インタビュー

【ぼくたちの子育て】子育ては創造的。「(これが)当たり前」や「普通は(こうだ)」という言葉にとらわれずに!|矢野裕樹さん

最初の赤ちゃんの早産での誕生死という大きな悲しみを乗り越えて、庵くんと紬ちゃんという一男一女を授かった矢野裕樹さん、昌子さん夫妻。矢野さんは自らのライフプランの中で、1年間の育児休業を取ると設定していたというほど家事・育児参加にはかなり熱いパパです。しかし、その彼でさえ、育児休暇は失敗続きで、図らずもパパ自身を育てる時間にもなった様子。実は現在も、子育てについて大きな課題と格闘中です。思ってもみないことが起こる、思った通りにならないからこそ、世の中の「当たり前」や「普通」にとらわれない矢野家の子育て法に、いろいろ教えられることがありそうです。

■profile
矢野 裕樹(やの ゆうき)さん
株式会社SCBイノベーションアカデミー福岡 代表取締役 
1982年生まれ。妻の昌子さんは職場の同僚。同じアパレルの会社に勤めながらも、専攻や担当ブランドの違いから全く接点がなかったが、ある商業施設への出店を機に出逢い、自然と付き合うようになった。その後、裕樹さんは芸能プロダクションへの転職を経て、独立。2020年11月、ビジネススクールの運営と伴走型創業支援を行う株式会社SCBイノベーションアカデミー福岡を設立。現在に至る。長男・庵(いおり)くん7歳、紬(つむぎ)ちゃん3歳の一男一女のパパ。

「結婚する気はあるんか!?」という義父の一喝で

― 恋人の関係から結婚を考える関係になった出来事がおありだとか?

妻とは仕事で長く一緒にいるうちに、なんとなく付き合いが始まり、同棲していました。実は彼女の住んでいたマンションの上の階にご両親が住んでいたんです。当然のことながら、「娘と住んでいる男は誰だ」となりますよね。それで、まずは挨拶だけでもしておこうということになり初めてご両親の家を訪ねたんです。

― 結婚の挨拶ですか?

いえいえ、ただの挨拶のつもりでした(笑)。で、玄関を開けて「初めまして」と言って目を上げた瞬間、お父さんの怖い顔が見え、ドスのきいた声で「おう、結婚する気はあるとや」と言われたんです。そこで「する気ないです」と言ったら、即刻帰れという話になりますから、「はい」って返事したんです。もう緊張してましたから声が裏返って、「ヒャイ!」って言ったような気がします(笑)。それから家に上がってビールで乾杯しました。

― ある意味、スムーズな流れでよかったですね。

ただ、自己紹介もそこそこに「年収はいくらや」と聞かれ、「200万円です」と言ったら「そんなんじゃ結婚できんぞ!?」「じゃぁ……転職します」と答えていました。とにかく怖いお父さんで(笑)。勤めていたアパレルはいきなり辞めたわけではなく、2店舗の責任者をやっていたので後進を育てて退職しました。

― 結婚式を挙げたのはいつですか?

2009年です。その2週間前に知人のつながりで出会った芸能プロダクションに転職し、モデル・タレントマネジメント、新規事業開発担当として働き始めていました。

― こんな家庭を築きたいというイメージはありましたか?

僕が結婚を決めた理由は、彼女のお父さんに会った時に「結婚するんだ」と言えたことと、もう一つは彼女と家族の関係性を見ていてとてもいいなと思ったことなんです。実は僕は家族との縁が20歳で切れていて、「家族なんて」と思っていたけどそれを覆してくれました。

生まれてくるのは当たり前のコトじゃない!

― 子どもが欲しいという思いもあったのですか?

僕もありましたし彼女も子どもは二人欲しいと具体的でした。ただ、すぐにはできず、ようやく妊娠して。でも、その赤ちゃんが早産での誕生死だったんです。妊娠6ヶ月目で破水してしまって。本当なら2012年9月が出産予定でした。

― 本当に辛すぎる出来事です。昌子さんはどんな様子でしたか?

彼女の状況としては、とにかく人に会いたくないという時期が1年くらい続きました。会うのは家族と、仲のいいごく一部分の人たちだけです。お腹も大きくなって、安定期に入ってたので、周囲は妊娠を知っている人が多く、会えば、妊娠・出産について聞かれることもあるからです。何も僕はしてあげることができないのでただただ一緒に時を過ごす感じでした。

子どもを亡くしたことで僕の価値観も変わりました。それは「生まれてくるのは当たり前のコトじゃない」ということです。気づいてみると、周りには妊娠して大変な思いをしている妊婦さんや夫は少なくないんです。そうした友達たちに目が向くようになりました。僕たち、「普通」に生活して、「普通なのは当たり前」って思い込んでいますがよく見ると、当たり前のことなんて全くないんです。それは今も僕の中で大切な教訓です。

― 庵くんが生まれたのはその何年後ですか?

2年後の2014年です。3年後に娘も授かることができました。

― 庵くんが生まれて、1年間の育児休業を取られています。

「せがれが生まれたから」というよりも以前から僕自身、ライフプランを作っていて子どもが生まれたら1年間の育児休業を取ると決めていました。当時は、男性の育児休暇取率が2、3%くらいでした。ハードな芸能プロダクションで1年間の育児休業を取った社員がいれば会社のイメージアップになるし、僕にも講演依頼などが増えるかもしれないでしょ、という交渉をしました。

― なるほど! 行き当たりばったりではないんですね。

収入面もそうです。育児休業中の最初の半年間は給料の7割、後の半年は5割になります。だから、その範囲で暮らせるように、車や家は買いませんでした。唯一の借金が奨学金の返済くらい。生活を見通す時に借金がないってとても大事です。収入がなければ、それに合わせた生活をすればいいというのが僕の根底にあります。

育児休業期間は、失敗の連続

― 昌子さんは姉さん女房で、裕樹さんは6歳年下なのに頼りになる夫って感じです!

いや、頼りがいはないと思います。僕がここで「頼りがいのある夫」なんていったら、妻の周囲が炎上するかもです(笑)。妻の方がしっかりしています。1年間の育児休業を取ったといっても結局、僕は何もできずただいるだけだったんです。いるだけの夫って、ストレスでしかないでしょ。

― それは意外な顛末です。

僕がやった育児参加は「子どもと遊ぶこと」。つまり、それ以外の子どもの世話や家事には参加していない……どころか、靴下は脱ぎっぱなし、するといっていた食器洗いをしないなど、イライラを増やしていたようです。だけど、僕にも言い分があるんです。たとえば、靴下の脱ぎっぱなしは「2?3時間しか履いていない靴下は次の日も使うから、置いておく」(脱ぎっぱなしではない、洗濯してもらうほうが手間をかけてしまうから)。食器洗いは、僕は、夜食べたお皿は次の日の朝に洗いたいタイプ。でも、妻は朝まで洗い物を残したくないタイプ。

僕は「次の日の朝」に「お皿を洗う」というスケジュールを組んでいるのに、妻からすると「そのまま放置」という見え方になってしまう。そして、「まだやっていないの?」とか「なんでやってくれないのか?」みたいな感じでストレスになるんですよね。常に努力はしているんです。できてないけど。

タスクマネジメントとスケジュール管理

― どんな努力をされているんですか?

一言でいうと、「タスクマネジメントとスケジュール管理」です。夫婦や子どももそれぞれのリズムというか「基準」があると考えています。だから、自分だけの基準で「なんでやっていないの?」というと、言われる方はストレスになりますよね。それなら、相手がタスクとして把握しているか、優先順位をどう考えているかを、共有できていればストレスも減るんじゃないかなと考えました。基準の見える化です。もちろん、これについては完ぺきにできているわけでなく、実験中なので皆さんと情報交換をしたいです。

― 子どもの「基準」も尊重するのがいいですね。矢野家の子育て法ですか?

一つの基準を父が設定しているのではなく、子どもも自分の基準を持っていて、その基準をお互いが認識していくことが大事だと思っています。それと「基準」とは別に「規則」があります。規則が多すぎると覚えていられないので、我が家の規則は一つだけ。食べ物を粗末に扱わないこと!です。

― 大事なことですね。

子育てに関しては課題があるんです。せがれが今年小学校1年生になったんですが、夏休みが終わり2学期が始まると学校に行きたくないと言い始めて……。毎朝のように「行かない」「なんで行きたくないの?」のやり取りです。 そうなんですね。

9月はずっと僕が学校まで送り迎えをして、朝だけ行く、2限目まで行く、2限目から行くといった状態です。夫婦でいろいろ話し合いますし、学校とも相談しながらやっています。

― 親としての考え方が問われるような気がします。

世の中で「当たり前」や「普通」とされていることが自分たちにも当てはまるのか、を改めて問う時間になっています。夫婦で話すのは「みんなもやっているから」というのは我が家では選択の基準にならないということです。学校側にも「学校に行くのが当たり前にという考え方は僕たちにはないです」と伝えています。

― 庵くんにはどう接しているんですか?

せがれには「学校に行っている時間が面白くなくて、そこに意味を感じないというのはOKだよ。その代わり、本当に好きなことに時間を使うのが僕の『基準』だからそれに対して君はどうなんだ」と問いかけています。ただ、学校に行った時に友達と「明日遊ぼうね」という約束をしてくることがあるんです。約束があるにも関わらず次の日に学校に行きたくないという時だけは、引きずってでも学校へ行って友達に謝らせています。自分がコミットしたことに対しては責任を取ることを教えたいからです。友達との約束は破らない。約束を守れないのなら約束をしない。もし、約束を守れないという失敗をしたらその時には相手に謝るんだということが「基準」です。だけど、親としてはとてもストレスですよね。

― 学校に行きたくない理由はわかっているんですか?

本人の口からは聞いてはいますが、本質的な理由ではないかもしれません。僕たちの夫婦関係にあるんじゃないかとか、僕がずっとオンラインで仕事をしていて、ほぼ家にいる状態で子どもからすると働く姿が見えない。じゃあ、家にいるパパはずるいよねと思われているのかもしれないですし。でも、真面目に考えると、全部親のせいになってしまうのでそういう方向に行かないようにしたいと思っています。

― 「真面目になりすぎない」って、ちょっと心を緩めさせてくれる言葉ですね。

真面目になりすぎると自分たちで抱え込みすぎて相談できなくなるんです。都市にいると生活基盤や経済基盤は安定し仕事も子育てもやりがいがありますが、イザという時に頼れる人があまりいないのはデメリットだと感じています。僕自身は、早い段階で校長先生にも相談をしました。最近はフリーパスで校長先生に会えるようになっています。

― 何も言わなくても心配してくれるようなおせっかいな人がいた時代もありました。将来は、矢野さん自身が町の世話焼き人になるのでは?

可能性はありますね。僕は人が暮らすために、生活基盤、精神基盤、経済基盤の「3つの基盤」が必須だと考えてて、まず生活基盤とは、病院やスーパーが近いとか移動しやすいといった生活の利便性です。精神基盤は、仕事や子育てにやりがいがあるか頼れる人がいるかということ。経済基盤は、生活を支える収入をえられる仕事があるかです。頼れる人がいないと精神基盤が弱くなる傾向があるので、いつか自分が「頼れる人」になれたらいいですね。

― 子育てもこれからが本番だと思います。どんな子どもに育ってほしいですか?

一言でいうと、「困っている人を助けるような人に育ってほしい」です。じゃ、どうしたら人を助けることができるかというと考え方が大事で「なぜ」よりも「どのように」を考えてあげられるかだと思います。

「なぜ」できなかったの?というと、その個人が答えを見つけないといけないけど「どのように」と問いかけたらみんなで意見を出せるようになるでしょう。いつかせがれもそんな思考ができて、人を助けられるようになってほしいです。話が後戻りしますが、だから僕たち夫婦もせがれに「なぜ小学校に行かないの」という言葉を使わずに「どのようにしたら学びの機会を作れるんだろうね」というように言葉を変えています。子育てをしているとやっぱりどうしてもうまくいかない、思い通りにいかないってことが出てくると思います。世の中のパパにも「子どもになぜと問うより、私たちはどのようにしたらいいんだろうというふうに考えてみて」とアドバイスしたいですね。

【取材後記】

子どもが生まれるまでは、効率追求型の仕事人間だったという矢野さん。しかし、子育ては効率化できない時間、思い通りにいかない時間の連続でむしろ、そんな無駄な時間を楽しむようになったことが大きな変化だといいます。家族には次々と課題も生まれます。小さなことも、大きなことも一つひとつていねいに、夫婦、親子で話し合いながらの答えを見つけ出そうとする姿に、矢野家の幸福の形を見た思いがしました。


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