【飛翔対談】岩田産業グループホールディングス・岩田陽男氏 | 食を通じて九州を元気に

*はじめに:本記事は、株式会社NCBリサーチ&コンサルティングが発行する経営情報誌「飛翔」2018年6月号掲載の対談記事を、発行元の許諾のもと転載公開するものです。以下、本文の記載内容(肩書きや代表者名、商品・サービス名等)はインタビュー当時のものである旨、ご了承ください。

話し手

株式会社岩田産業グループホールディングス
岩田陽男(いわた・はるお)代表取締役会長兼社長

昭和22年生まれ。大分県立中津南高校卒業。昭和43年に行商から始め、46年に兄の隆利氏とともに岩田商店(後の岩田産業)を創業。50年の法人化を機に取締役に就任。以後、イワタフーズ、イワタダイナース、岩田酒販の社長を歴任後、平成13年に岩田産業社長に就任。平成28年に持株会社を設立し、会長兼社長に就任、現在に至る。「公益財団法人経営者顕彰財団」が選定する平成29年度「経営者賞」を受賞。

株式会社岩田産業グループホールディングス  代表取締役会長兼社長 岩田陽男

聞き手

株式会社NCBリサーチ&コンサルティング代表取締役社長
光冨彰

食を通じて九州を元気に

農業、畜産業、漁業……、食の宝庫・九州で外食産業専門の食品、酒、青果の卸売業と、ピザ宅配を別法人化し、それぞれに専門性を持った会社を展開してきた岩田産業グループ。
平成28年、岩田産業の創業45年を機に、岩田産業グループホールディングスを設立。産業構造の変化が加速するなか、より効率的な企業経営を目指す。地域経済の発展、社会貢献、地域貢献を牽引する役割も担い平成29年には経済産業省より「地域未来牽引企業」の認定を受けた。岩田産業グループホールディングスの会長兼社長・岩田陽男氏にお話を伺う。

逆境から得た教訓

光富●岩田産業は3年後に創業50年を迎えられますね。創業期からお兄さまと二人三脚で会社を成長させてこられたと伺っています。

岩田●はい。私は18歳で商売人になろうと決め、修行に出ました。というのは、創業者である12歳年上の兄が、私が高校3年の時でしたか、近い将来には、業務用の食材卸業を興すと父と話をしているのを横で聞いていて、大学進学の目的を見失っていたその時期に、相談もせず勝手に商売人の道を選びました。

光富●最初から食品関連の事業をしようと思われていたのですか。

岩田●そうです。兄は大阪の業務用卸売業社で働き、その会社が神戸に支店を出した時に、初代の所長を務めました。そうやって商売の面白みを学んだのです。兄は大学を卒業していくつかの企業に就職をしたのですが、サラリーマンは性に合わず、自分で商売をする方がいいというタイプでした。
ただ、関西で独立すると修行した会社と競合になって迷惑をかけるので、将来は福岡での起業を決意したと聞いています。人脈もなく兄は福岡の飲料メーカーに勤め、将来に備えました。独立するまでは私も福岡の食品問屋、酒類問屋で修行したわけです。

光富●そして昭和46年にお兄さまと一緒に創業され、今年で47年目、みるみるうちに大きくなられたというイメージです。

岩田●創業から1回も赤字になったことはないので順調に来たのでしょうけれど、ただ、平成9年、ピザクックの大騒動は、これまでの人生最大の逆境でしたね。

光富●従業員さんが大量に他社ピザ宅配チェーン店に移ったことですよね。何か予兆はあったのですか。

岩田●あとで考えれば、当時、将来社長にしようと思っていた若きリーダーと、価値観の共有ができていなかったことが原因だと気付きました。私は社長と言っても非常勤で、月に数回会議に顔を出すぐらい、運営は彼に任せきりでしたから。

光富●権限委譲は人を育てるのには大切なことですが、それには、価値観の共有が欠かせませんね。

対談する岩田氏

岩田●その通りですね。ピザクックは3店舗の時に創業者オーナーから、平成2年に事業を譲り受けて以来、7年間で直営10店舗、フランチャイズ7店舗にまで成長しました。
成功し続ける過程で危険なのは、驕りが出始めることです。自分たちの力でここまで成長させたという驕りです。私自身にも社長という立場で驕りがあったでしょう。だから驕りと驕りがぶつかって、決別という事態になったのだと思います。

光富●その後、会長が立て直しに入られたのですか。

岩田●そうですね。常駐しなければ再建はできないと判断しました。当時18名の社員がいましたけれど、11名が辞めました。平成9年の3月から4月にかけて、お店は延べで19日間も閉まりました。本部は事務員一人と私だけ。急遽、編み物教室をしていた家内を事務員にして、外と内で5役も6役もこなしていました。
その後は、優秀なアルバイトを説得して社員に登用したり、今現在、専務を務めている原野拓郎の友達が入社してくれたりで、何とか店が開くようになりました。
そのような時期に嫌がらせも受けましたね。ライバル社の九州事業部が開設され、移った元社員たちの会社の社長からは「岩田産業もピザクックも夢も希望もない会社だ、もうすぐ潰れるからすぐに辞めたがいい」などと、本部や残った店長に嫌がらせのFAXが2枚も3枚もくるのです。その内、中傷の文章が、銀行や仕入先、岩田産業の有力ユーザーに200通ぐらい流れて、兄と一緒に頭を下げて回りました。

光富●大打撃ですね。そういう仁義なき戦いをする業界なのですか。

岩田●この会社は特殊ですよ。血を流さない戦争を仕掛けられました。ただ私たちはお客さま目線で、ピザクックらしさを貫くように社員には指導してきました。

光富●軌道に乗るまでどれくらいの時間がかかったのですか。

岩田産業企業一覧

岩田●1年ちょっとです。地獄のような1年間でしたね。不安や恐怖で夜も眠れないので、お酒を睡眠薬がわりに飲んで寝ていましたね。私にとっては、人生最大の逆境を味わいましたよ。

光富●それは苦しかったですね。40代のころですか。

岩田●ちょうど50歳でした。今は71歳ですから、約20年前ですね。

光富●ドラマになりそうなお話ですね。

岩田●私より遙かに大きな逆境を味わった人は世の中にたくさんいると思いますが、地方版ドラマになると思いますよ、自分で言うのもおかしいですけど(笑)。今だから言えることでしょうね。

光富●始めから壮絶なお話になりましたが、そこから得た一番の教訓は何ですか。

岩田●会社は方向性を明確にして、社員と共に価値観を共有することの大切さに気付きました。そこで「価値観の共有事項」を掲げ、すべての社員に配布することにしました。その中で、社是、経営理念、私たちの使命、経営の目的、仕事の目的、経営目標、求める人間像など会社が今後どういう方向に進もうとしているのかを、わかりやすく成文化しています。
もう自分がいなくても大丈夫だろうと思って岩田産業に帰ったのが、平成13年3月。大騒動から4年後のことでした。今は、当時残ってくれた社員のうち3人が要職について頑張ってくれています。

光富●ご苦労されたこともあって、ピザクックには強い思い入れをお持ちですね。

県下ナンバーワンの味の秘密

光富●デリバリーピザ店はたくさんありますが、やはり味が重要ですよね。商品開発で気をつけられているのは何でしょうか。

岩田●私が食べておいしいか、おいしくないか、それだけなのです(笑)。この味なら誰もが認めてくれるだろうなという味。そういう最後のチェックをするために、今も週1回、新商品が出来上がるまで試食しています。

光富●消費者に飽きられないよう、常に目新しいものを出さないといけませんね。デリバリーピザ業界の市場は拡大しているそうですが、その中で最も大切なのは差別化だと思いますが、ピザクックの特長は一口で言えば何でしょうか。

ピザクック

岩田●お年寄りでも食べられる和風テイストのピザがあることです。最近は同業他社にもずいぶん和風が増えてきましたけれどね。
照焼チキンスペシャルもピザクックが全国で初めて出した商品です。これは、ハンバーガーショップのテリヤキチキンバーガーを食べて考えた商品で、爆発的に売れました。えびマヨベーコンも、ある有名な中華料理屋のエビマヨがおいしいので、その味に似たものをトッピングして商品づくりをしました。これも根強い人気商品です。

光富●商品開発まで会長自らされてきたとは思いませんでした。ほとんどの商品がオリジナルなのですね。

岩田●ピザは生地が命だと思っていますので、ピザのポーション生地は自社工場で製造していますし、九州野菜を中心に使い、仕込みも店舗でしています。
実は私はチーズ嫌いだったんですよ。こどものころ食べたチーズが石鹸臭くて、そのイメージが残っていたのです。だから誰もが食べられるまろやかなチーズの改良から始めました。
生地は、サクッとカリッと、ほんのり甘くて風味と香りがあり、冷めても、翌日でも食べられる美味しいピザを開発のコンセプトにしました。同業他社と食べ比べて、どちらが美味しいかということは、お客さまの好き嫌いですから一概に言えませんが、確かな違いはあると思います。生地こそ命と思って真心込めて作っています。

光富●和風テイストと生地がアピールポイントなのですね。しかし、チーズがお嫌いなのに、なぜピザの世界に入られたのですか。

岩田●チーズの栄養価はそれなりに評価していました。成長に欠かせないカルシウム不足のこどもさんが増えているし、骨粗鬆症もカルシウム不足が一因ですよね。そういうことで、健康増進の一助になればと思っています。

光富●引き受けてくれというお話があって、ピザの研究を始められたのですか。

岩田●当社は問屋業で、エンドユーザーの仕事はできないのでお断りしていたのです。けれど、ちょうどバブル絶頂期で、業績は良かったのですが、オーナーの個人的な事情で事業を継続することが難しくなり、また有望な若いスタッフが何人もいて、その子たちを何とか育ててあげて欲しいと頼まれまして、最終的に引き受けさせていただきました。それから研究を始めました。

光富●ご本業とは、食つながりですね。

岩田●ピザの材料はすべて岩田産業グループ各社から購入しています。岩田産業は九州に1万5000社ほど取引先がありますが、その中でピザクックは一番の取引先で、年間10億円を超える取引をしています。岩田産業としてはナンバーワンの得意先です。

光富●福岡のデリバリーピザ業界はいかがですか。

岩田●福岡県では、大手全国チェーンが過去7社ありましたが、直近では3社になりました。店舗数はピザクックが29店舗でナンバーワンです。日本に500店舗ほど展開している2社ともが唯一苦戦している地区が福岡県だと聞いています。

岩田産業オリジナルブランド

一歩一歩実績を積み重ねる

光富●ピザのことであれば何時間でもお話をうかがえそうですが、食品卸のこともお聞かせください。市場は九州・沖縄に限定されていますね。

岩田●九州・山口・沖縄と、地域戦略はそう決めていて、私の目の黒い内は外に出るつもりはありません。

光富●この地域で、まだまだ拡大できるとお考えなのですね。

岩田●点から線、線から面にしていくことができれば可能でしょう。絶対的な地位を確保するには、そういった地域戦略が必要です。若い社員は全国を狙いましょうとか、東京に出しましょうとか言います。それを抑えに抑えています。

光富●全体のシェアから見れば、まだまだ開拓の余地があるということですか。

岩田●日本全体の外食産業の原材料費は約10兆円ありますので、九州がその1割としても1兆円です。その中のどれくらいのシェアを取れるかですね。

光富●今は350億円ぐらいでしたね。

岩田●連結でそれぐらいです。

光富●だとすると、まだまだ余地はありそうですね。

岩田●はい。もっといけると思っていて、中期的に500億円を目指しています。当社の軒数シェアが約8%程度ですから、まだ余地はあると思います。

光富●一番力を入れておられるのは営業力の強化ですか。

岩田●経営はお客さまを増やさない限りは成り立ちません。だから新規開拓、深耕開拓以外にはないです。当社は原則、セールスドライバー制度を採用し、自社便でお客さまと対話をしながら商売をしています。Face to Faceを何より大切にして営業力の強化をしています。

光富●そういう人たちが開拓の責任も負っているということですね。一方でプライベートブランドをお作りになっていますね。

岩田●「タートル・ウィン印」という商標を持っています。岩田産業のオリジナルPB商品で、今は200アイテムほどの商品があります。将来的に全売上の10%を目標にしています。

光富●タートル・ウィンのタートルとは、イソップ寓話の「うさぎとかめ」のかめですか。

岩田●そうです。歩みはのろくても、目標に向かって一歩一歩、着実に確実に、前へ前へと進む「かめは勝つ!」の精神です。それが信条なのです。

持株会社設立の目的

光富●会長は岩田産業の社長を15年お務めになられましたね。

岩田●平成13年6月から28年までで、2年前に甥の岩田章に譲りました。

光富●45周年を機にということですか。

岩田●それに、第5次中期経営計画のスタートの年でもありました。

光富●同じ年に持株会社を設立されています。その目的は何でしょうか。

岩田●ブランド力をアップして知名度をあげ、人材確保の難しさに立ち向かうためです。また、M&Aも進めやすいですし、社長も任命しやすくなります。
総務や経理は今年の3月からすべてホールディングスに移行し、グループの管理業務はホールディングスで一元化しています。そうやって効率経営に結びつけるのもホールディングスの設立目的の1つです。
岩田産業グループは6社ありますけれど、全部事業会社です。岩田産業も事業会社の1つで、グループの中核ということです。

光富●シナジーがありそうだったら会社の買収もご決断されますか。

岩田●はい。今、お話は非常に多いです。

光富●それは持込案件ですか。

岩田●そうです。直接来たり、銀行さん繋がりのM&A仲介業者であったり、さまざまです。ただ来た案件を当社の能力に見合った相手かどうか吟味しています。

光富●先ほど少しふれられましたが、社内教育を徹底されているそうですね。

岩田●私は高校時代、小学校の先生になろうと思って勉強していたんですけれど、目の病気のため教員にはなれなかったのです。でも、人に何かを言ってきかせるのが好きなのでしょうね。
やはり人を通じて物が売れていくわけですから、人を大事に育てていかないといけません。当たり前のことが当たり前にできる人間を目指しています。一流の仕事人である前に、一人の人間として一流であること。礼儀が全てに優先すると思い、当社の戦う武器にしたいと考えています。それで社内研修制度に力を入れています。陽輝塾、夢創塾、信楽喜塾、未来塾を、若手や一般の事務員から管理職まで、階層別にやっています。

光富●それは会長自らお話をされるのですか。

岩田●各地の現場には、1年に1回、役員を連れて勉強会をします。そして「何か困ったことはありませんか」という感じで問いかけます。私も「会長が来てくれた」と現場のみんなが喜んでくれる顔を見るのが楽しみです。

光富●一人ひとりが成長することで、会社も成長するというお考えが強いのですね。

社会貢献の数々

光富●岩田産業の社長は譲られましたが、持株会社の会長兼社長ですから、忙しさはあまり変わりませんか。

岩田●周りの人たちから「暇になっただろう」と言われるけど、会長になって忙しくなりましたね。全国ネットワークの団体の仕事も増えましたし……。

光富●それはいけませんね(笑)。多くの団体や会の役員を引き受けていらっしゃいますが、これは誰にでも出来る社会貢献ではありません。
ほかにも、ピザクック杯争奪福岡小学生ソフトボール大会を平成9年からずっと続けておられます。すごい大会らしいですね。

社会貢献

岩田●雁ノ巣球場を借り切り毎年1回やっています。こどもたちがピザクック杯に出ることを目標に掲げてくれているのです。120チームくらい参加して、入賞チームのメンバーに金・銀・銅のメダルをかけてあげると、もう本当に喜んでくれます。だからやめられません。

光富●確かに、そんなこどもたちの顔を見たら、やめられませんね。

岩田●10回大会だったかな、1度ヤフオク!ドームで開会式をしたことがあるんです。選手だけで2,000人ぐらいいて、オリンピック選手のようにこどもたちがスタンドに向かって手を振りながらグラウンドを回るのです。観客席にはご両親や関係者1,000人を超す観客がいました。あれを見た時にほろっときました。おかげさまで今は福岡県で1、2を争う大会となり、今年は22回目を迎えます。

光富●参加人数だけでもすごいですね。会長は野球がお好きなのですね。

岩田●好きですね。若いころはベアーズという草野球チームを作って監督をしていました。

光富●毎年、福岡ソフトバンクホークス公式戦でピザクックの冠協賛試合を開催されています。去年の始球式はストライクでしたか。

岩田●いや、ボールで(笑)。

光富●アビスパ福岡もオフィシャルパートナーであり、常任理事も務められています。

岩田●アビスパ福岡では「ピザクックスペシャルマッチ」を昨年行いました。

光富●写真も撮られていて、平成17年度は本誌の表紙を1年間、美しい季節の花で飾っていただきました。最近、撮影はいかがですか。

岩田●年々忙しくなって、もう10年近く遠ざかっています。

光富●お仕事ばかりされている感じですね。

岩田●仕事が好きですから。仕事をしていたら落ち着くんです。あれもこれもと山積みの仕事が少しずつ終わると、ビールがおいしいですね。

光富●お酒はお好きですか。

岩田●飲む量は少ないですが、好きですね。当社の「天守の雫」というオリジナル焼酎が、全国酒類コンクールの芋焼酎部門で2年連続日本一をとりました。

光富●それはすごいですね。もうすぐ岩田産業の創業50年。その先を見て計画を一歩一歩進めていらっしゃいます。本日はありがとうございました。

会社概要

名称:株式会社岩田産業グループホールディングス
https://www.iwatasangyo.co.jp/

創業:平成28年3月(2016年)

本社:福岡県福岡市博多区諸岡3-26-39


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