インタビュー 出産・子育て

「18歳になったら家を出る」、それがわが家のルールです|若田部佳代さん

若田部佳代さんに聞く!佳代流ハッピー子育て

いつも元気はつらつとしたタレントの若田部佳代さん。夫はソフトバンクホークス3軍コーチの若田部健一さん、お嬢さんは元HKT48の若田部遥さんです。ご家族で出演されている西日本シティ銀行のCMは、家族仲の良さがあふれていて話題を呼んでいます。実際の若田部ファミリーは、どんな家庭なのでしょう。佳代さんに結婚や仕事、子育ての方針まで、ざっくばらんなお話を伺いました。

■Profile

若田部佳代(わかたべかよ)さん

福岡市生まれ。銀行員を経て、23歳でタレント活動をスタート。西日本シティ銀行のCMをはじめ、さまざまなメディアで活躍。野菜ソムリエ、食育インストラクター、ファスティングマイスター、パン教室講師の資格を取得。趣味はヨガと筋力トレーニング。オフィス・ミラソール( http://mirasol.jp/ )所属。

銀行員からいきなりタレントに転身

銀行員からタレントに転身した若田部さん

― CMでの若田部ファミリーは仲が良くて、まさに“理想の家族像”という感じがします。CMには遥さんが出演されていますが、息子さんもいらっしゃるそうですね。

若田部: はい、息子が2人います。長女の遥は大学4年、息子は大学1年と高校1年です。3歳違いなので、トリプル卒業・入学なんてこともありました。

― そうですか。佳代さん自身が子どものときは、どんな風に育てられましたか?

若田部: 母には「自分で決めなさい」とよく言われました。というのも、母自身が厳しい家庭で育ち、自分で決められなかったらしく「わが子には自分で自分のことを決めさせたい」という思いが強かったようです。だから、やりたいことは自由にさせてくれました。

― 佳代さんは西日本シティ銀行(旧・西日本銀行)にお勤めだったとか。

若田部: 高校を卒業して5年間ほど働いていました。本部の支店部などを担当して、仕事にやりがいを感じていたのですが、たまたま支店で店頭指導をしていたとき、お客さんとして来られたモデル事務所(前所属オフィス)にスカウトされたんです。モデルなんて考えたこともなかったけれど、やらないと後悔しそうと思い、飛び込みました。親も「自分のやりたいことをやりなさい」と背中を押してくれて、すごく感謝しています。

子どもの成長を見守るため仕事をセーブ

子供の成長を見守るために仕事をセーブした若田部さん

― タレント活動を始めて、現在のオフィスに所属。27歳でホークスの投手・若田部健一さんとご結婚されました。どんな出会いが?

若田部: 知人の食事会で紹介されて知り合いました。3年お付き合いして結婚しました。

― もともと結婚したい、お子さんがほしい、仕事を続けたいといった思いはありましたか?

若田部: いえ、結婚願望はあまりなくて、バリバリ働きたいとかも考えず、ふんわり生きてました(笑)。幸い結婚してすぐに子どもを授かり、本当は産後すぐ仕事に復帰するつもりでした。まわりの先輩も出産後4か月ほどでテレビやラジオに戻っていたので。だけど、いざ子どもが生まれたらかわいすぎて、成長を見逃したくないと思い、1年間は休むことに。復帰後もしばらく仕事はセーブして、2人目3人目を合わせるとトータル7年はお休みしました。事務所の理解があったおかげですね。

夫婦ゲンカしない秘訣は「謝って」

ケンカしない秘訣は?と尋ねると「謝って」と伝えることだと答える若田部佳代さん

― 佳代さんが結婚された当時は、野球選手の奥さんは家庭に入るというイメージでした。

若田部: 主人は「家のことができるなら、仕事を続けていいんじゃない」と言うから、「そうか」と。私たちには「家事や育児は女性の仕事」みたいな古い概念がなく、散らかってたら主人がさっと掃除したり、洗濯したり。すごくよくできたパートナーですよ。「料理までできるようになったら完璧やない?」って教えてあげたら、「佳代の居場所がなくなるぞ」って返されました(笑)。

― 夫婦関係はいかがですか?

若田部: 対等な感じで、よく話します。ママ友のトラブルとか子どものこととか、たわいのない話もしっかり真剣に聞いてくれるから、話したらラクになる。私たち、付き合ってから今まで1度もケンカしたことがないんですよ。

― えー、すごい!夫婦円満の秘訣を教えてください。

若田部: 主人が我慢してるのかな(笑)。もちろん腹が立つこともあって、そのときは「こうこうでこうだから頭にきた。謝って」と言います。そしたら「ごめんね」と言うので、「いいよ」と返す。だからケンカにならないのかもしれません。私が主人から「これ、お母さんが悪いよね、謝って」と言われることもありますよ。

― その場で解決できるからいいですね。

若田部: そう、「謝って」までセットで言うのがポイント。謝るタイミングって難しいけど、「謝って」と言われたら相手も謝りやすいじゃないですか。

小さな頃から自分で決めさせてきた

子どもには小さなころから自分で決めさせてきたと語る若田部佳代さん

― 子育ての方針は?

若田部: しつけには厳しいと思います。「絶対にやってはいけないこと」はしっかり叱りましたが、「やってほしくないこと」、例えば牛乳をこぼすとか落書きするとか、そういうときはそんなに叱らない。でもね、3人いるとすごく大変でしたし、やっぱり人間だもの、感情的にもなりましたよ。

― 困ったときは、誰かに相談していましたか?

若田部: 子どもと私だけの関係にならないように気を付けて、困ったら主人や主人の実家、私の実家、近所のママ友などに話しました。ママ友に「腹立ったんよ」と言って「うちもよ」と言われると、肩の力が抜けるんですよね。まわりの人にずいぶん助けてもらいました。

子どもが小さいとき「人間浴」という言葉に出会いました。家族だけで育てるとそこの価値観だけになるから、近所の子と遊ばせたり、他の家族と一緒に過ごしたり、たくさんの人との出会いや体験を重視しましたね。市民農園の野菜や果物狩りイベントには、友だち家族とよく行きました。

― お子さんたちにも、自分で決めさせていたのでしょうか?

若田部: もちろんです。遥がHKTに入ることも、息子たちが少年野球をするのも、自分たちで決めたこと。親が決めると、もし挫折したときに「ほら、お母さんが言ったけん」ってなりますよね。決めたことに責任を持たせるという意味でも、自分で決めるということはすごく大事だと思います。

― 自分で決めるためには意思を持つことが大切ですが、何か工夫を?

若田部: 小さいときから、細かいことでも自分で決めさせていました。例えば、お子様セットについているオレンジジュースかリンゴジュースを「どっちがいい?」と選ばせるとか。幼稚園の先生から「転ばぬ先の杖にならないで。親が先に『あなたはこうだからこうよね』と決めたり壁を取り除いたりするのはよくない。壁にぶち当たり挫折したときに、それを乗り越えようと努力したり工夫したり我慢したりすることが大事」と言われたのがすごく印象的で、その通りだなと実感しています。

誕生日と結婚記念日はケーキでお祝い

誕生日と結婚祝いは家族で祝う若田部家|若田部健一さん・若田部佳代さん・若田部遥さん

― 2003年に健一さんが横浜に移籍されたとき、家族でついて行かれましたね。どうやって決めたのでしょう?

若田部: 年少さんだった遥に聞いたんです。「2つから選んでね。もしお友達と離れたくないならお母さんと福岡に残って、そのまま幼稚園に通えるよ、でも毎日パパは帰ってこない。もう一つは毎日パパが帰ってくるけど、幼稚園を変わるし、お友達ともバイバイしなくちゃいけないよ。どっちがいい?」と聞いたら、私としては福岡に残るかなと思ってたけど、娘は「パパがいい」と言ったんですよ。

― そんな大きな選択もお子さんに!家族でよく話をされますか?

若田部: そうですね、うちはそんなに反抗期がなかったので…いや、できなかったのかもしれない(笑)。男の子は口数が少なめだけど、家族はすごく仲がいいです。特に主人は家族の和を何より大切にしていて、家族写真を撮るときに全員笑顔じゃないと怒るんですよ。お誕生日と結婚記念日は、必ずケーキを買って三脚を立てて家族みんなで写真を撮る。で、みんなそろって笑顔じゃなかったら、もう1回(笑)。もう上の子2人が家を出たので、この前は3人で撮りました。

18歳で家を出て、自分で生きる力をつける

18歳で家を出て自分で生きる力をつけることを望む若田部佳代さん

― 寂しくなりますね…。

若田部: 本当にそう。でも、わが家の子育てで一番大事な方針は「18歳になったら、家を出てもらう」なんです。いつまでも親はいないし、自分で生きていく力をつけてほしい。小さいときから「18歳になったら出ていかないかんとよ」と言って育ててきました。遥が大学進学で本当に家を出たとき、弟たちは「18歳ってマジやったけん」とざわついて、末っ子は「オレはまだ6年あるけど、兄ちゃんあと3年で大丈夫?」みたいな会話をしてたんですよ(笑)。

― 18歳というゴールを明確にしていると、逆算していろいろ教えていけそうです。

若田部: そう、家のお手伝いはよくさせましたし、主人は息子たちが小さいときから自分たちの野球のユニフォームは自分で洗って干して畳ませていましたね。親子ともにタイムリミットを決めておけば、やるべきことがハッキリしますし、親元を離れて分かることもすごく多いと思います。

― 遥さんとご長男はすでに親元を離れて。この方針はよかったと思われますか?

若田部: はい。娘はしっかり者なので生活の心配がなく、「大学の授業がすごく面白い!」としっかり勉強しているようです。長男は寮生活で、自分の思い通りにならないことも経験してほしいと思っています。そういえば最近、息子から「寮のご飯はまずくないけどおいしくない」と連絡がありました。

― お母さんのご飯がおいしかったってことですね。

若田部: それに気付いたかなと思うと、ちょっとうれしい(笑)。

参観日も週末の野球も夫婦で通いつめた

参観日も週末の野球も夫婦で通い詰めた

― 健一さんはお子さんとどう関わっていますか?

若田部: 主人が現役を引退したのは、娘が小2のとき。それから末っ子が小学校を卒業するまでの10年間は家にいたいとこだわり、解説の仕事をしていました。だから、参観日も運動会も何でもほぼ全部夫婦で行きましたよ。週末は子どもたちの少年野球の車出しもして、観戦してました。

― えー、学校では目立ったことでしょう。

若田部: 参観日はふたりでセンターに立って、じっと見てました(笑)。主人は小学校でPTA会長までやりましたし。子どもって多分、親に見ていてほしいし、私はずっと見ていたいんです。家ではいまだに高1の息子の頭をなでます。小さい頃からずっとしてたから、もう儀式みたいな感じ(笑)。

― 愛情いっぱいの家庭で、みんな仲良しでしょうね。

若田部: いまだに3人掛けのソファにみんなギュウギュウで座ります。横浜から福岡に戻るとき、慌てて探した今の家が少し手狭なのが逆に良かったのかな。家族がどこにいるか分かるし、子どもたちの学習机を置くスペースがなくて、みんなリビング学習でした。

子育ては大変でも、振り返ればとても幸せな思い出

子育ては大変でも振り返れば幸せな思い出だと語る若田部さん

― 野菜ソムリエや食育インストラクターの資格をお持ちですね。

若田部: 結婚するとき母に「ご飯を作っておけば、夫と子どもは帰ってくる」と言われたんです。「え、ご飯がなかったら誰も帰ってこんの?」と思って、結婚前は実家暮らしで「お米って洗うの?」というレベルから頑張りました。子育てに余裕ができてからは野菜ソムリエや食育インストラクター、パン教室の講師、ファスティングマイスターも取得して、正しく食べることを学ぶのは楽しかったです。

― 3人の子育ては大変なこともありましたよね。

若田部: すごく大変だったと思うけど、楽しいことしか覚えていないんです。緊急事態宣言で家にこもっていたとき、家族の写真を整理したんですよ。いろんな写真を見ながら、「私、むっちゃ幸せやった」と幸せをかみしめました。

お気に入りの1枚があります。久米島で主人が撮ったもので、私が先頭にいて長女、長男、次男という背の順だったけど、今なら順番が真逆なんですよ。そんな日が来るんだとしみじみ。そのうち家族で同じ場所に行って、同じ並びで写真を撮りたいなあ。

若田部家の久米島での一枚

― いいですね。最後に子育ての先輩として、皆さんにメッセージをお願いします。

子育て中は大変なことの方がまさって、思い通りにいかないかもしれないけど、親として譲れないことはしつこくトコトン言い続けるしかないと思います。女の子って1言えば10分かるけど、男の子は10言っても1できるかどうかぐらいで…あ、これは、あくまでもうちの場合ですよ(笑)。

子どもが小さいうちはずっとそのままのような気がするし、社会から取り残されているような気さえしていました。仕事を休んでいる間、テレビに出ている友達を見るとうらやましいと思ったり…。でも、母親として子どもの成長をずっと見守れたことですごく満足感があります。子どもが大きくなるのはあっという間。いっぱい抱っこしてスキンシップを取って、一人で抱え込まずにみんなで子育てしましょう。

海での一枚|若田部家

インタビュアープロフィール

ライター・佐々木さん

佐々木恵美
フリーライター・エディター

福岡市出身。九州大学教育学部を卒業、ロンドン・東京・福岡にて、女性誌や新聞、Web、報告書などの制作に携わる。特にインタビューが好きで、著名人をはじめ数千人を取材。2児の母。

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