【飛翔対談】タンスのゲン・橋爪福寿氏|日本一のネットショップへ

*はじめに:本記事は、株式会社NCBリサーチ&コンサルティングが発行する経営情報誌「飛翔」2017年9月号掲載の対談記事を、発行元の許諾のもと転載公開するものです。以下、本文の記載内容(肩書きや代表者名、商品・サービス名等)はインタビュー当時のものである旨、ご了承ください。

話し手

タンスのゲン株式会社
橋爪福寿(はしづめ・ふくひさ)代表取締役

1963年、大川生まれ。大川工業高校インテリア科卒業後、前進の九州工芸に入社。2004年、代表取締役に就任。現在、協同組合大川家具商業界理事長も務める。

タンスのゲン株式会社橋爪福寿  代表取締役

聞き手

株式会社NCBリサーチ&コンサルティング代表取締役社長
光冨彰

日本一のネットショップへ

少子化や新築住宅着工戸数の減少により縮小傾向が続いている家具業界。そのなかでネットショップに特化して売上をのばしている会社が大川にある。創業55年を迎えたタンスのゲン。1964年、婚礼家具メーカーとして創業、91年に小売りに進出し2002年には楽天市場に出店。04年にネット販売に一本化し、以後、ECサイトで数々の賞に輝く。そして今年4月には売上高が113億円を突破。急成長を続ける秘訣は何か。橋爪福寿社長にお話をうかがう。

メーカーから小売りへ

光富● 御社はこれまでネットショップとして様々な賞を受賞されてきましたが、もともとは家具メーカーとしてスタートされたのですね。

橋爪● そうです。父が昭和39年に大川で婚礼家具メーカーを始めました。

光富● 社歴としては50年以上ですね。社長もお父様のもとで家具をつくられていたのですか。

橋爪● はい。10年ぐらい、木を切ったり、削ったり、塗装したりしていました。10人ぐらいの小さな木工所で、現場にコンピューターが入る前の時代です。父は中学校を卒業し、丁稚奉公ののち独立しました。昔気質の変わった父で、私とは仲が悪かったですね。父が「右を向け」と言うと、左を向いていましたから。

光富● 職人肌のお父様なんでしょうね。

橋爪● はい。今振り返ると、父の経営は当時一番堅実な方法で、石橋を叩いて渡る感じでした。しかし、婚礼家具のしきたりがだんだんなくなってきているのは肌で感じていました。なんとか日本一の家具産地の大川から変えないといけないと思っていたのですが、メーカーはみんな変化を嫌う気質ですし、うちもつくった家具は問屋が半年手形で買ってくれたのです。その手形にたまたま父がひっかかり、それで懲りて、小売りに変えていきました。

光富● 現金商売に変えられたのですか。

橋爪● そうです。父は情報を集めて挙式間近な人のお宅1軒1軒に飛び込み営業を始めました。当時、父は1年のうち360日仕事をしていました。朝6時に起きて夕方まで木工所で働き、6時ごろ夕食、それから飛び込み営業。夜の12時までに帰ってくることはありませんでした。それを見て育ったので、私は大人になりたくなかったですね。入社後も、営業に行ってもやる気がなく、だんだんさぼるようになってしまって。一方、父は結婚相談所まで立ち上げ、50組ほどの仲人をしました。

光富● 家具を買ってもらうためですか。

橋爪● はい。しかし、1組も離婚していないので、皆さん幸せに暮らされていると思います。そのころ、私は仕事があまり好きでもないし、がんばる方でもないので、いよいよ父と仲が悪くなり、大川から出て筑後に家具の小売店を出したのです。けんか別れみたいなかたちですね。間もなく父は体調を崩し、これまで通りの商売ができなくなったので、大川の店の不良在庫を山ほど押し付けられました(笑)。八女インターチェンジから筑後までは家具のメインストリートでしたが、店は出したものの、やはり次第に売れなくなってきました。そんな時、ある人から、ネットで月500万円売れている家具屋があるという話を聞いたのです。それで調べてみたところ、当店で1万9,800円で売っているものを送料込みで2万9,800円で販売しているのです。「これなら俺もできるやん!」。というわけで、15年前の7月15日に楽天市場に出店しました。

対談する橋爪氏

ネットショップをスタート

光富● ネットショップを始める時は、ある程度勝算はあったのですか。

橋爪● まったくありません。パソコンも持っていなかったし、触ったこともなかったのです。筑後の店は売場面積が100坪以上あったのですが、店売りで月100万円、外回りをして別注家具などで200~300万円。配達は運送業者。これでは飯を食えないと、イチかバチかでネットショップを始めました。

光富● しかし、よく踏み切られましたね。それまでも、食べられないことはなかったでしょう。

橋爪● どうせならいい生活をしたいという願望だけはありましたし、パソコン1つで始められるのが魅力でした。

光富● お父様は何とおっしゃいましたか。

橋爪● 「頭がおかしくなったか。ネットでタンスとか売れるわけなかやん。絶対にやるな」と。ダメと言われたらやる方なので(笑)、わかった、わかったと言いながら、楽天市場に申し込みをして、東京でセミナーを受けました。それで、セミナーから帰って聞いたら、月500万円売れている店はヤフーオークションへの出店だったらしいのです。それを、何を勘違いしたか、楽天市場に出店したんですね(笑)。たまたま楽天に行ったのが、運のつきはじめ。運命なんて、そんなものでしょうね。

ネットショップ

光富● それからの快進撃には目を見張ります。楽天の成長とともに御社も伸びていかれました。何を心がけられましたか。

橋爪● お客様に荷物を発送する時は手書きで「ありがとう」とメッセージを入れたらいいとか、冬の寒い時にはのど飴の1個でも入れるといいとか、楽天市場で言われたことを、真面目に実行しただけです。

光富● 非常に簡単で当たり前なことですね。ということは、そういうことをしないお店がたくさんあるということなのでしょうか。

橋爪● 今は、いきなりネット販売をスタートする人が多いのです。私は、メーカー、卸し、小売店の経験があるから、楽天市場が言うことを理解できます。ネット上でも、リアル店舗にお客様が来た時と同じように接客するということなんです。

光富● サービスの基本を継続していかれたわけですね。

橋爪● そうです。お客様1人ひとりに真摯に向き合う、それが小売業です。お客様の満足のために、当たり前のことをするだけです。今生き残っているのも現場の経験があったからで、父にぶつぶつ言われながらも、父の背中を見て学んでいたのですね。これは間違いなく私の財産になっています。父に感謝です。

光富● 楽天市場で販売するものには制限はあるのですか。

橋爪● いいえ、楽天市場は自由です。なので、まずは在庫の100商品を登録してスタートしました。すると、なんと開店3日目に、長野から3万9,800円のソファーの注文が入ったのです。もう嬉しくて、嬉しくて。7月15日にスタートして、その月の売上は20万8,000円でした。ですが、黙っていても4万円のソファーが売れる。正直なところ、これは楽して儲かるばい、と思いました(笑)。2カ月目には100万円ぐらい売れました。そうしたら今度は忙しくなったんですね。筑後の店の営業が終わってから、大川の方で梱包して出荷していましたから。そのころはリアル店舗があることが信用につながっていて、ネットショップは、きちんと物が来るのか、不良品に対応してくれるのかという不安があったんですね。けれど、両方やっていると、どちらも中途半端になります。それで、リアル店舗があろうとなかろうと関係ないと閉めて、ネット専業になりました。楽天出店から3年後のことです。

二重価格表記をしない

光富● 非常にインパクトのある社名ですが、由来は何でしょうか。

橋爪● もともとは有限会社九州工芸でした。2002年に楽天市場にオープンする店名を考えていた時、たまたま読んでいた雑誌に「エアコンの○○」という店の特集があり、当社と同じような社歴だったのです。それにあやかろうと、そのころはタンスをメインに売っていたので「タンスのゲン」としました。そして8年前に今の社屋に移った時に、社名も変えたのです。

タンスのゲン社屋

光富● 一度聞いたら忘れない名前ですね。

橋爪● 最初はみんな「??」でしたが、慣れちゃったみたいです。

光富● ネットショップには、御社は希望小売価格や○%オフという表記はされていませんね。

橋爪● 家具の値段はわかりにくいですね。メーカーや小売店が定価を決めているので、店頭でで値段交渉をする方もいらっしゃいます。その方式をそのままネットショップでも行っているので二重価格表記になるのです。それはお客様も薄々わかっていますね。それで、お客様を惑わせ、不信感を抱かせる二重価格表記をやめました。ごまかして商売をしても、長く続きませんから。やめて1年後に売上が上がりました。

光富● そうやって差別化されてきたのですね。今はどんな商品が売れ筋ですか。

橋爪● もともとは大川家具を中心に売っていたのですが、運んでくれる業者がなくて……。今は時代に合わせて小さい商品に変えています。

光富● 具体的には何ですか。

橋爪● 実は布団なんです。「フトンのゲン」に名前を変えろと言われています(笑)。

光富● 今は睡眠の質の大切さが言われていますし、時代に合った商品ですね。そんなふうに商品も変更されているのですね。

橋爪● 変わることができなければ、生き残れませんから。時代に合わせて、会社は七変化ぐらい変わっていかないといけません。

商品

光富● 商品の目利きが大事だと思いますが、どんな工夫をされていますか。

橋爪● 仕入強化と品質向上の目的で上海にオフィスを出しています。業態としては製造小売業です。展示会や日本のマーケットを調べて、お客様がワクワクするような商品を海外の協力工場でつくり、それをいち早く日本のマーケットに投入したりします。直輸入は、10年ほど前から始めました。

光富● ところで、家具業界の動向としては、やはり縮小傾向にあるのでしょうか。

橋爪● 住宅の着工戸数も人口も減っています。家具だけでは厳しいですが、ホームファッションやインテリア全般を合わせて、なんとかなっているのが現状です。今後は、ネットの普及で家具屋さんとか何屋さんといった垣根がなくなるでしょうね。大手の家電量販店が家具を扱い始めたりしていますし。

課題は物流のコントロール

光富● 今の一番の課題は何ですか。

橋爪● 物流です。東日本大震災の時、2週間、関門橋を荷物が出ていかない経験をしました。私たちは全国の不特定多数のお客様に買っていただきますが、自社で配送はできません。この時、初めて会社がつぶれると思いました。ですので、その後、関東に物流拠点をつくりました。当社のお客様の6、7は関東の方ですので、いち早くお届けするためです。ネットショップは、安くて速いの2点は外せませんし、どちらが欠けてもダメなのです。しかし維持費が非常に高くて……。埼玉の北部につくったのですが、倉庫の賃料は大川の3、4倍です。そのころは売上が30億でしたが、2,000坪ほどを借り、すべて物流専門会社に頼んでハンドリングをしてもらっていました。ただ、毎月どんどん経費が上がっていって、このまま続ければ会社がつぶれると判断し、全部引き上げました。恥も外聞もかなぐりすてて、都落ちです(笑)。

光富● 先般、物流が社会問題になりましたね。御社の商品は大きくて重いものも多いのではありませんか。

橋爪● そうですね。ラストワンマイル、お客様のお宅まで運ぶ業者が一番の課題です。しかし私たちは、なんとかして対応し、この問題を何度も乗り越えてきました。それに、前は失敗しましたが、今はお陰様で前の4倍近くの売上がありますし、前の失敗の教訓もあります。というわけで、性懲りもなく、また関東に出ていっています(笑)。地元の拠点1カ所ではもう限界なので、全国に分散させたのです。

光富● 売上が伸び、物量が増えたため、1カ所の拠点では対応できなくなったのですね。

橋爪● そうですね。しかし、またコスト高になりますので、在庫管理が重要になります。今は売ることの次に難しいのが物流のコントロールですね。

顧客第一主義

光富● 御社はクレーム対応にかなり力を入れておられるそうですね。

橋爪● はい。これにはきっかけがありました。楽天市場で何をやっても月商1億円の壁が越えられなかったのです。新しい商品や売れている商品をどんどん投入し、一番安く売り、一番早く届けても、どうしても無理だったのです。その時、1億以上売っている方に相談したら、「もう1回お客様の方を向いて、カスタマーサポートを強化してみなさい。うちはそれで売上が上がった」と言われるのです。そこで、お客様のクレームに徹底的に対応したところ、突然売上がポーンと上がったのです。不思議ですね、ネットって。全然見えないようで、お客様は後ろで見ているのではないかと思います。商品にレビュー機能がつき始めた5、6年前に掲げたのが、「顧客第一主義」。これは会社の行動指針の1つでもあります。やっぱり商売の基本は、お客様に真摯に対応し、お客様の立場で考えて潜在的ニーズを汲み取ることです。

光富● まるでマーケティング会社ですね。それにしても社員さんはお若い方が多いですね。

橋爪● 7から大卒の新卒採用を実施し、毎年15~20人が入社しています。どんどん若くなっていますね。

光富● だいたい地元の人なんですか。

橋爪● 福岡の大学卒業者がほとんどです。大川は中途半端に田舎だから、なかなか人が来てくれません。それで、学生さんに知ってもらうために、ヤフオクドームに看板を出したり、バスをラッピングしたり、薬院駅に看板を出したりしています。それから、働いている社員に気持ちよく働いてもらうということを常に意識し、働きがいのある会社を作り上げたいです。みんなががんばってくれるから、みんなを幸せにしたい! 社員に夢と希望を持って気持ちよく働いてもらい、それをお客様の笑顔につなげるのが、私の一番の仕事です。

お客様と一緒に社会貢献

光富● しかし、あっという間に100企業に成長されました。すごいことです。

橋爪● いやいや。それこそ楽天ドリームです。楽天サマサマです。

光富● 会社が大きくなると、その社会的な責任も違ってきますよね。

橋爪● 企業の価値って何だろうという話になると、雇用、納税、本業による貢献をし社会の役に立つということかなと思います。

光富● 御社はネットショップ12店舗のレビュー数の合計に応じた社会貢献をされているそうですね。

橋爪● 毎月レビュー200件につき1本のプレゼントツリーの植樹を「NPO法人環境リレーションズ研究所」を通じて行っています。また、レビュー1件につき1本のワクチンを「NPO法人世界の子どもにワクチンを日本委員会」を通じて世界中の子どもにプレゼントしています。

光富● 8月1日現在で、2,221本の植樹と22万800本のワクチンを寄付をされているとか。社長も植樹されるのですか。

橋爪● 飛騨高山に木を植えにいってきました。これも最初の目的は、お客様にここはきちんとした会社だと思ってもらうためだったのです。今では、災害時にいち早く寄付をしたり、近くの場合は自社のトラックを走らせてボランティアに駆けつけたりできるようになりました。

社会貢献活動

光富● 最後に今後の展望をお聞かせください。

橋爪● 個人としては、生まれ育った大川の家具業界の再生を果たし、恩返しをしたい。今、大川家具商業会の理事長としての使命だと考えています。会社としては、経営理念の「NET SHOPで福岡を日本を元気に。」をモットーにデザインのある暮らしを広め、2040までに売上高1,000億の目標を掲げました。もう1段階上にいくためには、人を育てていかないといけません。また、1,000億を達成するためには、今までのやり方ではなく、別の販売方法を考えていかねばなりません。しかし、何と言っても、大事なのは商品です。どこにもない商品、どこにもないサービスを生み出し、差別化を図っていく。最終的には、タンスのゲンがあの商品を開発したから生活が便利になったと言われるレベルにいきたいですね。そういう商品は自社で開発するしかないです。実は今も新しくデザイン家電を手がけています。

光富● また七変化ですか。

橋爪● はい。得意なんです(笑)。当社は大手があまりやらないことをやっています。夜10時までコールセンターの受付を延長したり、配達前電話などのお客様の細かなニーズに応えたりと、当たり前のことなのですが。アクセスも注文も一番多い夜の時間に、画面の向こうに誰もいないことなどありえませんからね。こんなふうにベンチャー企業は、隙間を生きていかないと成長できません。さらに1,000億を目指すためには、社会に絶対に必要とされる企業と言われるくらいに価値を上げていかないといけません。

光富● そろそろ上場もお考えなのではありませんか。

橋爪● まったく考えていません。ファミリー企業なので、独自の商売、やりたい商売をし、社会のお役に立った方が絶対にいいです(笑)。

光富● 本日はありがとうございました。ぜひ、1,000億企業を達成してください。

会社概要

名称:タンスのゲン株式会社 (http://www.tansu-gen.co.jp/

資本金:5,000万円

創業:昭和39年1月(1964年)

本社:福岡県大川市大字下林310-1


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