたね。でも人混みは避けないといけないので、トレッキングやサイクリングのコースに連れていったり、フェリーでキャンプに行ったりだとか、アウトドア中心で遊ぶようにしていました。――激動が続いた香港での子育てで、思い出に残っていることはありますか?子どもたちにも、私の仕事であった福岡のプロモーションに一役買ってもらっていました。意識的にそうしていたわけではなく、たとえば子育てを通して知ったお出かけ情報などは、親子旅の提案に役立ちましたね。あとはちょうど香港でも「鬼滅の刃」がブームだったんですが、福岡にも聖地が何カ所かあるということで、長男には炭治郎、次男には善逸のコスプレをしてもらって、PR動画に出てもらったりしました。子どもたちも大好きなアニメでしたし、すごく楽しんでましたね。香港在住の日本人親子ということで、現地の有名な観光雑誌の特集に掲載されたのも良い思い出です。――ほかに、現地の方との関わりで印象に残っていることは?子どもたちが迷子になりました。うちは利用してなかったのですが、香港はメイド文化があるんです。ちょうどその日が日曜日で、街には休日を楽しむメイドさんがたくさんいて、知らないメイドさんが迷子になっていた息子たちの面倒をみてくださっていたのはすごく助かりました。子どもたちには多様な経験をして、海外との懸け橋になってくれたら嬉しい――2021年3月に帰福後、独立開業されています。現在の仕事と子育てのバランスはいかがですか?サラリーマン時代は基本的に土日が休みだったので、家族でお出かけや旅行に行くなど出来ていましたが、今は、まだ会社を立ち上げたばかりで余裕もなく、普段はあまり子どもたちの相手が出来ていません。西区に住んでいますので、休みの日には能古島でのんびり過ごしたり、キャンプしたり、夏休みには平戸へ釣りに行ったりはしましたね。あとは、料理人や陶芸家など職人系の知人を訪ねて、魚の捌きを見せてもらったり陶芸体験をさせてもらったりもしました。――息子さんたちにはどのように育ってほしいですか?いろいろと迷ったり寄り道をしながらも、自分がやりたいと思えることを見つけて欲しいなと思います。私自身、生まれも育ちも福岡ですが、子どもたちには福岡や九州の恵まれた自然の中で伸び伸びと成長して欲しいなと思います。無理強いは出来ませんが、自分の生まれ育った故郷を好きになってもらいたいですし、どの道に進むにしても、自分の故郷や日本と海外の架け橋になってくれたら嬉しいですね。完璧を目指さず、無理せず自分ができることを――日本と香港で育児を経験されてきた山奇さんですが、ご夫婦の役割分担は?香港にいた時は仕事中心の生活をさせてもらって、家のことは妻が中心にやってくれていました。車がなかったので買い物を一緒にしたり、救急病院の時もそうですが、子どもの病院にはよく私が連れて行ってましたね。帰福後は、基本的に朝は私が幼稚園まで車で見送りをしています。家で仕事をすることも多いので、早朝に打合せがなければ掃除機を掛けたり、夕方は子どもをお風呂に入れてついでに掃除したり、あとは、ゴミ捨てや子どもを病院に連れて行ったりとか…。はっきり分担を決めているわけではないですが、私でも出来ることをやっています。――子育てをする上で、大事だと思うことは?仕事もそうですけど、何が起きるか分からないので、事前に準備や勉強することも大事だとは思いますが、私の場合はその場その場で経験したことを、次に生かしていくことでしょうか。いろいろ構えて100%完璧にやろうとすると疲れてしまうので…。――いずみさんが入院されたことがあったとか。お一人での子育てはいかがでしたか?妻が今年(2021年)の10月、低髄液圧症候群という倦怠感や頭痛などが起こる病気で1ヵ月入院したんです。コロナ禍で面会も出来ない中、男3人で生活しました。食事の準備から掃除洗濯、幼稚園への送迎など、県内に住む両親にもサポートしてもらいながら何とか乗り切ることが出来ました。また同じ集合住宅に住むママ友の皆さんが、子どもが外で遊ぶのを見てくれたりと、いろいろと助けていただいたのも心強かったです。――最後に、これからパパになる人たちや子育て中のパパにメッセージをお願いします子どもの成長はあっという間なので、一緒に過ごせる時間は本当に貴重です。だからこそ、親である自分たちの健康も大事だと思います。仕事と育児で自分の自由な時間が持てないことが多いですが、私も健康のためになるべく徒歩や自転車で移動したり、時間を見つけて出来ることをしています。子育ても完璧でなくても、無理をせず自分の出来ることを、やれる範囲でするのが良いのかなと思います。取材後記不妊治療や海外での子育て、妻の入院と、予想もつかない日々の中、目の前の出来事を冷静かつ懸命に乗り越えてきた山奇さん。さまざまな経験からたどり着いた「子どもたちのためにも健康第一。だからこそ完璧を目指さない」という考え方は、核家族中心の現代の子育てにおいて、実は大切なことかもしれません。そんな父の背中を見ながら、香港と福岡で多様な経験を積んでいる息子さんたちが将来、どんな大人やパパになるのか楽しみです。あわせて読みたい記事:■【ぼくたちの子育て】子育てへの意識を変えた2週間の育児休暇| 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