*はじめに:本記事は、西日本シティ銀行が発行する地域の魅力を再発見する情報誌「九州流」2015年10月号掲載の記事を転載公開するものです。以下、本文の記載内容(肩書きや代表者名、商品・サービス名等)は発行当時のものである旨、ご了承ください。
伊都国と日本神話
伊都国・平原王墓の発掘・整理・復元に専念した考古学者・原田大六氏は、その仕事の特長に、出土品の分析の際に古代の文献や日本神話の知識を融合させて、独自の視点で学説を展開することにあった。それを如実に示したのが著書『実在した神話』である。
その著書によれば、『古事記』や『日本書紀』(あわせて記紀と呼ぶ)に描かれている神代の歴史は、北部九州とりわけ伊都国で起きた史実を記録したものであるとしている。また、先に紹介した萱島さんも同じく、日本の神話の舞台は、伊都国を中心とした北部九州であると唱える。そんな伊都国と記紀の関連を象徴する神話が〈天孫降臨〉だ。
天孫降臨と日向峠
まず〈天孫降臨〉について少し。高天原(神々が暮らす天上界)を治めている太陽神天照大神(アマテラス)は、葦原中国(人間が暮らす地上)を治めさせるために、孫にあたるニニギノミコトを地上に降ろすことにした。
アマテラスはニニギに鏡・勾玉・剣(三種の神器)を持たせ、五柱の神々と共に天降らせる。このニニギこそが、日本の初代天皇とされる神武天皇の祖となる。〈天孫降臨〉とは神々が地上へと降り立ち人間界を治めるようになるという重要な神話である。
その降臨の記述には「筑紫の日向の高千穂のクシフル岳に天降りまさしめき。(中略)ここは韓国に向い、笠かさ沙さの御前(みさき)を真来通りて、朝日の直さす国、夕日の日照る国なり」とある。萱島さんは言う。「この〈筑紫の日向〉こそが日向峠を指しています。高千穂は高祖(たかす)の音便変化で、地元の方は高祖山のそばにある山をクシフル山と呼びます。伊都国は日向峠から昇る朝日を仰ぎ、玄界灘に沈む夕陽に照らされた先、韓国に向いて開いています。このように、きれいに符合するのです」。
また、伊都国は先に触れたように2本の川に挟まれた肥沃な土地で稲作が盛んな国であった。アマテラスは太陽神であり、天候を司る農耕神である。原田氏は平原王墓付近にあった二つ組を成す穴を鳥居の跡と推定し、二つの鳥居がそれぞれ日向峠と高祖山に向いており、秋の収穫の頃には日向峠から朝日が昇ることにも鑑みて、王墓が稲作の暦と密接に関係していたと推論した。そこで平原王墓に葬られた被葬者が太陽に関わる神事を行っていた人物であり被葬者を玉依姫、つまり大日孁貴(オオヒルメノムチ)= 天照大神であると位置づけたことは、多くの考古学ファンが知るところだ。いずれにせよ、大陸からもたらされた稲作農耕文明の入り口が伊都国を含む北部九州であったことは間違いなく、当時、大きな勢力を誇っていた伊都国が、太陽神であり農耕神であるアマテラスの命による天降り〈天孫降臨〉の舞台であったと考えるのは、あながち間違いとも言いきれない気がする。
神話の舞台・糸島
天孫降臨よりもはるか昔、イザナキとイザナミの二柱の神により日本が形創られていく物語、いわゆる〈国生み神話〉は記紀の中でも有名な神話のひとつだ。この舞台もまた糸島であると萱島さんは説く。「イザナミの死後、黄泉の国から逃げ帰ったイザナキが、その穢れを祓うために禊祓をします。その場所を『日本書紀』では〈筑紫の日向の小戸の橘の檍原(あはきはら)〉と記しています。ここにも〈筑紫の日向〉つまり日向峠が登場します。さらに『糸島郡誌』にはイザナキの禊祓の地が芥屋大門であるという伝承が残っていて、福岡市西区には〈小戸〉という地名が残っています。それらの地名や伝承から見ても、国生み神話の舞台は芥屋大門から小戸付近だったと考えています」。
さらに糸島と記紀の関連を掘り下げてみよう。萱島さんは「弥生時代の絹が北部九州からしか出土していないことに注目すると、記紀の中には驚くほど絹や養蚕にまつわる記述があります」と言う。「国生み神話、誓約(うけい)神話、天岩戸神話など、多くの神話の中に絹や養蚕の記述がありますが、天孫降臨に関係する記述でも絹が出てきます。降臨したニニギが、吾田の笠狭の御前で出会う少女・コノハナノサクヤヒメは、織経(はたお)る少女、つまり絹織りをしていたのです」。コノハナノサクヤヒメは、後にニニギと結ばれヤマサチ兄弟を産む。さらにヤマサチはトヨタマヒメと結ばれ、ウガヤフキアエズノミコトを産む。このウガヤフキアエズの子が、神武天皇となる。天孫降臨から神武天皇の誕生までが、伊都国と糸島半島を舞台にしていると萱島さんは説く。
「ここで注目されるのはシオツツノオジです。まずニニギがコノハナノサクヤヒメと出会う笠狭の御前の領主として登場し、領地をニニギに献上します。次に釣り針を失くして途方に暮れているヤマサチに教えてトヨタマヒメのいる海神の宮殿に案内しています。そしてシオツツノオジは糸島市芥屋の塩土神社に祀られている。私は笠狭の御前は芥屋付近だと考えています」。
事実、伊都国や糸島半島の神社には、記紀神話にまつわる神々を祀る神社は多い。ウガヤフキアエズは芥屋の太祖神社や産宮神社(波多江)に、ヤマサチは高祖神社といった具合だ。さらに萱島さんは続ける。「伊都国の伊都は、呉音でイツと読みます。伊都をイツと読むと、記紀には伊都(イツ)が数多く登場します。伊都国と記紀神話の関係性は強いのです」。
このように、神代の時代の神話の舞台が、もし糸島市付近であったならば、遺跡、史跡、神社などが、新たな魅力を持って、私たちにメッセージを送り続けているような気がする。あなたの街の、見慣れた風景の中にも、もしかすると古代日本の足跡が隠されているかもしれない。
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