IT関連サービス企業に勤め、福岡市との協働による創業支援事業「Fukuoka Growth Next(フクオカグロースネクスト)」の運営に携わる仕田原和也さん。妻・文子さん(38歳)と、永登(えいと・10歳)くん・斉豊(いつと・5歳)くん・朗人(あきと・1歳)くんの3兄弟を育てています。自身もユニークな生き方をしてきた仕田原さんが、育児で大切にしていることとは。
■Profile
仕田原 和也さん(しだはら かずや)さん
GMOペパボ株式会社 社長室ディレクター Fukuoka Growth Nextパートナー/コーチ1983年岡山県生まれ。大学進学で福岡へ。卒業後、GMOペパボ株式会社の前進企業にアルバイトとして入社。20代は画家としての活動も平行しながらカスタマーサポート業務に従事。2019年より現職。3人兄弟の子育て中。
妻は大学時代の同級生。自由な生き方のよき理解者
――二人の出会いをお聞かせください。
西南学院大学で同じ英語専攻の同級生でした。18歳まで岡山で育ちましたが、高校3年の担任の先生が福岡出身で、語学系の大学ということで勧めてもらって。ある日、受験勉強中の息抜きで観たTV番組の占いで自分の星座について、「これから先のあなたの人生、長崎で運命の人に出会います」と言われたんです。関西などの他大学も受けていましたが、「もしかしたら九州に縁があるのかも!」と思い、福岡に来ることを決めました。
――縁を感じていた九州で、奥様と出会ったんですね。
はい、妻は長崎ではなく久留米市出身でしたが(笑)。僕が入部した美術部と妻が所属していた演劇部の部室が隣同士だったというのもあって、仲良くなりました。
――結婚はいつ頃されたのですか?
2011年の1月、二人とも28歳の時に入籍しました。実は20代の僕は、かなり自由な感じで人生を送っていたんですよ。「いつまでたっても『結婚』に踏み込まない男」代表みたいな(笑)。
――20代はどんな風に過ごしていたんですか?
社会人生活は今の会社のアルバイトからスタートしました。並行して、大学時代に始めた絵も続けていて、個展も開いていました。20代後半くらいまでは、絵描きを生業にする道もぼんやり考えていたんです。そんな風でしたから結婚にもなかなか踏み切れず…。でもあるとき吹っ切れて、西新のカフェで唐突に「結婚しよう」と言いました。入籍後には東日本大震災もあり、「誰と一緒にいるのか」ということの大切さを実感しましたね。
――奥様はずっと待ってくれていたんですね。
妻も「いつ結婚するのかな」と思っていたかもしれませんが、僕のことを分かっているのか、直接聞いてくるようなことはなかったです。
長男の出産はドキュメント映像に記録
――第一子の妊娠がわかった時のことを教えてください。
長男・永登の妊娠がわかった瞬間は、正直あまりピンときていなかったと思います。もちろん嬉しいんですが、「おおーそうか!」みたいな。
――妊娠中に、感情の変化や心掛けたことはありましたか?
初めての妊娠中は、妻の食べづわりがひどく、感情的にも不安が強かったりして、言い争うようなこともありましたね。僕は家事などでサポートするようにしていました。僕はもともと家事をやるのは普通のことというか、「男子厨房に立たず」みたいな考え方は全くなくて。僕の両親は共働きで、ずっと「自分のことは自分で」というスタンスで育ってきたし、一人暮らしも長かったので、ごく当たり前にやっていましたね。
――初めての子どもが生まれたときのことを教えてください。
僕も立ち会いましたが、生まれるまで15時間くらいかかりました。記録に残しておきたくて、陣痛の様子や沐浴、退院時などの様子をYouTubeにアップしました。大げさなことではなくて、今だとSNSに残すような感じですかね。
――初めての子育てが始まり、どんな思いでしたか。
正直、一人目の時は、愛着をどう持ったらいいか分からかなった部分もありました。「自分の身体から生まれた分身のような存在」という、"母と子"の関係とはまた違うので…。でも成長する長男と接していくことで「自分とは違う一人の人間がいるんだな」と実感でき、だんだん自分も父親として成長していった感じですね。
流産を乗り越え、待望の第二子。夫として、親としてできること
――次男の斉豊くんを授かった時はいかがでしたか。
実は、一人目と二人目の間にもう一人授かったんですが、流産してしまったんです。だから次男が無事に生まれた時は、本当に嬉しかったですね。出産は本当に奇跡だし、すごいことなんだと、改めて思いました。
――流産を経ての妊娠で、心掛けたことはありましたか。
母体だけのことではないので、普段の食生活のことや、「出産までしっかりと育ってもらうためにはどうしたらいいだろう」と、妻とたくさん話しました。日常生活でできることはやりたいし、僕もいろいろ調べたり考えたりしましたね。
第三子は助産院での出産を選択
――三男の朗人くんは助産院で出産されたそうですが、お二人で決められたんですか。
はい。自然な形で産んでみたいという妻の希望もありましたし、出産までの間、二人で本当にたくさん話をして決めました。助産院で出産するためには母体がしっかりと健康な状態でないと産めないので、そのための身体づくりとして、僕も妻と一緒に歩いて体調管理につとめました。
――出産時のことをお聞かせください。
畳の部屋の薄暗く静かな空間で、リラックスした状態でストレスが少なく産めたのはすごくよかったなと思いました。コロナ禍ではありましたが、助産院での出産はそもそも室内にいる人数が少ないので、僕はもちろん、長男も次男も一緒に立ち会えました。
――永登くんや斉豊くんにとっても、良い経験でしたね。
子どもたちにとって新しい家族を迎えるのに、「いつのまにか誰かが現れた」のではなく、「今まさにママから生まれてきた」という瞬間を体感できたことは、本当に良かったと思います。
子どもたちが安らげる、走り回れる環境を叶えたかった
――男の子3人の子育て、にぎやかな毎日ですね。
はい。できれば子どもたちが走り回れるような家がいいと思っていたので、二人目が生まれる前年に家を新築して、妻の両親と二世帯同居をはじめました。
――おじいちゃん、おばあちゃんも一緒に暮らしているんですね。
そうです。妻は専業主婦なので、普段は子どもたちが帰宅すると、ママとおじいちゃん、おばあちゃんが迎えてくれます。僕は両親が共働きでしたから、子どもながらに「毎日大変そうだな」と感じていたし、正直ストレスも感じていたので、今の環境は子どもにとってはよかったのかなと思っています。
――ご自身にとっては義理のご両親との暮らしですが、気を遣う部分もあるのでは。
意外と"渡る世間は鬼ばかり"でもないですよ(笑)。考え方次第というか、もとは他人同士の暮らしですから、自分にとって良いことばかりを期待するのでなくて、「子どもたちのための最善策」という視点を忘れず、自分の感情には折り合いをつけるようにしています。子どもにとっては、祖父母と一緒に過ごすのはかけがえなのない時間ですから。
今は子どもと共有する時間こそが、自分のための時間
――結婚や子育てを通して、仕田原さん自身の人生での変化を教えてください。
最初の転機は長男を授かった29歳の時です。会社では管理職を任されるようになっていましたが、育児のために勤務時間を減らしたいのもあって、一般職に戻してもらいました。絵の方も定期的な展示会はできなくなりましたね。「最優先すべきことは何か」を考えて行動していると自分のために使える時間はないので、30歳くらいからは「仕事と家庭」がメインになりました。
――現在は、福岡市が進める創業支援事業の担当者として活躍されているそうですね。
2019年から当社が、福岡市と民間企業との協働による創業支援プロジェクト「Fukuoka Growth Next」(FGN)の運営事業者に選定され、僕は常駐担当者になりました。新しい事業を始める方々の登記や資金調達などスタートアップを支援しています。
――多忙な中で、仕事と子育てのバランスはどのように取られていますか。
家にいられる時間は少ないですが、可能な限り子どもたちと共有する時間を作るようにしています。「朝食は一緒に食べる」「休日は一緒にレクリエーションをする」「宿題を見る」など、日常の細かなことをちゃんとやって、常に子どもたちと同じ目線でいようと心掛けています。
――奥様と家事の分担などはされているんですか。
家にいる時には皿を洗ったり、気づいたことをするようにしています。子どもが3人いると、常に誰かがやるべきことをやらないといけないので、特に分担と言うよりは普通にやっている感じです。
――なかなかご自身のために使える時間はないのでは。
僕はもともとテレビを観ないですし、子どもたちと一緒にいる時間は、なるだけ楽しみを共有するようにしています。みんなで観られるアニメや動画を探してみたり、自分の健康づくりのためにも一緒に散歩に行ったりとか。「自分の時間」「子育ての時間」ときっちり分けるのは難しいですし、いつのまにか、子どもと過ごす時間が自分のための時間になっています。
――ご自身は絵を描かれていましたが、お子さんとも一緒に何かされていますか。
はい。モノづくりの仕組みを知ってほしいので、よく一緒にいろいろ作っています。長男の夏休みの自由研究ではオリジナルの椅子を作ったんですが、プランから一緒に話し合い設計図を描いて、木材の切り出しもやりました。僕自身も最近は「描く」より「つくる」方が面白くなっていて、自分ではオーディオスピーカーを作ったりしています。
子どもを子ども扱いせず、親も子も自立した関係に
――子育てで心掛けていることを教えてください。
親が教えなくても、子どもたち自身が自分で理解することが大事だと思うので、彼らが自分で考えて行動したことは、まず受け止めるように心掛けています。もちろん高いところに登ったり、危ないことをすることもありますよ。でもできるだけ、「痛い目をみることも必要」だと思うようにしています。よほど危険なことでない限りは、まずやりたいようにやらせていますね。
――判断力をつけるためには経験も大事ですね。
はい。そもそも頭ごなしに「ダメ」と言っても伝わらないですよね。どんなことでも親として説明責任を果たすようにしていて、「それはこういう理由でしない方がいい、別の方法を考えよう」と伝えています。たとえば夕飯前にお菓子を食べたいと言ったら、「今これを食べたらおなかいっぱいにならない?もう少ししたら夕飯があるけど、どっちも食べれられる?」と尋ねて、あとは子ども自身で考えさせます。
――手出しをせず丁寧に接するのは、親側も忍耐力がいりそうですね。
根気も時間も必要です(笑)。でも子どもだからと雑に対応していると、いろいろな物事に対して雑になるだろうなと思います。コミュニケーションを丁寧にするのは、相手が大人でも子どもでも同じです。子どもを子ども扱いせず、一人の人として接するようにしています。
――子どもたちには、どんな人になってもらいたいですか。
自分のやりたいことを自分で考えて実行できる、自立した一人の人間として育ってほしいです。そのために、僕たち親も子どもに依存するのではなく、夫婦の関係も大事にしています。
――最後に、これからパパになる人たちや子育て中のパパにメッセージをお願いします
子育ては、他と比べられないような、自分自身に対して栄養になるような時間を与えてくれます。もし可能なら、なるべくたくさんの子どもと過ごせると、楽しいと思います。
(取材後記)
自分の気持ちに正直に、もがいてきた人生だからこそ、今はいい意味で力を抜き、子育てや仕事に対してごく自然に向き合っている姿が印象的でした。子どもに対しても、大人と同じように相手の気持ちを考えて接することの大切さを、改めて考えさせられました。
西紀子
フリーライター・編集者
福岡市出身。大学卒業後、フリーペーパー編集部や企画制作プロダクションにて編集・ライティング業務に従事。2017年よりフリーランス。未就学児2人の子育てに奮闘中。